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足裏コミュニケーション

今宵はシャケを焼いてお茶漬けと
ハッシュド・ポテトチーズのせ
ご希望の息子。

一日パジャマ
ほぼYouTubeを見て大笑いして
過ごしてた。

彼の中のいま
のんびり自分じかんは
ほぼYouTube。

年末にサンタさんに頼んだ
ゲームは

イマココの旬が過ぎてしまったのか
箱から出して
定位置まで決めたのに
一度もやっていない。。。

中身のゲームソフトがオンラインでしか
買えないものご希望で
わたしはとんとその辺疎くて苦手で
サクッと対応出来ず。

誕生日月に流石にまずいと
重い腰を上げて
マインクラフトのソフトを
一緒に買いに行き
いざ!となったけど
一度もやっていない。

彼の中のいまここを逃してしまったんだと思う。
ごめんねぇ。。。と思いつつ
またその時が来るかもと
そのままである。。。

子どもが欲しい時に買ってあげられない
状況でもあったから。
仕方なかったのだけど。

とは言えやり始めたら
大いにハマってその管理も
正直どうしたものか?
苦手だわと思ってもいたから
余計に遠のいていたけど。

流石にそれではと思って
願いを叶えることに
協力してみたものの
旬を逃してしまったことだけは確かだ。

子どもこそ
いまここのタイミングある。

特に幼少期は
そのタイミングが大事よね。
後では違うの
いまなの❣️と言わんばかりに
泣いてひっくり返って
主張するもんね。

理屈とかじゃない!
まさに今ここを生きている子どもの
その感性、感覚的な生き方そのもの。

泣きじゃくる幼児を見かけると
そうよね。今なんだよね。
いまやりたいんだよね。
そうだよねと心の中でうんうんと
思う。

対応してる大人は困ったもので
何とかやり過ごしたいのも
大いにわかるし笑

どちらも自分の都合で
自分のいまここで必死だ笑

小さな頃から息子は
とっても繊細でよく感じて
キャッチする子どもだった。

机の下で彼の足はいつも触覚みたいに
センサーを張り巡らせて
わたしをキャッチして
いまここのお母さんはどんな感じ?と
さわさわ触ってきて。
おさるのジョージのように
手と同じくらい足で
何かキャッチして掴んでいたし。笑

足でわたしのいまここを読み取り
つかんでるなぁといつも、感じていた。

話をするようになって。
2歳児クラスの先生が
博士みたいですねと。

知っていることを細かに博士のように話す
彼のことをそう表現した。

知識欲や知的好奇心は
幼い頃から本当に凄くあって。

本やテレビなど
いろんな情報をキャッチして
記憶する力も長けている。

一体どこでその情報仕入れたの?と
興味の範囲が狭いわたしからすると
いつも不思議で
歩く生き辞典のようだ!笑

どこかで
そんな彼の知識を話す様子を聞いて
どんな教育されているんですか?と聞かれて

いや〜わたしもどこでこういう知識が入っているのか知らないです。
わたし何にも教えてないですからと答えたら
また〜と言われたけど
本当にそんなこと教えたこともないわけで笑。
わたしの方が知りたいよと笑

それは持って生まれたものなんだろう。
その多岐に渡る好奇心。
知りたいというその欲求は元々
彼にあるものなんだろう。

小さな頃から
DIY関係の道具も興味を示してやりたがったし。
取説も読めるし、
わたしの苦手とする物の仕組みとか
構造も好きみたいで、
理科も電気の仕組みとかワクワクするみたいで
全くわたしとは違うジャンルに長けている。

今日も時計の支えるところが外れて
うまくはめ込むことがわからず
彼に聞いたら
あっという間に直してくれて
本当に頼りになる。

今日も夜眠りにつくのに
そんな息子に
マッサージするか聞いてみた。

頭痛は少しするようだから
またこめかみにミントやるか聞いたら
いいと要らないようで、

じゃあ足裏のマッサージもいらない?と聞いたら
いいと言うから要らないのね?と聞いたら
それはやってよいのいいだったらしい笑

わたしの適当なマッサージだけど
どうやらお気に召したようだ笑

今日もあっという間に眠りについてしまった。

そしてわたしも何だか今日はやってみたくなって
セルフマッサージを久しぶりにした。
膝下から足裏にかけて全部。

優しく自分の身体に
ありがとうの気持ちをこめて。

この辺は腎臓に良いと言ってたなぁ。
子宮周りもやっておこう。と
あちこち習ったことも復習しながら。
毎日一生懸命に働いてくれている
身体さん
こうやってメンテナンスして
労わる時間大事よね。

よりこれからを
共に歩んでいくのに
そんな時間が貴重で。
優しく撫でて対話した。

感度良好な息子
これからどこまで
こんなマッサージしたり
触れ合う時間が残されているか
わからない。
だからこそ
いまここで出来る最大限のこと
精一杯やっておきたい。

足裏から非言語コミュニケーションが
出来る関係性っていいよなぁ。

なんか動物的なその感覚で、
やりとりするわたしたちに
にやりとするわたしだった。


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