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教育って何か?次世代に何をすることが必要なのか?母として教育に関わる者として。

私は二児の母であり、
教育に携わる人間でもあります。

たくさんの教育にまつわる情報にあふれる現代ですが、
まだ社会に出ない子供や学生にとって
何を育む必要があるのだろう?
と考えおり、
今の段階で見えてきたものを
書き残しておこうと思います。

そもそもなぜ教育をするの?

そもそも
なぜ教育をするのかと考えると、
「共同体としての存続」と
「個人の幸せ」のため?
と今のところ考えています。

共同体の存続なくして、
個人の幸せを叶えることは難しいと思うので、
〈幸せに生きるために〉
教育が施されているのだと考えます。

幸せの定義は人それぞれ、
文化や時代背景によっても異なると思いますが、

現代において、
幸せに生きるために必要なことは、

自分の幸せが何かを考える力と、
それを実現できると思える心
のように感じます。
(他にもあると思いますが、まずはこの2つを)

幸せを阻害する教育とは?

しかし、幼少期に
与えられた知識を覚えることをよしとされ、

自由な自己表現をして場にそぐわないと叱責され、 

大人の言うことに従い、
聞きわけのいい素直な子が称賛され、

自分の疑問や怒りをぶつけ、
反発するとダメなものとして扱われる。


このような感覚が植え付けられると
言われたことに疑問を持たず従い、
「正しい道」を歩き続ければ
とがめられず称賛される人生になる!
と無意識に思ってしまうのも無理はないと思います。

知識を得ることも、
ぶつかる経験も、
相手の快・不快を察知する能力も
どれも必要です。

しかし、
「〇〇するべき」
となったとたん、
正しい世界があり、外れてはいけない
という感覚が生まれてしまうのではないでしょうか?

就職活動時期に何をしたいのかと聞かれても
「決められた道を進むように」
と言われてきたのだから
わからない人が多くなるのは無理ありません。

社会に出て、
周りの期待に応えるために頑張っているのに、
満たされない人が増えてしまうのも
無理はありません。

やりたいことがわからない人が増えるのは
構造上当たり前なのだと思います。


人間は本能的に
自分を活かして
誰かの役に立ちたいし、
認められたい欲求をもった生き物です。

自分の幸せだけを考えて、
人に迷惑をかけても全く気にしない
なんて人はいないのだと思います。


自ずと
自分の幸せややりたいことを考えていった先には、
(すぐに生まれなくても)
誰かに何かをして喜ばせたい!
の気持ちが出てくるはず。


相手を信じ、
相手の中にある内在化されているものを
顕在化させてあげることを丁寧に行う、
その顕在化された意識をジャッジせず、
相手の本当の願いを一緒に見ていく、
そんなスタンスが必要なのではないでしょうか?

親や先行くも者として何を行えばいいのか?

親や教育者、少し先行く者は、
ただ、知識を詰め込んだり、
正しい道を躍起になって歩かせようと
〈させる〉のではなく、

その人の中にあるもの引き出し、
自覚的になるようにサポートすること、

失敗も経験させながら
学んでいけるようにサポートすること、

「あなたなら大丈夫」
と誰よりも信じ続けること、

が必要なのではないかと感じます。

失敗した後の痛手は親や教育者も食らうので
先回りして失敗させないように
〈させる力〉を発動したほうが
ラクなことも多いです。

させることに躍起になってしまい、
従わない子へのいら立ちが生まれ、
衝突が発生してしまうことも多々あります。

さらには、
子供の経験やそこからの学びを
奪ってしまうことになりかねない。

結果的に大きな副作用が
生まれてしまうのだと思います。

だから、親として先行く者として、

相手の失敗や痛みを受け止められるだけの
器の大きさと、

相手を誰よりも信じられるようになるために
私が自己信頼を持てる状態でいること、

そして、相手の中にあるものを出してもらえる
信頼関係と私が前に出ないスタンス

を大切にかかわることが
必要なのではないかと感じています。

どの内容もなかなか厳しい道のりですが、
そんな「あり方」を目指しながら
少し先行く者として
次世代の人が幸福な人生を歩めるように
サポートしていきたいと思っています。

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