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辛いことはスパイスとかいうドM精神

2023年6月23(金) 鎌倉&由比ヶ浜
                   24(土) 江ノ島

お互い土日休みの社会人だったので、金曜日に有給を取得して三連休をつくった。

職場の人は明日も仕事なのか…と考えながら旅行を迎えてベッドに入る木曜の夜は最高の気分だった。

行きたいところ、スケジュールなど全く決めれないし決めたくない2人だったので旅行当日まで完全ノープラン。

「どこに行くかより誰と行くか」という言葉をよく聞くし…本当にその通りだと思うが完全にそれ頼みじゃまずい思ったので、待ち合わせ場所の新宿駅までにざっくり予定を決めようと血眼になって、なにで調べたか周りに言えないランキング第一位の〇〇k〇〇kというアプリを当然のように使った。

検索ワード「江ノ島鎌倉 観光」

いいね数の多い投稿ほど上位にあがってくる。
人気の投稿はやっぱり王道で気になるところも多いが、みんなこの投稿をみて同じ行動をしてると考えただけでちょっと萎えてくるし、悔しいし、なにより恥ずかしい。

王道な観光コースでいいのに、いいね数が少ない投稿を探してマイナーなところを攻めることになぜか固執してしまう。
売れたら推しを辞めるしょうもないファンと似たようなマインドがして少し嫌だ。

1泊2日あるが、初日はある程度行きたいところが決まったので少しホッとした気持ちで新宿駅に到着。

ノープランの顔をした彼女と合流し(旅館見つけてくれてありがとう)いざ鎌倉へ!!


[1日目 鎌倉]
ここからは長くなりそうなので印象に残ったスポットと感想をポンポンと書いていきます。

>昼ごはん 海鮮丼!(写真なかった)
鎌倉はしらすが有名らしい、好きでも嫌いでもなかったがしっかり美味しかったなり。
幸先はよかったが、海鮮丼でお腹いっぱいになってしまい鎌倉で食べ歩きをしないというイレギュラーコースになった。

> 銭洗弁財天

名前の通り、金貨やお札をお水で洗うところらしい。金運・財運がアップするとのことだ、行かないわけがない!
今回の旅行で食べたごはんはハズレ無しで全部おいしかったから、食運もアップしてたの違いない

ご利益満点の神社!
ちなみにこの神社で引いたくじは、凶と小吉。

> 銭洗弁財天に行くまでの道のりで

鎌倉駅から銭洗弁財天まで徒歩15分ほどかかると知り、タクシーを使おう…と頭をよぎったが、徒歩で行った。徒歩で行って良かった!

道中のトンネル(千と千尋のbgm流し中)

神社までの道中は、山、木、ぽつぽつと立つ家、トンネル、程よい坂道。全てが神秘的でジブリの世界に足を踏み入れたような感覚だった。

普段、人工物と人混みばかり目にしていたのもあるが、やっぱり自然の力はすごい。木の葉が擦れる音や波の音、焚き火のバチバチとなる音など疲れた時に自然の音を聴きたくなる理由について誰か調べてくださいお願いします。パチンコの確定音ももちろん好きだがそれとは違う脳汁?が出ていたと思う。

こんな非日常をずっと感じていたいと思って、「毎日旅行したいわ〜」と言ったら、「毎日旅行してたらそれに慣れちゃうよ、たまに行くからいいんだよ」的なことを言われて、ムッとした( ¯−¯ )こんな感情になった。
ありきたりなごく普通の会話だけどなぜかちょっと引っかかった。

毎日毎日仕事をして、嫌なこと辛いことがあって


それをやってきたからこそ非日常が際立ってより感動するし記憶にも残りやすい。確かにそれは重々分かっているが、好きで非日常を際立たせるために辛いことを嫌々やっているわけではない。

できることなら、毎日楽しい思いをしていろんなところに出かけて、だらだらして、お酒を飲みながらどうでもいい話をしていたい。そんな毎日を過ごしても旅行にいったら非日常だ!と感動できる人間になりたいですよ?

そう思うと、"人間の慣れ"は悪い意味の方が多いんじゃないか。慣れなんていらない!と思ったけど、朝から夜まで拘束される仕事は慣れないとやっていけない。

日々の辛い出来事は、たまに行く旅行や華金をより幸せにするためのスパイスとも捉えることができる。

それをポジティブとするのか、辛い日常を受け入れるための単なる現実逃避でしかないのか。

僕は、現実逃避をするドM精神論にしか思えない。(本当はポジティブになりたい)

とは言っても、両方の捉え方で生きていたとして、辛い日常を支える考え方には僕はできない。

そんなこんなで根暗すぎることを少し考えながら神社まで向かっていた。

でも、暑い中汗だくで神社に到着して、キンキンに冷えた缶ビールを飲んだ時、

「スパイス最高ー!!!!」と思ってしまった…

辛い出来事=暑い中、坂を登る
→それがあってビールの旨さがより際立つ。
この方程式が見事に合致した。

辛い出来事と書いたが、記憶に残るほど辛い出来事ではなかった。
その理由は間違いなく、「神社にいく」という明確な目標があったからだと思う。

これがもし仮に、どこに行くかも知らされず15分暑い中歩かされていたとしたら、ビールの旨さは一緒でも、道中の神秘的な風景をジブリのような世界だと感じれただろうか、辛いという感情はより大きかったのではないだろうか。

このノートを書いている時に思ったことは、
僕は人生や仕事に対して明確な目標がなく、どこに行くかも理解してないまま、辛い毎日を一歩一歩進んで処理しているんだと思った。
行き先を知らされない(決めない)まま歩いて、枯れて、それを週末潤す。

だから日常をスパイスとして捉えることができない(捉えたくない)んだと思った。

行き先を知らず、暑い、疲れたぁ、と思いながら下を向いて一歩ずつ進むか、ゴールを決めて納得した辛さで処理しながら前を向いて進むのか。

単なる暑い中の徒歩と、複雑な事情が絡み合う人生で比較対象にするのはおかしいけど、小さなことでも目標を設定して、納得した状態で辛さを受け入れて生きていけば、幸福感も精神状態も周りの見え方も変わるのではないか。

ちょっと何言ってるか分かんないと思う人や、薄っぺらい話と感じる人もいるかもしれないが、日々の辛さに対してこの考え方が自分の中で腑に落ちたので書きました。

>長くなってしまったので最後に
スパイスの話をしたかったので、もう満足!
他にも美味しい食べ物、景色、夜の海、旅館、温泉などなどいっぱいあるけど割愛します!
ほんとに幸せな旅行でした☺️

またいこうね。



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