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瞑想の思い出114

初めてちゃんとした瞑想らしきものをしたのは、多分高校生の修学旅行で行った京都のお寺で座禅をした時。
座禅と瞑想は違うものかもしれないけれど、私の中では目的とやることが似ているので同じくくり。
座禅だとちょっと修行要素が入るね。
動いてはダメだから。
背中が丸くなったり、集中できてないと叩かれるし。
なんていうのだっけ、あの細長い棒。
瞑想はどこまでも自分のために、雑念だらけでもそれはそれでOKというスタンスだから、あれ、やっぱり結構違うものかもしれない。
(ちなみにその時の座禅は1時間とか長丁場だったけれど、実はあまり記憶がない。そこまでしんどくはなかったけれど、集中していたかというと、してなかっただろうなあ)

ということで、本当の瞑想をちゃんとしたのはいつかしら。。。と思い返してみたら、たぶん5年前くらいにヨガの講師養成講座(いわゆるTT)でバリに行った時だ。
それまではヨガのアーサナばかりやっていて、瞑想はほんの数分とかの経験しかなかった。
それがそのコースでは朝のプラナヤマとして、毎朝90分くらい、みっちりしっかり座っていた。
最初のうちは、4数えて吸って、4吐いて、の繰り返しの片鼻呼吸から始まって、日を追うごとに8、16と増えていって、正直ものすごく大変だった。
慣れている先輩たちは、すごくきもちいいと言っていたけれど、長くなると全然息が続かなくて辛かったなあ。
すぐ前屈みになってしまったし。

そこから考えると、今はずいぶんきもちよく瞑想している。
毎日の瞑想は短い時間だけれど、不安とか悩みとかイライラとかそういう思考から生じるものが薄れていって、穏やかな感じ、満ちている感じになる。
姿勢が安定するようになったこと、ゆっくり吐くことに慣れてきたこと、いろいろ理由はあるけれど、やりたいと思って続けているのが大きい。

ボディスキャンとか、グラウンディングとかも、全部同じようなことをしていると感じる。
ヨガもそう。
自分のその時その時で、いいなと思ったやり方を生活にとりいれるのが1番いい。
よく自分ではできない、続けられない、という声を聞くけれど、今はzoomやライブ配信やいろんな人が体験できる環境を届けてくれているので、最初はそれを使わせてもらえばいい。
あと、できないんだよねえ。っていうことは、たぶん今そんなにやりたいわけではないんだろう。
もしくは自分には絶対無理。と決めているか。
そんなこと決めずに、とりあえず自分がいいと思うものに出会えるといいね。 



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