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シリアルキラー総集編!

今回はシリアルキラー系記事の総集編をします!
ぜひ見ていってください!

デビット・バーコウィッツ サムの息子

サムの息子

デビッド・バーコウィッツの生い立ちと家族環境

デビッド・バーコウィッツは、1953年6月1日にニューヨーク州ブルックリンで生まれました。彼は生後間もなく、養父母のバーコウィッツ夫妻(Nathan and Pearl Berkowitz)によって養子として引き取られ、デビッド・バーコウィッツという名前に改名されました。彼の養父は商人で、母親のパールは家庭主婦でした。デビッドは幼少期から孤独感を抱えており、特に母親の亡くなった後は精神的な不安定さを深めました。

パール・バーコウィッツの死後、デビッドは養父との関係がさらに疎遠になりました。彼は学校でも孤立し、いじめに遭うことが多かったとされています。このような環境で育ったことが、後の彼の精神的な問題と社会的孤立感につながったと考えられています。

軍隊時代と除隊後の生活

高校卒業後、デビッドは1971年にアメリカ陸軍に入隊しました。彼は韓国に配属され、ここで射撃の訓練を受けました。陸軍生活中、彼は模範的な兵士として振る舞いましたが、その一方で内面的な問題は解消されず、孤独感や不安定な感情は引き続き彼を苦しめました。

1974年、デビッドは陸軍を除隊し、ニューヨーク市に戻りました。彼はしばらくの間、郵便配達員として働いていましたが、同時に精神的な問題を抱えていたことが友人や同僚によって証言されています。彼の奇行や異常な言動が目立ち始め、彼の周囲の人々は彼に対して警戒心を抱くようになりました。

犯罪の開始と「サムの息子」事件

デビッド・バーコウィッツの犯罪活動は、1976年にニューヨーク市で始まりました。彼は主に夜間に.44口径のリボルバーで若いカップルを襲撃しました。彼の最初の犯行は1976年7月29日、ブロンクス区でダナ・ロリアを殺害し、ジョディ・ヴァレンテを負傷させた事件です。これが「サムの息子」事件の始まりでした。

その後も彼の攻撃は続き、彼は主に.44口径のリボルバーを使ってカップルを狙い撃ちしました。彼の攻撃はブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、そしてマンハッタンで行われ、ニューヨーク市全体に恐怖を広めました。彼の犯行現場ではしばしば彼の手紙が見つかり、これらの手紙には神秘的な内容や「サムの息子」という署名が含まれていました。彼はこれらの手紙で自分を悪魔の使いとして描き、さらなる犯行を予告することもありました。


手紙に描かれたサムの息子のシンボル

逮捕と裁判

デビッド・バーコウィッツは1977年8月10日にニューヨーク市内のアパートで逮捕されました。逮捕は、彼の車の駐車違反を調査していた警察官が彼の車内から.44口径のリボルバーを見つけ、それが彼の犯罪と関連していると確信したことから始まりました。彼は逮捕後、詳細な自白をし、自分が「サムの息子」であると認めました。

1978年、デビッド・バーコウィッツは一連の殺人と攻撃に対して有罪を認め、懲役365年の刑を言い渡されました。彼は裁判中もしばしば奇行を繰り返し、精神鑑定の結果、裁判に参加可能であると判断されました。

刑務所での生活と改心

デビッド・バーコウィッツは1987年にキリスト教徒として洗礼を受け、その後は刑務所内でキリスト教の信仰に基づいた生活を送っています。彼は刑務所内で多くの手紙を書き、キリスト教のメッセージを広める活動を行っています。彼は自身の過去の犯罪行為に対する深い後悔を表明し、被害者やその家族に対して謝罪の意を示しています。

彼は刑務所内での精神的な成長を経験し、自分自身を「サムの息子」から「神の息子」(Son of Hope)と称しています。彼は仮釈放の申請を繰り返していますが、これまでに全て却下されています。彼は刑務所での平穏な生活を受け入れ、キリスト教の信仰を支えにしています。


