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「境界線」について考える

さいきん、度重なる対人関係の悩みやストレスがきっかけで、また、いろんな巡り合わせもあり、「自他境界」というものについて考えてみる機会が増えました。

唐突に「自他境界」というキーワードを出したわけではありますが、その言葉の意味の説明とかは、ここは解説サイトでもなんでもないので割愛します。そのまま普通に進めます。

知ってはいるけど、まだあまりその概念が浸透してはいないという認識の、この言葉。

だけど、自分の対人関係の悩みというものは、ほとんどすべてが「自他境界」によって起こるものだなあと思うし、いま(これまでもだけど)の自分のテーマは境界(バウンダリー)だな、と思うように紆余曲折をへて思うにいたりました。

わたしはこれまで、自分が自分ではないような感覚を、常に感じてきました。

なにもないときは、それはそれで、ゆらゆらとして、いい意味で透明人間みたいな、悪いものでもなく、それが自分でありアイデンティティのように感じるようなところもありました。

だけど、ゆらゆら、ふわふわ、空洞、透明なスポンジのような状態でいると、カメレオンのように周りに合わせて色が変わったり、なんでもかんでも通ってきすぎて、それが自分にとって「快」なものならばよいのですが、

「快」でないものにたいしては、これは自分の独自な表現かもしれないのですが、「侵襲される」という非常に自分にとってかなり危機的な感覚に脅かされるようになりました。

と同時に、幼少期からの母との「境界」というものを自分のなかで作ることを、白旗あげて降参せざるをえないような、だけれども、それを納得したわけではなくて、自分のなかでマグマにように湧くふつふつとした怒りだったり、無力感だったり、

だけど、むしろ逆に体も頭もなにも動けなくなるという身体的感覚が、こんな大人になってまで見舞われるあらゆるささいな(それ自体は本当にささいな)出来事がトリガーとなって、生々しく蘇ってくるのです。

そうなると、フラッシュバックも当然起こります。

フラッシュバックを受けるたびに、似たような「侵襲」を繰り返し受けてきたけれども、なぜかそこで自他境界のあいまいさによって抑圧されてしまった心が、より一層苦しく感じられるようになって、負荷が重なれば幻聴や幻覚となっても症状があらわれます。

前置きが長くなってしまいましたが、そんな「自他境界」のイメージについて、自分にとって考えさせられることがありました。

わたしは、気づいたら、ここ数年はずっと飲食店で働いています。

都内のある日本料理のお店は、午前11時半にオープンするのですが、オープン前まで、開店準備中だということをお客さんに知らせるために、重いガラスの扉の手前に、折り畳みのパーテーション(衝立)を置いています。

ですが、このパーテーションがあるにもかかわらず、開店前の早い時間からパーテーションをわざわざずらしてまで席に通すように要求してくるお客さんが、たまにいます。

これについては、防犯上のために鍵をかけておけばよいという意見もあるかもしれませんが、開店前は業者や開店準備にあたっての従業員の出入りなどもあり、また、一般的な飲食店も「OPEN」ではなく「準備中」の立て看板を掲げているのと同じようなイメージと思っていただければと思います。

昨日も、中年女性が、衝立をわざわざずらして、入ってきました。

わたしは、開店時間や、まだ開店時間前でお店には入れないことを丁寧に説明したのですが、中年女性は、「連れのお友達が来るまで予約時間まで待ちたい」と席を通してほしいと聞かず、双方の事情が折り合うことが難しい状態でした。

最終的には、このお客さんは待っていただくことを了承してくれました。

一方、別の日に団体の予約をいただいていた高齢男性のお客さんは、お店の入るビル下での集合時間に、一人だけ開店一時間くらい早く前に着いてしまったと、やってきました。

このケースも改めて開店時間を案内して、「わかった。そのへんを散歩して時間をつぶすよ」と言っていただけました。

ですが、その自分の台詞を忘れてしまったのか、この男性のお客さんも、開店30分前になって、突然、ドアを開け、パーテーションを勝手にずらして、中をずんずんと進み始めました。

わたしは、追いかけて改めてまだ入店できない旨を伝えましたが、「わかってるよ。トイレくらい使ったっていいだろ」と、わたしの手を振り払い、勝手にトイレに入ってしまいました。

まあ、その話でなにがいいたいかというと、自他境界のない自分にとって、その店の「衝立」という「実体」そのものが、これから自分の「境界線」というものを作っていくのにあたり、なんらかのヒント、手がかりになるのではないか、と思ったのでした。

いま、自分は、いろんな対人関係へのストレスや悩みをへて、それが共通して自分の「境界を侵される」という感覚だということを実感し、ここが自分の「境界」なんだというイメージを持つにいたりました。

それにたいして、これまでのことは変えられないにせよ、少なくとも「いま」起こっていることについては、さいきん少しずつではありますが、確実に「境界」というものを作れるようになりつつあると実感しています。

まさに、その境界を作っていくイメージは、働いている飲食店の、クローズ時に設置されるパーテーションです。

この境界を侵すものがいれば、向こうは向こうで事情はあるかもしれないけれど、こちらはこちらの事情を理解してもらい、自分は自分を守ることができるのだ、守ってもいいのだ、と。

そんなふうにわたしがパーテーションだったり、オープン前になぜか入ってきてしまうお客さんのことを思っているだなんて、周りの誰もしるよしもないのだけれど、

わたしはなにげに、このパーテーションによって、境界の感覚を実践的に身につけているような気がしているのでした。

少し余談にはなりますが、一軒家に暮らしていた幼いころ、家の裏の旗竿地に住んでいた同じく一軒家の方から、わたしを含むわたしの家族が「うちの(旗竿地にアプローチする)私道に立ち入っている。ここはうちの土地だ。不法侵入で訴えるぞ」というような苦情や脅しを、毎日ねちねちと言われてきた時期がありました。

主に対応していた祖母は、ノイローゼになりつつも「そこも含めてうちの土地だ」と言って、幼少期のわたしには難しい土地の図面などを見せて説明していました。

ですが、相手はここは自分の土地だと根拠もなく言い張り、らちのあかない平行線な紛争状態が日々が続きました。

最終的には、当時のわたしはよくわかりませんでしたが、我が家がなんらかの専門家にお金を払って、相手にここが我が家の境界線であることを証明するカラフルな「杭」を地面に数箇所、打ってもらいました。

その杭のことを、祖母は「境界線」と言っていたのが印象的でした。

幼いわたしは、「そんな境界なんてはっきりさせたところでなにが変わるんだろう。境界ごときで揉めたりノイローゼになったり、大人はばかみたいだな。そんなものになんでうちが金なんて払わなきゃいけないんだろう」と不思議でした。

ですが、大人たちはその境界線が打ち込まれたのを機に、ころっと、ノイローゼになることも、「ここはうちの土地だ」と言いがかりをつけてくることも二度となくなり、

なによりも祖母が、ほっとひと安心していて、こんな境界の「杭」ひとつで変わるなんてといまだに、と謎なのですが、

「境界線」について今後なにかしら考えさせられる、これもひとつのエピソードだなと思って、記してみました。


しばらく更新が途絶えていて、ひさしぶりの更新となりました。

気まぐれ更新で、次もいつ更新できるかはまだ定かではないのですが、また機会ができたら、この「境界線」のような、さまざまな自分の実験記録なども記していくこともあるかもしれません。






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