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「余白」のその先に見えた、「やりたい!」の源にたどりつくには(前編)

こんにちは!もす☕です。
2回の記事投稿を自分のSNSとかで投稿したわけではないけれど、ひそかに反響があったので、ありがたいなと思いつつ懲りずに今日もnote投稿です。

突然ですが最近1本の映画を見ました。1991年制作のアメリカ映画「Fried Green Tomatoes(フライド・グリーン・トマト)」。

4人の登場人物に思いを馳せ、今過ごしている日々を振り返りながら、「余白」を創ることで見えてきたこと、自らの心にアクセスできたことをシェアしていきたいと思います。

「余白」と「余剰」が無い生活を振り返ると

大きな変化・移行期となっている2021年11月と12月。11月は自らの心持ちの変化と大きく向き合い、12月はそこを整えている、そんな感じ。

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自らが「余白」を作り、変化したことをつらつらと書いてみる。元来のもす☕は、とにかく「スケジュールをパンパンに入れること」がこれまでの人生の大半だった。僕を知る人に、「もす☕っていつも忙しそうにしてるよね!」って思われていた。(と思う。)

これまでのスケジュールの埋め方はいたってシンプル。

【月~金】:仕事(たまに飲む予定)
・Googleカレンダーパンパン(カレンダーに支配されてる感じ)
・8:00~22:00は、ほぼ仕事の予定を詰める
・朝昼夜ご飯はコンビニor外食。仕事しながら済ませる

【土日】:仕事&サッカー
・サッカー(午前練習)→仕事
・サッカー(公式戦or練習試合)→移動時間に仕事

今考えると、人間生活とは言えないな(笑)

・サッカー25年続けてきて体力があり突破
・仕事詰め込み、ジョブサイズが広がり、出来ることが増える
・戦略性&アレンジ&責任感コマンド発動により、実行しきる
・家は寝に帰るだけ。親しい人との飲みとサッカーがリフレッシュタイム

お陰で5年でジョブチェンジ5回しても、適応して成果を出せていた。(んだと思う。)急成長ベンチャーで管理職として経営陣一歩手前で躍進していた。(と思う。)

当時の自分に、今の自分が伝えられることがあるとすれば、

よくがんばったね。でもさ、その生き方、一生するつもり?
そんなに焦って、どこへ行きたいの?何がしたいの?
自分の本音にどこまでアクセスできているの?

そんな感じだろうか。

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「余白」を作り、変化し続ける生活リズム

「仕事」に全振りの20代から、余白から始まる30代に突入。今の生活リズムはこんな感じ。

【月~金】
・起床→朝ごはん(自炊か近くのカフェ)→仕事
・ランチ(1時間強は休憩含めて)→仕事
・18:00以降は余白ある時間へ(主に、サッカー・友達と会う・追加でしたい仕事・買い物・片付け)
【土~日】
・積極的に仕事をしない ・目覚ましかけない ・早起き
・サッカー ・部屋の片づけ ・休息 ・知人と会う 

多分、普通の生活なんだと思う。でも、自分にとっては劇的な変化。なぜなら、「何か」に追われない日々に変わったからである。

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前の記事にも書いたけど、自分の命の時間を何に使いたいかが、どんどん変化していっている。相変わらず仕事は好きだ。でも、やらされている(have to由来の仕事)は限りなく0に等しい。

移動はなるべく自転車。脳内リフレッシュと土地勘が養われるのと、、、今までは電車移動で無駄なスマホの操作時間....。冬場の自転車移動は寒いけど、それもいいなって。ちょっと遠くても、歩いたら違う街並みが見えるかもなとか思えるゆとりができるようになった。

自分が不採用(卒業)できた外発的動機付(have to)

前の投稿にも書いたけれど、内発的動機付(want to)と外発的動機付(have to)は混ざり合っている。want toにアクセスするには、1つずつhave toを取り除いていくこと、浄化していくこと、が大事になる。書き始めたらきりがないけど、一部抜粋して自らのhave toと認知できたものをシェアしてみる。

・決めたことは最後までやりたい(やらなければいけない)
・クライアントや上司の依頼は最速で実行する(実行しなければいけない)
・会社コミットで思いきり走りたい(そう思えている方が楽)
・早くキャリアアップしたい(その方がよさそう)
・唯一無二のキャリアを歩みたい(周囲との比較で負けたくない)
・マルチタスクをこなしたい(できた方がジョブサイズ広がりそう)
・予定をパンパンに詰め込みたい(沢山の事をこなし存在承認につながる)
・上記のことをやりきっている自分でいたい(周囲から頼られたい(外圧))
etc

