「龍蛇神のお導き」(出雲の旅レポート②)
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<4月3日>
旭日酒造の酒米を作っている農家Mさんのところで友人のYさんと音楽家のBさんとともに1泊させてもらい、朝に下山した。この日は雨が降っていた。出雲は和歌山と違って、山の中でも木々が邪魔することなく空が開けていた。
車を走らせていると、両側に畑が広がる場所に出た。目の前には林が見え、その林を取り巻くように雲が広がっていた。その雲の様子を見て、Yさんが「雲の形を見て龍みたいって言ったりするけど、大抵は全然龍じゃないなって思う。けど、ここの雲は本当に龍みたいだよね」と言った。雲は右から左へ長く大きく広がっており、確かにその姿はたてがみを揺らして尾っぽで空を掻く龍のように見えた。
古代の出雲地域に存在した出雲族という種族には龍蛇神の信仰があり、龍蛇神は神々の先導役として出雲大社に祀られている大国主大神に仕えているという。導く役割を持つ龍。Yさんと見た龍の雲は、その出会いの意味を考えてしまうほど異様なゆらめきを放っていた。
それから無事に旭日酒造付近まで帰ってきた。そしてYさんに勧められて商店街内にあるマッサージ店へ行った。
そこのマッサージは推拿(すいな)という手技を用いており、肝・心・脾・肺・腎の五臓に対する施術を行っているとのことだった。元来、私はマッサージを受けるのが苦手だったが、その先生の施術はすごく気持ちよかった。
基本冷え性な私は、その日も手足が冷たくなっていた。そんな私の手足に触れて先生は「ひゃー冷たい」と言いながら「旅の疲れもあるだろうけど、胃が緊張していて、水のめぐりが良くなくて身体の上側に熱がこもっている状態ですね」と続けた。その他にもいろいろ言い当てられてしまったが、知らない知識をいろいろ教えてくれて、とっても楽しかった。
「私もマッサージをするんですけど、静かに集中してマッサージをしていくと、相手とも空間とも一体感を感じてトリップしちゃうんです」と話すと、先生は「私の場合はお客さんといろいろ話していく中で一体感を感じていくなぁ~」と話してくれた。他にも先生がマッサージを始めたきっかけやお店の体制についてや今考えてることを話してくれて、なんだか嬉しかった。
マッサージが終わってお店を出ると、ちょうどYさんとBさんが目の前に現れた。連絡を取り合っていないのに自然と合流できるのが出雲なのだ。そして、お昼をいただいたお食事処でもまたいろんなご縁がつながり、その後はYさんと海に行ったりして夕方まで過ごした。
夜には旭日酒造主催の食事会で、神戸の日本料理屋さん、尾道の蕎麦屋さん、博多の居酒屋さんの料理を、旭日酒造の杜氏さん、蔵人の方々、商店街のひとたち十数名と美味しくいただいた。
食事会では旭日酒造の杜氏さんと隣の席になった。杜氏さんは顔の肌艶がよく、やさしく落ち着きのあるいい声をしていた。まだ全然話していなかったのに、蔵仕事の体験に来た私をすごく歓迎してくれているようだった。
杜氏さんが帰る時に握手を求めると、しっかりと意志のある固い握手をしてくれた。しかし、その手はすごく荒れており、日々の蔵仕事の大変さを連想させた。荒れているにも関わらず、めちゃくちゃ力強い握手をしてくれたことが泣きそうなくらい嬉しく、とても衝撃的だった。
食事会は日付が変わった頃にお開きになった。会場にはYさんとBさんと私の3人が残っていた。YさんとBさんの興が乗り、暗闇のなか大音量で音楽を流し、さらにクジラの声音源を重ねてBさんが電子ピアノを弾くという即興DJイベントが始まった。それからますます夜は更けていき、気づけばSpotifyからの音楽は止み、Bさんとクジラのデュエットになっていた。Bさんの繊細なピアノの音にクジラの声が呼応していた。
その時間、私はYさんやBさんの、超自然的な感覚とその表現力に圧倒されたのだと思う。彼ら自身の身体を通して表現されるものがあまりに眩しくて、爆音が鳴り響く暗闇の中、なぜか必死にメモを取っていた。
結局その日はふたりよりも先に、深夜2時すぎに寝床についた。そして、朝起きると、スマホの画面には激しい内省が書かれた呪文のような文章だけが残っていた。そのほとんどは書いた覚えがなかった。今見返しても他人が書いた文章としか思えないほどだ。手足の冷えさえも自己否定の材料にし、ひどい落ち込み方をしていた。
しかし、今から考えるとこの落ち込みは私の出雲滞在に必要なことだったのだと思う。自身のフィールドワークの現場を再考するきっかけとなった。このことがあり、さらに残りの2日間の蔵仕事体験のなかで、私は人生で続けていく行いが何なのかようやく理解することができた。
9年前、ロバート・フリップが直接答えてくれた言葉。「世界に対して、見て、聞いて、たくさん迷いなさい。そうして28歳であなたはつかむだろう。そのときに続けていることを、それから先、あなたの人生で続けなさい」
この言葉を指針に生きてきた。予言通りだった。いまは身体から言葉が溢れてくる。次回はそれに至った流れを取りこぼさずに残してみたい。
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