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あたりまえの再考



「当たり前」とはなにか。

自分のあたりまえ、
家族のあたりまえ、
学校のあたりまえ、
会社のあたりまえ、
お店のあたりまえ、
季節のあたりまえ、
日本のあたりまえ、
世界のあたりまえ、
地球のあたりまえ、

考えれば考えるほど「何があたりまえ」なのかわからない。

知らないうちに、
慣れてしまって、
別の選択肢や考え方が無限にあるのを、
見えなくなりがち。

無理して頑張るんじゃなく、

「ふっ」と力を抜けたり、緩んだりする時に、
「あたりまえ」の外の世界に行ける気がする。

最近体験した事柄から、、、

ずっと行きたいと思ってたお店に先日やっと辿り着けた。
お店の目の前の枝垂れ梅が綺麗で見とれた。

毎朝ランニングする緑地の脇道に、
「ふっと」咲き乱れる枝垂れ梅をみつけた。

「なんか、こないだ見た梅に似てるな。」と、
走る足を止めて見返すと、先日やっと行けた、
ずっと行きたいと思ってたお店があった。


毎日通る場所のすぐ近くに、
ずっと行きたいと思ってたお店があった。

「なんだ、ここなんだ。」
あたりまえの外に出た瞬間。

「あたりまえ」をまた考え直したい。
そう思う春のはじまり。

今日もお読みいただきありがとうございました。


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