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無色透明な自分

note初投稿です。

noteというサービス自体は以前から知っていたが、一生関わることのないものだと思ってました。

というのも、このサービスを使っている人たちはTwitterを利用して、ネトナンで簡単に女の子とやれますとか、40代平凡な平社員が若い子と簡単にやれる方法など、胡散臭い情報をモテない男に売りつけているところしか知らなかったから。

でもいまこうしてnoteを使っている理由は、ラーメンとじゅきやが大好きな女の子に影響されたからだ。

ラーメンとじゅきやが大好きな女の子(以下、らじゅとする)は、普段思っていること、表では言えないことをたくさん綴っていた。

それはまあー文章の構成も上手で面白い!!
煽ってるように聞こえるけど本当にすごいと思った。

僕とらじゅでは、文章力に天と地の差があるが、
らじゅと同じように、普段表ではいうことのない本音を長々と書き残していこうと思う。

ここまで読んでくれた暇人さん、お察しの通り
僕は日本語が苦手で文章を書くことが本当に皆無なので、我が子を見守るような温かい目で読んでください。

さて、表題の件ですが…

無色透明な自分、これはもう8年くらい前からずっっっと悩んでいる自分への永遠のテーマだ。

無色透明が意味するものは色々あるが、一言で言うと”個性”がない。

このテーマが始まったのは、中学の頃。
ともくんって地味だよねとか、普通だとか言われ続けてきた。
普通が1番いいよっていう人も多々いるけど、
僕は個性がある人、癖が強い人のことを羨ましいと思って妬んでいたし今もそう思っている。

22歳になった今でも、あの芸人のように「癖が強いんじゃ〜」と言われたい。
あの人の真似をして乱用している痛い大学生の
「癖が強いんじゃ〜(ニチャァ)」も全然ほしい、むしろください。

そもそも僕は大人数が苦手で、自分の意見を進んで言えるような性格じゃない。それなのに目立ちたがり屋な部分も心の奥底から手前くらいまである気がする。
その現実と理想のギャップが、普通すぎる自分を苦しめているに違いない。

自分が理想とする”個性”とはなにか

それは、社会規範や常識の範囲内で周りの目を気にせずありのままの自分でいられること。

それは個性なのか?とも思ったが、個人的に周りの目を気にして本来したいことが抑制されている部分がとても大きいと感じている。そのストッパーを気兼ねなく外せることができれば、自然体=”求める個性”になるはず…

自然体が普通だったら本当の普通人間として生きていく予定です。

長くなってしまうので、この辺で終わります。

結局はないものねだりの世の中なんだよなぁぁぁぁあ、周りに人間がいなくならない限り、僕の人に対する妬みは一生消えることがない。

こんな僕でも、存在を肯定し続けてくれて
遠慮なくキモいといってくれるらじゅにはとっても感謝してます

以上!


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