見出し画像

そんな才能いらない

そんな才能いらないな、と思ってしまったことがあって、きょうはそのことについて、ひさしぶりに書いてみる。

きょう、義母からメッセンジャーで連絡がきた。自分の息子(わたしにとっての夫)とわたしと、飼い犬についての近況報告を求める内容である。

さいきん、仕事で完全に心身のエネルギーが削れてしまっていて、余裕がないこともあって、いつもは、丁寧に答えたりやりとりをしたりしているのだけど、だんだん、そうしたことをすることに疑問を持ち始めてきた頃ということもあって、イラっとして、スマホをぶん投げてしまった。

ここ10年くらいは、よほど追い詰められたことがない限り、スマホをぶん投げたりなんてしないのに。

夫のお母さんとは、いい関係でいたいなとは思う。

だけど、いつから嫁のわたしが、夫の近況を知らせたり、家のことを知らせる窓口係になっちゃったりしたんだろうと、さいきんはすごく疑問に思うようになったのだった。

わたしは、人の間に入ることが、とても苦手だし、嫌いだ。

前職では、何人かの部下とうまくコミュニケーションがとれない上司の代わりに、わたしが彼らの間に入って、両方を取り持つ役回りを、気づいたら、勝手に背負わされてしまった。

その結果、全然平気だし…と思っていた自分が、いつのまにかすごく疲れてしまって、つぶれてしまった。

取り持った部下と上司は、いまもピンピン元気で、取り持ったとか取り持たれたとかいう自覚もないみたいで、でも、どうやらわたしだけが「取り持った」と思っているみたいで、そのときのことを思い出すだけで、呼吸が苦しくなってしまう。

その上司は、自分では無自覚だけど気分のムラが激しくて、常に「おれの機嫌を察しろ」「慰めろ」「きょうはどうやっておれを楽しませてくれるのか」という、直接そんなふうに要求を言葉にするわけではないけれど、付き人のように長い時間を過ごしていると、人をそういうスタンスで見てはかっていることが、わたしにはわかってしまうのだった。

わたしはいつも、その上司の顔色ばかりをうかがっていた。

どうしたら、この精神的に不安定な人に穏やかで、にこにこでいてもらえるかを常に第一優先に考えて行動していた。

機嫌が悪かったり、テンションが低かったり、大きなため息ばかりついていたり、顔色が普段よりもいちだんと悪くなっていたり、体臭がきつくなったり、あらゆる毒素を放出しているときは、自分のせいではないとはわかっていても、まるで自分のせいであるかのように、自分を責めて、ご機嫌をとることに必死になっていた。

仕事として「正しい」ことをするよりも、彼にとって「正しい」ことをすることが、わたしにとっての仕事だった。

ひいてはそれが、そばにいる自分も平穏無事な環境でいられることだったし、自分にとっていちばん大切な職場の雰囲気や環境に左右することだったし、自分の環境を整えることが、自分の仕事のやりやすさにもつながっていくし、すべてが彼の鶴の一声に、自分の運命が左右されていたといえる。

だけど、あっけなく、自分がつぶれていくのがわかりだしてきて、それでわたしは、「もう人の間に入ることは、したくない」と誓った。

別に、誰かに頼まれたわけではないのに、状況を、空気を察して、そういう振る舞いをしてしまう自分が、すごくいやだった。

だけど、気づいたら、義母と夫の間でも、わたしはそういう役回りを、気づけば引き受けてしまっていた。

義母も、無自覚だけど精神的に不安定な人で、自分でではなくて、人を使って、自分の満たされなさを、満たされようとする人だった。

たとえば、自分の夫(義父)への長年の不満を、やはりわたしをまるで掃き溜めのように利用して、壊れたテープレコーダーのように、言ってきかせて、自分を慰めてもらおうとしていた。

夫は4人兄弟で、わたしと同い年の次女である妹が、普段はその役回りを引き受けているのだが、特に妹も忙しくて相手にしてもらえなくなると、わたしにその役割が過重に回ってくるように思う。

ようするに、暇な自分の満たされなさを満たしてくれるのならば、誰でもなんでもいいのだ。

そういう人に共通しているのは、いちどその要求に応えてしまったが最後、「もっと」「もっと」と要求がエスカレートしてくる点だ。

さっきも書いたけど、夫のお母さんとは、いい関係を築いていきたいと思っていたから、当初は、持ち前の相手の要望を察する力を発揮して、「1」にたいして「10」応えるような、丁寧な対応をしてきた。