神の息子

結論

デビッド・バーコウィッツの人生と事件は、アメリカの犯罪史において特筆すべきものです。彼の生い立ちから始まる孤独感と精神的な問題、そしてその後の犯罪活動は、彼がどのようにして「サムの息子」として知られるようになったかを明らかにします。彼の逮捕後の改心と信仰の道は、彼の人生の新たな側面を示していますが、彼の犯罪がもたらした深い悲劇は決して忘れられることはありません。

ジェフリーダーマー ミルウォーキーの食人鬼

一番上

今回はジェフリーダーマーの人生を紹介します。
※猟奇的な文言が含まれます。苦手な方の

ジェフリー・ダーマー(Jeffrey Dahmer、1960年5月21日 - 1994年11月28日)は、アメリカ合衆国の連続殺人犯であり、1978年から1991年にかけて17人の男性を殺害し、残虐な方法でその遺体を処理したことで知られています。彼の人生は、幼少期の孤独感、青年期の精神的混乱、そして成人後の凶悪犯罪へと続く暗い軌跡をたどりました。

幼少期と家庭環境

ジェフリー・ライオネル・ダーマーは1960年5月21日にウィスコンシン州ミルウォーキーで生まれました。父親のライオネル・ダーマーは化学者であり、母親のジョイスは家庭に入っていました。幼少期のジェフリーは比較的普通の子供でしたが、幼少期に一度ヘルニアの手術を受けた後、彼の行動に変化が見られるようになりました。

幼少期から動物に対する強い興味を示し、特に動物の骨格や解剖に魅了されていました。これが後に彼の犯罪行動に結びつくことになります。家庭内では、両親の頻繁な口論や母親の精神的な問題があり、ジェフリーは孤独感を深めていきました。

青年期の孤立と精神的混乱

青年期になると、ジェフリーはさらに内向的になり、学校でも孤立するようになりました。高校時代にはアルコール依存症になり、授業中でも飲酒することがありました。この時期に同性愛に目覚めますが、当時の社会的な圧力や自身の混乱からそれを公にすることはできませんでした。

1978年、高校を卒業したジェフリーは、父親の提案でオハイオ州立大学に入学しますが、わずか一学期で中退します。その後、父親に強制される形で米軍に入隊しますが、ここでもアルコール依存が問題となり、結局1981年に除隊されました。

最初の殺人

ジェフリーの最初の殺人は1978年6月18日に起こりました。彼は19歳の時に、オハイオ州バスコで19歳のスティーブン・ヒックスを車に乗せ、自宅に誘い込みました。ヒックスを殺害し、その遺体を解体した後、骨を砕いて廃棄しました。この事件は、ジェフリーが後に犯す一連の凶悪犯罪の始まりとなりました。

犯行のエスカレーション

ジェフリーの犯行は1987年に再び始まりました。彼はミルウォーキーに戻り、そこでゲイバーやバスハウスで出会った男性をターゲットにしました。彼の犯行手口は、被害者を麻痺させ、性的暴行を加えた後、殺害し、遺体を解体するというものでした。彼は遺体の一部を保存し、時には食べることもありました。

逮捕と裁判

1991年7月22日、ジェフリー・ダーマーは最終的に逮捕されました。逃げ出した被害者の一人が警察に通報し、ダーマーのアパートに踏み込んだ警察は、凄惨な証拠を発見しました。彼のアパートからは、解体された遺体の一部や写真、そして保存された人体の一部が見つかりました。

1992年1月30日、ダーマーは15件の殺人罪で有罪判決を受けました。裁判では、彼の精神状態についての議論が行われましたが、最終的に彼は精神的に責任能力があるとされ、終身刑を言い渡されました。

刑務所での生活と死

刑務所でのダーマーは、他の囚人との間でトラブルを起こすことが多く、何度か攻撃を受けました。1994年11月28日、コロンビア修正施設で清掃作業中に、同じ囚人のクリストファー・スカーヴァーによって殴打され、死亡しました。

