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現代小説訳「今昔物語」【夢占いの意外な結末とは?】巻二十四第十四話 天文博士 弓削是雄(ゆげのこれお)が夢占いをすること

 今も昔も、人は占いに未来を垣間見たがるものです。ところが、占いの結果と現実は、得てして相重ならないもの。さて、ここにも夢占いを行う一人の男がいるようです。

 赤い蛇の夢を見るようになった。原因ははっきりしている。世継よつぎ(人名。伴世継のこと)の妻とのことだろう。毎朝、汗だくになって起きながら、さりとて安梅にはもうどうしようにもなかった。
 安梅は、穀倉院こくそういんの役人、伴世継とも の よつぎの家に出入りするようになっていた。十三歳のとき東寺に留学して早四年。体調不良を訴える世継の妻のために、加持祈祷や針治療などを施していたのである。そうして通ううちに、安梅は世継の妻と肌を重ねる間柄になっていた。幼いうちに高野山に預けられた安梅は凡そ女というものを知らぬ。妻の誘いに応えるとはどういうことなのかさえ、安梅は分かっていなかった。

 黒い蛇が、ぐるぐると回っていた。ただ回っているのではない。様々に回っていた。ぐるぐると円を書くように回ったり、螺旋を描いて進みながら、これまた円を描いたり、天と地を入れ替えるかのように背と腹を入れ替えてぐるぐると回ったり、同じ動きの繰り返しのようでいて一時も先の動きが読めなかった。あやしく思って見ているうちに、奥歯がぐらぐらして一本抜けた。抜けた後からは血も出ない。
 抜けたなあと思っていたら目が覚めた。一瞬、どこか分からない。が、宿をとったのを思い出した。世継よつぎは帰京の途にあった。税を徴収するために東国を廻ってきたのである。近江国(現在滋賀県)の勢多のうまやに宿をとっていたのだった。
 たまたま同宿していた陰陽師に夢占いの相談をした。名は、弓削是雄ゆげのこれお。かの滋岳川人しげおかのかわひとにも並ぶ霊験あらたかな陰陽師だということだった。
「明日、家に帰ってはいけません。あなたに害をなすものが家にいます」
 陰陽師は何やら数字や文様が描かれた式盤をくるくる回しながら言った。
「二年ぶりに我が家に帰れるところまで帰ってきているのに、ここでいたずらに時を過ごさなければならないのですか?」
 税として徴収した品々もある。こんな所に長居をするのは危険だ。世継は重ねて言った。
「どうにか、その難を逃れる方策はござらぬか?」
 世継は徴収した金塊のかけらを一つ、式盤の前に差し出した。
「どうしても明日帰りたいというのでしたら」
 弓削は顔を挙げず金塊を袖に入れ、そこで言葉を切った。世継はもうひとかけら、金塊を置いた。弓削はそれも袖に入れ、やおら立ち上がると一本の矢と紙を取ってきて世継の前に置いた。矢は鏑矢で、紙には筆で星型が描かれている。
「あなたを殺そうとするものは、家の北東の隅に隠れているはずです。あなたは家に帰り、荷物をすべてかたづけさせた後、弓にこの矢をつがえ、北東の隅の何かが隠れていそうなところにねらいをつけてこうおっしゃってください。『おれを殺そうとしていることは先刻承知だ。すぐに出てこい。出てこないと射殺すぞ。きゅうきゅうにょりつりょう』と」
「きゅうきゅうにょりつりょう?」
「急急如律令。律令の如く急いで行え、という意味があります」
「して、この紙は?」
「お守りみたいなものです。懐にお入れくだされ」

 むしろの下は思いの外暑く、安梅は全身に汗をかいていた。
「明日、主人が帰ってきます。殺してくださいますか?」と言われたのが昨夜。それから知る限りのしゅを打ったが、依代に使った紙は全て破れてしまった。術は効いていないのであろう。世継ほどの人物ならば護衛に陰陽師を雇っていることも考えられる。しかし、そうであれば呪い返しもありそうなものだがその気配はない。
 脇差をもつ手がいざという時にすべりそうで、手のひらを何度も何度も裾にこすりつける。先ほど世継が帰ってきたのか屋敷がにわかに活気づき、荷物をあちらこちらに運ぶ大勢の足音が聞こえていた。その音が止んで一時、安梅は庭の隅に身を潜め、世継を殺しに動き出す機会をうかがっていた。
「おれを殺そうとそこに隠れているのは知っているぞ」
 世継の声が突然降ってきた。足音はまったくしなかったのに、弓を引き絞るきりきりという音ははっきりと聞こえてくる。
「とっとと出てこい。出てこないと、射殺す」
 安梅は逡巡した。出ていっても、殺されるのではないか。次の瞬間、びょおっと矢が放たれ、安梅が隠れているすぐ上の壁にひいふっと当たった。安梅は観念するというより、反射的に筵から出て世継の前に平伏した。

 激しい拷問の後、若い法師は全てを白状した。世継は法師を検非違使に引き渡し、長年連れ添った妻とは離縁した。そして弓削是雄の夢占いの見事さに感服し、深く感謝したのだった。

ちょこと後付

 夢占いで妻の不倫を知るとは、何とも不幸な結末…かと思いきや、「長年連れ添った妻とは離縁した」の一文のみ。今昔物語は妻の裏切りに対する嘆きや間男への怒りなど世継の内面に一切立ち入りません。平安の人々がそういうことに無頓着だからなのか、とにかく物語は陰陽師の夢占いの見事さに収斂していきます。ほんとうに、今昔物語の登場人物たちは複雜な心理の持ち主ではないのですね。

この話の原文に忠実な現代語訳はこちら
巻二十四第十四話 夢占いで妻の浮気を知った話
この話の原文はこちら
巻24第14話 天文博士弓削是雄占夢語 第十四