だけど、そうしてしまったことが、結果的に良くなかったのだなと、エスカレートしてきて、引き返せなくなった頃に、気づいた。

それで、きょうは「1」にたいして「1」で応えるような対応をした。

だけど案の定、「なんで『1』しかくれないの?」というふうに、そのかわしに不満を持った義母から責められた。

直接そんなようなセリフをわたしに吐いたわけではないけれど、だけどわたしには、こういうたぐいの人が、「10もらえると思ったのに、1しかくれなかった」と責められているように感じられてしまうのだった。

それでわたしは、困り果ててしまうのだった。

だけど、また相手の要求を叶えたら、終わりのない要求がふくらんでいくのかと思うと、苛立ちを募らせることしかできなかった。

そもそもわたしは、わたしを家の「窓口役」にすえるのではなく、実の息子である夫に直接聞いて完結してください、とずっと思っている。

だけど、夫も、というか一般的に、いい年して母親に報告している人はいないし、そっけないのは当たり前だし、だから夫にも、「お母さんからこんな連絡あったけど、自分から言っておいて」とも言おうとも思わない。

そもそもは、義母とは、わたしとコミュニケーションの一環で、連絡先を交換したのだった。

スタートは、そうだった。スタートは。

なのに、この手の人は、スタートなんてきっかけにすぎなくて、そこからどんどん自分の都合のいいかたちに関係性や記憶まで平気で塗り替えていく。

はじめはわたしも、「お母さん」と呼べる存在ができたようでうれしかったし、夫とのことを自然と伝えたり、たわいのないことを話していた。

だけど、向こうにどんどん遠慮がなくなってきて、土足でどかどか侵入が当たり前になってきて、わたしは「息子の情報をなんでも聞き出せる人」となり、いまでは「息子の情報を報告義務として行わなければいけない」という任務まで、背負わされてしまった。

いったいなんの「サービス」をわたしは無償でしているのだろうか。

先述の精神的に不安定な上司といい、共通しているのは、<自分が直接聞き出せない情報を、人を使って聞き出そうとさせる>ことだ。

わたしは、そうした相手の要望だったり、この人はなにを得たくて動いているのかということを、その人の声色や顔色、しゃべっている言葉や文脈などから総合的にすぐさまキャッチして、相手が望む動き方をしてしまう特性がある。

自分が自分でいられる相手とは、そんなふうに、自分が相手に動かされている「手先」みたいな存在として考えずに、自然体でいられる。

だけど、その手の人には、完全に「手先」になってしまう。

ゼロか100かというくらいに、とてもわかりやすい。

フリーズして、自分で自分を投げ売ってしまう、生き方をしてしまう。

そんなことは、もうずいぶん前からわかっていて、過去の反省を踏まえて、そんな生き方をするまい、と心に決めて行動したり、近づかないようにしたり、むしろそうした特性や才能を「強み」としていい方に生かそうと努力もしてきた。

だけど、現実は、こんなような結果になることを、いまになっても繰り返してしまう。これはとても深刻なことのように思う。

そうした自分の繊細さを、相手のニーズを素早く的確に察知する「強み」として生かして、社会的に活躍している人がいるのも知っている。

だけど、わたしはむしろ、そんなものいらないなと、きょうも思ってしまったのだった。

虐待サバイバーとして生き残るために必要な術だから、超人的に身につけてしまっただけであって、わたしからすれば、これは「ギフテッド」でも「才能」でも「強み」でもなく、後遺症で名残のような、そんな感覚を、率直におぼえる。

そんな才能、なくなるなら、なくなってほしいと、心から願う。

いまも仕事で、人の顔色や声色や文脈から読み取りすぎて、やっぱりひどく疲れてしまう。

ほかの人が同じ場面で、押し切れる場面でも、わたしはやっぱり、「見えざる相手の要望」や「要求」というものが見えてしまって、それに負けてしまって、相手の要求を押し通してしまう。

それで、また相手の言いなりになってしまった、と自己嫌悪して、毎日落ち込む。

たぶん、落ち込むポイントが人とちがうとも思う。

もっと、自分のスキルの向上とかに、磨きをかけたりする過程で、落ち込むならわかるのに、わたしはそこでの衝撃やつまずきが大きすぎて、それだけで莫大なエネルギーを消費してしまっているようにも思うのだった。

もっと、ほんとうの意味で努力したいことに努力したいのに、って思う。

こんなとこでじたばたしている間に、人生が終わってしまうと、最近はとても焦っている。

毎日、「求めてくるおばけ」や「不平不満をぶつけてくるおばけ」に遭遇して、見えないおばけに、相変わらず、ただただすり減っている。

自分なりに、うまくかわしていく方法が、まだ見つかっていない。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?