見出し画像

【随筆】2024年の正月 -4- プロトコル的、プロタゴラス的、

 冷たい風が、私の心を暖めた。
 一月にしては暖かい、というのは例年に比べということであり、皮膚には冷たく感じられた外の空気が、しかし私の心を和らげた。

 コンビニのアイスクリームは品揃えが頻繁に変わる。夏と冬とではかなりの違いがある。ゆっくり溶けるバニラアイスが、熱に苦しむ妻の気持ちを緩めてくれるとよいのだが。そう思いながらの帰宅。ぬるいコーヒーを飲んだ。

 冷たいあついということは、人それぞれに意味をもつものだろう。その人毎の体験が、その時その人にとっての本当となる。またその意味がもつ価値も人それぞれで、それが良いものであったり悪いものであったりするわけだ。妻は冷たいアイスを求めたが、私は熱いコーヒーが欲しかった。

 冷たくともあつくとも、好ましくとも悪くとも、とにかく何かを受け取って、私たちはそこに価値をみているようで、そうした地面の上に立っているのだということ。あたりまえの約束のうえで、それぞれの世界を生きているということ。意味があるよりもっと手前の、意味があるということ。

 哲学者ではあるまいし、あたりまえのことをむずかしく考えて頭が熱をおびてきたとき、私は堅い塊を踏みつけて思わず飛び上がった。足元には子どものおもちゃが散らばっていた。こうした痛みも、時に心地よい―――そんな風にはさすがに思えず、子どもと居間を片付けた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?