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「覚悟」の副作用_Physician scientistの挑戦3

何でお医者さんになろうと思ったの?

この質問に学生時代からもう100回以上は遭遇して来ていると思う。この質問を今まで誰にも聞かれたことがない、という医師・医学生はおそらく一人もいないだろう。そして理由は分からなかったが、この質問をされるのがとても嫌だった。

僕は元々小さい頃から医師になりたかったわけではない。父親はサラリーマンで、母親は父の扶養範囲内でパートをしながら家計を支える、といういわゆるごく普通の家庭で生まれ育った。小学生の時、高齢の祖父に人生最後の里帰りをさせる目的のついでとして一緒に奄美大島へ連れて行ってもらったのだが、その時に初めて乗った飛行機の感動、ワクワク感が忘れられず、その時以来ずっとパイロットを目指していた。ところが、高校2年生で最終的に進路を決めるとなった段階で強度の近視ではパイロットはおろか、管制官にすらなれないことを知り、空の仕事を諦めざるを得なかった。そこで何になろうかと考えていた時に、今から思うと父に誘導される形で医学部受験を決めていた。「振り返れば奴がいる」というドラマにハマっていたことも影響した。いずれにせよ、家族の誰かを病気で亡くしたからとか、人の役に立ちたいとかそういった立派な動機があったわけではない。ところが、いざ医学部に合格した途端、何か立派な動機付けを周囲の人に求められている気がして、それに応えるために尤もらしい理由を話していたのを記憶している。なぜ医師を志した動機を聞かれるのが嫌なのか、今でははっきりと分かる。高潔な「立派な動機付け」≒「覚悟」を求められ、それに自分自身が縛られる気がするからだ。

これは日本特有のものなのか、世界でもままあることなのかは分からないが、少なくとも日本ではこの傾向が強いように感じる。確かに高潔な強い動機付け、というのは物事を始める時には大切かもしれない。万人・メディア受けもするだろう。ただ、この強い動機付けや覚悟が長く継続的に仕事をして行く中で自らの首を締め、ひいては人のためにもならない、という事例を数多く目撃して来た。循環器内科レジデント時代には、「俺はPCI(冠動脈ステント手術のこと)で生きて行く」と30歳を手前にしてそういう覚悟を持った同年代の先生が山ほどいた。それから10年以上が経過した今、ステント治療や薬物療法の進歩で急性心筋梗塞自体の症例数が減り、またその間にステント治療が症状改善以外にはあまり寄与しないことが明らかになった。ところが、そういう覚悟を持った先生達は自身の「覚悟」に縛られる余り、患者さんに最適な治療よりも、自身が施術するための理由を探すことに躍起になっている。今後同じことがカテーテルアブレーション、ストラクチャー心疾患の領域で起こって来るだろう。

これは何も医療の領域に限った事ではない。人生を捧げられるもの、これだと思う事を必死に探している人は世の中にたくさんいる。そういう人たちを見ていて思うのは、「何かを始める理由付け」にあまりにも多くの労力を割き過ぎだということ。また、一度決めた理由付けに縛られ過ぎだということ。まずは面白くなくても興味がなくても、与えられたこと、自分が必要とされることをやってみる。その積み重ねの中で自分が本当にやりたいことが見えて来たり、あるいはそんなもの一生見えなくても自分が歩いて来た道に後付けで理由をつけるのも大いにアリ、だと思う。僕自身の往診医のスタート地点としては「研究は大好きだし続けたい」が、「地域医療に一生を捧げる覚悟はない」が正直なところであった。だが、ご縁を頂き地域医療を始めてみて、これまで以上に自分が必要とされていることを感じるし、それに必死に応えているうちに地域が抱える課題や、患者さんが本当に必要としているものが徐々に見えて来た。それを何とかしたい、と作戦を練っているのが現状だ。うちのクリニックの院長が掲げる"Do not start from WANTS. Let's start from NEEDS."の精神で、あまり「地域医療に身を捧げる覚悟で」というような重たい物は背負わず、でもそういう覚悟を持った人たちよりもよりsuper coolな仕事を結果として残して行きたいと思っています。

アントニオ猪木『道』の精神で(原作は清沢哲夫氏)。

「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ。行けばわかるさ」

ありがとーーー



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