影響と後世への影響

ジェフリー・ダーマーの犯行は、その残虐性と異常性から世界中に衝撃を与えました。彼の事件は、犯罪心理学や精神医学の研究においても重要なケーススタディとなり、彼の行動の背景には何があったのかを探る多くの研究が行われました。

ダーマーの人生と犯罪は、書籍、ドキュメンタリー、映画などで広く取り上げられており、その影響は今なお続いています。特に、被害者やその家族への配慮を欠いた報道やフィクション作品に対する批判も多く、犯罪被害者の権利やメディアの倫理についての議論が喚起されました。

ジェフリー・ダーマーの人生は、家庭環境、社会的孤立、精神的混乱が結びつき、最終的に凶悪犯罪へと至るという、非常に複雑で悲劇的なものでした。彼の犯行は、単なる一個人の異常行動という枠を超えて、現代社会の病理や精神疾患の問題を浮き彫りにするものであり、今後も研究と議論の対象であり続けるでしょう。

テッドバンディ シリアルキラーという言葉は彼を表すために作られた

テッド・バンディ(Ted Bundy、本名:セオドア・ロバート・カウエル、1946年11月24日 - 1989年1月24日)は、アメリカ合衆国の連続殺人犯であり、1970年代に複数の女性を残虐に殺害したことで知られています。彼の生涯と犯罪について、詳細に紹介します。

幼少期と家庭環境

テッド・バンディは、1946年11月24日にバーモント州バーリントンで生まれました。母親エリノア・ルイーズ・カウエル(ルイーズ)は当時未婚であり、テッドの父親の正体は不明です。ルイーズは、未婚の母親としてのスティグマを避けるため、テッドを祖父母の家に連れて行き、彼を自分の弟として育てることにしました。テッドは祖父母のもとで育てられ、祖父を父親、母親を姉と信じていました。

祖父サミュエル・カウエルは暴力的で短気な性格であり、しばしば家庭内で暴力を振るっていました。一方、祖母エレノアは鬱病を患い、時折入院していました。このような家庭環境の中で育ったテッドは、幼少期から感情の表現や人間関係に問題を抱えるようになったと言われています。

学生時代と初期の犯罪行為

1965年、バンディはワシントン大学に入学し、心理学を専攻しました。彼は大学で魅力的で社交的な学生として知られ、多くの友人や恋人を持っていました。彼はまた、共和党の政治活動にも積極的に参加し、政治家としての将来を夢見ていました。

しかし、バンディは裏では犯罪行為を行っていました。彼は覗きや窃盗といった軽犯罪を繰り返しており、その後の連続殺人犯としての行動の前兆となっていました。彼はまた、心理学の知識を悪用し、女性を操る方法を学んでいました。

最初の犯行とエスカレーション

バンディの最初の殺人は1974年に行われました。彼は女性をターゲットにし、彼女たちを誘拐、暴行、殺害するようになりました。彼の手口は巧妙で、しばしば腕を骨折したふりをして女性の同情を引き、車に乗せてから襲うというものでした。バンディはまた、警察や捜査官を欺くために様々な変装をし、偽名を使用していました。

彼の犯行は1974年から1978年にかけて続き、最終的には少なくとも30人の女性が犠牲となりました。彼の犯行は、ワシントン州、ユタ州、コロラド州、フロリダ州など複数の州で行われ、広範囲にわたる捜査が行われました。

逮捕と脱走

1975年、バンディはユタ州で最初に逮捕されましたが、その後2度脱走します。最初の脱走は1977年6月、ユタ州アスペンの裁判所からのものでした。彼は裁判所の図書室から窓を通じて逃げ出し、6日間の逃亡の後に再逮捕されました。2度目の脱走は1978年12月、コロラド州グレンウッドスプリングスの刑務所からのものでした。彼は刑務所の天井を通じて逃げ出し、フロリダ州へ逃亡しました。