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書き出してみると、一見「~したい」と繋げられる内容なのだが、よくよく見てみると何かしらの外発的動機付に由来しているものばかりである。

外発的動機付(have to)はそこかしこにちりばめられている。まずはそこを自覚できるかどうか。そして、卒業できるかどうか。丁寧に一つ一つ卒業すると決めた。

ただ、卒業すると決断することはとっても難しい。なぜならば、そうして生きてきた安心安全な領域(コンフォートゾーン)だからこそ、すぐより戻しが起こる。(ダイエットのリバウンド的なやつ)

外発的動機付は過去の人生における生存戦略

外発的動機付(have to)は様々な種類があるが、人間は集団生活(幼稚園や小学校)を始めると、外圧を感じて「やるべき」「あるべき」「するべき」と共に生きることになる。余白を作ったことで、強烈な原体験であり、have toの根本要因の一つを最近認知し、卒業できたことがある。

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自分は、お受験戦争の先駆け見たいな時に小学校受験をして、片田舎の幼稚園から大都会の小中高一貫の男子校に入学した。正直、幼稚園時代までは向かうところ敵なしだった気がする。

かけっこ1位。習い事は複数かけもち。小学校に電車で1時間半かけて通っていること自体も、当時の地元の周囲の人たちからすると異質なことだった。正直、自分は何にでもなれるんじゃないかくらいの謎の自信があったのかもしれない。

ただ、小学校に入ると、「勉強」「かけっこ」「家柄」などなど、全てが中の下だった。何をやっても「人なみ」だった。上には上がいるということを初めて知ったし、人生最初で最大の「挫折」だったのかもしれない。

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そこからは自分を下げて、謙遜して、生きてきた。そう生きるしかなかった。世の中一般的な王道じゃない選択肢を選んできたのも、そうしたいから由来というよりは、そうせざるを得ない、そうすることで自分を成り立たせていた、そんな感覚だったのかもしれない。

・中学校で第一外国語選択をフランス語にしたこと
・サッカーのポジションも努力で補える部分で生き残ったこと
・小学校早々に「学校の先生になりたい」と決めたこと
・志望校も偏差値依存ではなく、感覚的に合うと思ったところに決めたこと
・キャリア路線変更し、ベンチャー志望で就職活動を過ごしたこと
・とにかくハードに、生き続けてきたこと

「want」であることには間違いない。けど「have to」が混ざった決断も多かったと思う。そのhave toのお陰で、今日まで生きてこれたのだ。生存戦略的な部分が多いところはこんな感じだろうか。

・他者と異なる決断をし、完遂させること
・同時に複数のことをこのし、多方面で存在感を出すこと
・Noと言わず、ほとんどのことを形にし頼られる存在であること
・コミュニティ依存せず、人と一線を引き、自らを守ること
・No.2、裏方的な立ち位置ふるまいで、縁の下的な役割を引き受けること

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過去の決断に対して後悔は一つもない。ただ、過去の決断に引っ張られることなく、未来の決断をしてもいいんだなって思える心もちに、なることができている自分がいる。今まで生存させてくれてありがとうの気持ちと共に、それらhave toを認知して取り除いていったとき、自らのwant にようやくアクセスし始められている。

後編に続く&もすCafé☕(もすカフェ)

本当は1本の投稿にしようと思っていたけれど、予想外のボリュームになったので、前編・後編という形で2つに分けてみようと思います!

ここまで読み進めていただき本当にありがとうございます!後編では、自分が卒業できた「have to」と許可できた「want to」(後編)ということで、具体的に「やりたい!」にたどり着けた道筋をシェアさせていただきます!


毎度おなじみとなりましたが、もしこの文章を読んで、もす☕と話してみたいと思った方、コーチングセッションを受けてみたいと思った方がいたら、以下からカジュアルにご連絡いただけたら嬉しいです!

※コーチング契約の詳細は個別でご相談できればと思います!いきなり有料実施や、無理強い、過度な営業は一切行いませんのでご安心ください!

では、後編でお会いしましょう! 

もす☕

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