それぞれの話(0)

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空白だった。

始めはひとつの着想からだった。すべてを捨ててみよう。そして(もし何かしらそこに残るものがあるのなら)残ったものが僕なのではないか。

捨てるもの。まずは物質的なもの。使用しているデバイス。もう着ない服。家具。家。それから、非物質的なもの。仕事。人間関係。社会的信用。信念。

そう。信念。僕がこの計画を実行に移したのは全てを捨てた時に僕の中に新しい信念が立ち上がってくるのではないかという期待からだった。そしてその信念を持つ僕は新しい僕であり。真の自己と言えるのではないか。

全てを捨てた後、僕は都市の裏路地(数世代前に廃棄された区画)に住んだ。食糧はゴミから漁った。そうして僕はほとんど何も持たずに生きることが出来た。

この生活を始めてから2年、ようやく僕は僕自身、つまりやるべきことを見つけることが出来た。

それは井戸を掘ることだった。


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政府からの要請は厳しさを極めていた。初めは国家を守る為という使命の元必死で働いた。勿論、ここは政府直属の研究機関であり、政府から降りてきた仕事は真っ当にこなさなければならない。しかしそれでも、僕は他の上席研究員と比較しても熱心に働いていたと思う。仕事に疑問を抱き始めたのは数ヶ月前からだ。僕が熱心に仕事をすればするほど仕事の内容は規模が大きく、難易度の高いものとなった。仕事内容の傾向は対市民対から対環境へと変化していった。直近の最優先研究事項は気候のコントロールだった。

気候のコントロール。最終目標は各地点の各時間帯の温度、湿度、降雨量、日照量を全て管理することだった。このプロジェクトを成功させる為には大気中の各分子の相対的量と位置を把握するシステムを作り、コントロールしなければならない。プロジェクトはおそらく実行可能だ。計画段階で実行までのプロセスに何も問題のないことは計算機が証明している。それでも僕はここに疑問を挿し挟まずにはいられない。気候のコントロール?このプロジェクトを成功させた時、僕に次に与えられる仕事はなんだろうか。


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彼の死体と対面した時、それが彼とは分からないはずだった。遺体は腐敗し、ほとんど白骨化していたから。しかし、私が彼に与えたシルバーのリング(それは彼の右手の中指に嵌っていた)が彼が彼であることを証明していた。私は彼にリングをプレゼントしたことを後悔した。そうすればこの死体は身元不明の訳のわからない肉塊で、私は彼の死と向き合うことはなかっただろうから。

本人確認の手続き(一枚の紙に自分の名前を書くだけだ)を終えた後、私は当局の説明と聞くともなく聞いていた。彼の死の経緯について。正直そんなことはもうどうでも良かった。彼はもういない。

彼は2年前に死んでいた。遺体は郊外、廃棄区画の井戸の底から見つかった。死因は解剖の結果を待たなくては正確なことはわからないがおそらく絞殺。犯人は現在捜査中。しかし、それは難航を極めるだろう。生前親しかった人物として是非調査協力を依頼したい。なにしろこれは重大な事件なので。

早くこの場から去りたいという気持ちに何かが引っかかるように食い込んだ。井戸?どうして井戸がある?私は生まれてこの方、井戸というものを実際に見たことがない。辞書上の意味としての井戸しか知らない。そもそも井戸なんてものが存在するのだろうか。ありえない。

私は調査協力を断った。私は私自身がやるべきことを見つけたから。


(0)終わり


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