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日本後紀とインドと綿

およそ1200年前に、インドからの漂着者が日本に綿を持ち込んだ事はご存知でしょうか?

こんにちは。前記事からの縁で、日本後紀の中にインドを発見したので、以下にまとめます。


日本後紀:日本書紀、続日本紀に続く六国史の一つ。全40巻の内、現存は10巻。

(巻第八 桓武天皇 延暦18年)
本月、小舟に乗り参河(みかわ)国へ漂着した人がいた。布を背に巻きつけ、褌を身に着けて袴を着さず、左肩に袈裟に似た紺色の布を掛けていた。〜(中略)〜 
どこの国の出身か判らなかったが、唐人らはみな崑崙(こんろん)(マレーシア)人だと言った。その後、日本語を習い、自分は天竺(てんじく)(インド)人だと言い、一弦の琴を弾いた。〜(中略)〜
持ち物を調べると草の実のようなものがあり、綿の種子だと言う。
引用文献:森田 悌, 『日本後紀(上)』, (講談社学術文庫, 2006), 219〜220P
漂着した崑崙人がもたらした綿の種子を紀伊・淡路・阿波・讃岐・伊予・土佐および太宰府等の諸国へ下賜し、栽培させた。
引用文献:森田 悌, 『日本後紀(上)』, (講談社学術文庫, 2006), 242P

この時代に、インド出身の方が日本で暮らしていた事に驚きました。

一人の漂流者という偶然が、日本文化に組み込まれる。その過程を想像すると歴史の浪漫を感じずにはいられません。


それでは!


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