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自由な表現に触れるほど、人は自由になっていく

何かを「発表する」って 
本当に尊い行為だな。と思うのです。

ちょっぴり勇気がいるでしょうが、
発表してくれる人が放つエネルギーは

間違いなく、
必要な人に
必要な形で
届くものだと思っています。

文章でも
絵でも
音楽でも
ダンスでも

人の心が動くのは
決して完璧で正確な作品だからじゃない。

昨日、息子が通う音楽スクールの発表会で
改めてそんなことを感じました。

緊張しない?と聞いたら「だいぶ慣れた」って。
私の方がいつも謎に緊張(笑)
「なんで?」と突っ込まれるが、
母はいつも祈るような気持ちなのだよ!


どの発表もジーンとしたりグッときたり。

私自身は音楽に疎いので
上手い下手も全く分からないのですが
どの発表も本当に素敵でした。

この日を迎えるまでに
時間やお金だけじゃなく
体を使い、心を揺らしながら
掛けてきたエネルギーが

音の振動とともに熱となって伝わり
心をあったかくする。

聞いているのは音だけど
音だけじゃない。

その音と響きあうことで、なんだかすごく
ピュアな状態に浄化されたような感じがしました。

結局、人の本気が
1番人の心を打つし、

内から溢れる自由な表現が
聴く人の心を自由にするのだと思う。

私としては、彼が舞台に立ち
動いている姿を見るだけで大満足。
成長を見せてくれてありがとう。
大っきくなったなぁ。と思うだけで嬉しい。



noteでの表現も
一緒だな。と思った。

言葉は音だから。
自分の肉体を通して奏でる音。

うまく書くことや
テクニックを使いこなすことだけが
大事なわけじゃない。
工夫は必要でも、
囚われすぎない。

自分の中に流れる
リズムを
音を
大切にすればいいじゃないか。

今回の皆さんの発表から
私はそんなメッセージを
勝手に受け取りました。

「もっと自由でいい」


受け取り手は、
その時の自分に
ピッタリなメッセージを
必ず受け取る。

たとえ、
発した側の意図しないものであったとしても。
ちゃんと必要なものを受け取っていくのだ。

終わった後は和牛まぶしでお疲れ様会。




思えば幼稚園の時、園長先生が
「リズム感がすごく良い」
と息子を褒めてくださったことがある。

その頃には太鼓の達人が大好きで
嬉しそうに叩いていた。
(因みに2022年は超人)

「ドラムやってみる?」
と軽い気持ちで体験に連れて行ったのが
4年生だったかな?

5年たった今も
変わらず楽しそうに叩いています。

リズムを刻むのがほんとに好きなんだろうな。
と彼を見ていると感じる。

だって何時間でも叩いているんだもの。
もちろん、
上達したいという気持ちもあるだろうが。

がむしゃらに頑張っているというよりも
自然にやってるんだよね。

好きだから得意になるのか
得意だから好きが増すのか
わからないけど、

自然とそこに時間をかけている。
掛けているから上達する。
というのはよくわかる。

将来役に立つのかどうか
と言われたら、
何の役にも立たないかもしれない。

でも、
好きなことを存分に楽しんだ、追及した。
その時間こそが豊かで

この経験そのものが
ドラムじゃなくても
きっと彼の人生の糧になるのだと思う。


彼に向けた言葉は
私に
あなたに
向ける言葉と同じだ。

世界って面白い。


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