フロリダでの犯行と最終的な逮捕

フロリダ州に逃亡したバンディは、再び犯行を重ねました。1978年1月15日、フロリダ州立大学のチ・オメガ寮で4人の女性を襲い、2人を殺害しました。その後、彼は12歳の少女キンバリー・リーチを誘拐・殺害し、この事件が彼の最終的な逮捕の決め手となりました。彼は1978年2月15日にフロリダ州ペンサコーラで逮捕されました。

裁判と処刑

バンディの裁判は全米で大きな注目を集めました。彼は自らを弁護するという異例の行動をとり、裁判中も一貫して無罪を主張しました。しかし、証拠や証言により、彼の罪が明白となり、1980年に3件の殺人罪で有罪判決を受けました。彼は死刑を宣告され、1989年1月24日、フロリダ州レイフォードの刑務所で電気椅子によって処刑されました。

バンディの心理と影響

バンディは、自身の行動について多くの心理学者や犯罪学者によって研究されています。彼の魅力的な外見と知性、そして冷酷な犯罪行為のギャップは、連続殺人犯の研究において重要な事例となっています。彼の犯行は、多くの書籍や映画、ドキュメンタリーの題材となり、犯罪学や心理学の分野で広く研究されています。

テッド・バンディの生涯は、犯罪心理学や法医学の研究において重要な事例であり、彼の行動や心理についての研究は現在も続けられています。

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アイリーンウォーノス 「また帰るんだよ。戻ってくるからね」

こんにちは!今回は女性シリアルキラー「アイリーン・ウォーノス」について解説します。

アイリーン・ウォーノス(Aileen Wuornos)は、アメリカの女性連続殺人犯で、1956年に生まれ、2002年に死刑が執行されました。彼女の人生は非常に困難で悲劇的なもので、犯罪歴と彼女の背景には深い関係があります。以下に彼女の人生について詳しく説明します。

1. 幼少期と家庭環境

  • 出生と家庭背景: アイリーン・ウォーノスは1956年2月29日、ミシガン州ローレンスに生まれました。母親のダイアンは若い頃にアイリーンを出産し、父親は彼女が生まれる前に家族を去りました。ウォーノスの両親は不安定で、母親は精神的に問題を抱えていたとされます。

  • 育児と養子: アイリーンは幼少期に養子に出され、再婚した養父母のもとで育てられました。しかし、養父母との関係も問題が多く、特に養父からの虐待があったとされています。

2. 若年期と犯罪

  • ティーンエイジャー時代: ウォーノスはティーンエイジャーの頃から問題行動が多く、学校を中退し、様々な小さな犯罪に関与しました。性的なトラウマや貧困が彼女の行動に影響を与えた可能性があります。

  • プロの仕事: 若いころにはストリップクラブで働いたり、性的なサービスを提供したりして生計を立てていました。このような仕事は、後の犯罪行為に影響を与えた可能性があります。

3. 犯罪歴

  • 殺人事件: 1990年から1991年にかけて、ウォーノスは7人の男性を殺害しました。彼女は自分が性的な暴力から逃れるために殺害を行ったと主張しましたが、殺害の動機には金銭的な利益もあったとされています。彼女の証言は一貫しておらず、殺人の動機についての詳細は不明確な部分が多いです。

  • 逮捕と裁判: ウォーノスは1991年に逮捕され、1992年に裁判にかけられました。裁判では、彼女が7人の男性を殺害したことが認定され、死刑判決が下されました。彼女の精神状態についても議論がありましたが、最終的には死刑が確定しました。

4. 精神状態と社会的背景

  • 精神的な問題: アイリーン・ウォーノスは、精神的な問題やトラウマがあったとされています。彼女は精神病を抱えていた可能性があり、そのことが犯罪行為に影響を与えたと考えられています。彼女の精神状態は、裁判や公判で大きな議論を呼びました。

  • 社会的な状況: 彼女の生い立ちや生活環境は非常に厳しく、貧困や虐待、社会からの孤立が彼女の行動に影響を与えたとされています。また、彼女の犯罪行為は、社会的な問題や制度の失敗が関与している可能性もあります。

5. 刑期と死

  • 死刑執行: アイリーン・ウォーノスは2002年10月9日にフロリダ州で死刑が執行されました。彼女の死刑執行は、アメリカの犯罪と刑罰に関する議論を再燃させました。彼女の死刑執行に対しては、彼女の精神状態や社会的背景を考慮すべきだという意見も多くありました。

  • メディアと文化: ウォーノスの生涯と犯罪は、映画やドキュメンタリーなどで取り上げられ、広く知られるようになりました。特に2003年の映画『モンスター』は彼女の人生を基にしており、多くの人々に彼女の物語を伝えました。

アイリーン・ウォーノスの人生は、犯罪とその背後にある複雑な社会的要因を理解する上で重要なケースとなっています。彼女のストーリーは、社会的な支援や精神的なケアの重要性についての警鐘を鳴らしています。
タイトル、「また帰るんだよ。戻ってくるからね」は
最期の言葉を切り抜いたもの。

「あたしはこれから航海に出るけど、『インディペンデンス・デイ』って映画みたいに、イエス・キリストと一緒に母船に乗って帰ってくるよ。6月6日にね。また帰るんだよ。戻ってくるからね」

シリアルキラーの名言集

◼️前置き

こんにちは!Tomo8erです!
今回はシリアルキラーの名言を紹介していきます!
本当はペーターカーテンやアーサーシャウクロスなども紹介したかったのですが…
(一部人により不快になる言葉が含まれています。ご注意ください。)


◼️名言集

ジェフリー・ダーマー

ジェフリー・ライオネル・ダーマー(ジェフリーダーマー)

17人の男性をさつがいし、食人したシリアルキラー
「バラバラになった彼こそが、本当の彼のように見えた。」
「1番美味しかったのは、上腕二頭筋。ほら、ここの肉だよ。」
「死体の一部でもあると部屋に仲間がいるようで、孤独の苦しみを忘れることができたのです」
「ゾンビが出来るんじゃないかと試してみたんだ。そしたらずっと一緒に居られるじゃないか」

アルバート・ハミルトン・フィッシュ(アルバートフィッシュ)

アルバート・フィッシュ

400人以上の子供を食べたと言われているシリアルキラー

(手紙にて)「オーブンで焼いた彼女の小さなお尻の、なんて甘美で柔らかだったことでしょうか。彼女の全部を食べるのに9日間要しました。」
「特に生きることにも死ぬことにも興味が無い」
(神から子供を食べる教示を聞いた)
「いついかなる時でも、私は子供を憎いと思ったことは一度もない」 
「いつも私は他人に苦痛を与え、また他人が私に苦痛を与えてくれることを望んでいました。
苦痛を受け入れることは何であれ、とても愉しいものでした。
同時に苦痛を与えたいと云う欲望、それも膨らんでいきました」 
(電気椅子に対する取材に対して)「楽しみだよ。人生で一度しか味わえない最高のスリルだからね。」
(最期の言葉)「なぜ、私がここにいるのかわからない。」

アイリーン・ウォーノス

アイリーン・ウォーノス

1989年から1991年にかけて7人の男性をさつがいしたシリアルキラー

「ありがとよ、これであたしは天国に行ける。あんたたちは地獄で腐るがいい。」
「私は連続殺人犯です。 私は再び殺すだろう」
「私は、この男性らを冷血に殺したと世界中に知ってほしい。ずっと長い間、人間が憎くてたまらなかった。私はシリアルキラーである」
(最期の言葉)「あたしはこれから航海に出るけど、『インディペンデンス・デイ』って映画みたいに、イエス・キリストと一緒に母船に乗って帰ってくるよ。6月6日にね。また帰るんだよ。戻ってくるからね。」

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ここからはテッド・バンディ、アンドレイ・チカチーロ、ジョン・ウェイン•ゲイシーなど...

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