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友達作りと人見知り。

大人になると人との出会いが減る、とよく聞く。
新しく交友関係を広げにくいということだ。

そうかなあ、と私は思う。

確かに同年代が同じ場所に集まって、同じ時間に同じことをして過ごす学生時代は、何もしなくても出会いがたくさんあって、友達が出来やすい。
会社の同期なんかもその延長の感覚かも。同期=友達になるのはごく自然だと思う。私自身は仕事とプライベートをがっつり線引きするタイプで、たとえよく話す同期でも会社の人と土日も会うとかは考えられないけど…。あ、でもカナダにいた時のバイト先の同僚とは、休みの日もご飯に行ったりして、完全に友達だったな。レストランだったから、会社!ビジネス!って感じじゃなくて、自分の中でいい感じにプライベートと仕事がごちゃ混ぜだったせいかもしれない。

カナダでの友達といえば、最初の頃はそれに頭を悩ませていた。

渡加直後から数か月、語学学校に通っていた。自分の英語力が無いことや元来の人見知りをゴリゴリに発揮していたこともあり、なかなか友達と呼べる人はすぐには出来なかった。クラスメイトはあくまでクラスメイトで、学校が終わったらバイバイ。学校が開催してくれるアクティビティもあったけど、なぜか当時の私はホームステイ先の晩ご飯を断ることが悪いことのように思えて、いつも参加せず早々に帰宅していた。
だから、カナダで生活し始めた当初はしょっちゅう「友達ってどうやって作るんだっけ…いやそもそも意識して”作る”もんだっけ…」と真顔で悩んでいた。
それでも、自分なりに頑張ってクラスメイトに話しかけたり、授業のグループディスカッションに積極的に参加したりして、最終的には友達と呼べる人達もできた。皆学校に通う期間はバラバラで、卒業と同時にそれぞれ帰国していったけど、今でもSNSでつながっている。

その後は前述したようにバイト先の同僚と仲良くなったり、meetup(自分の興味があることを一緒にやるコミュニティ)に参加したりして、少しずつ人と知り合う機会を増やしていった。

日本に帰ってきてからも、ダイエットのために運動しようと思い立った中で偶然、日本人と外国人が集まって一緒に運動を楽しむコミュニティを見つけた。そこに初めて参加してからもう3年半になる。用事があって行けないときは、来週は皆の顔が見たいなとそわそわするくらい、私の大事な拠りどころだ。ちなみに運動量を上回る食欲につき、ダイエット効果は皆無であることをここに告白します。(自業自得)

大人になると人との出会いが減る、という冒頭の言葉に私が首をかしげるのは、自分が興味あることをやってみたら、たいてい年齢国籍問わず楽しい出会いがあったせいかもしれない。

もちろん、全ての方法が上手くいくわけじゃない。
同じカナダでのmeetupでも、沢山の人と交流しましょう!みたいなやつに行ったときは、明らかに下心がある人とかパリピとかが多くてぐったりしたし、日本で参加したイベントで仲良くなれそうと思った人にマルチ商法の勧誘をされて(なぜか私はマルチに誘われやすい)悲しかったこともある。トライアンドエラーだ。
多分上手くいくポイントは、「友達を作ること」よりも、「自分が興味あるかどうか、1人でも楽しいと思えるか」を優先することなのかもしれない。

失敗もしつつ、たまに新しい人と出会うのが億劫になって休みもしつつ、気が向けばそんなことを繰り返す。
学校と違って年代や育った環境が全く異なる人達と出会えるから、大人になってからの友達作りもかなり楽しいもんである。
最近はこのパンデミックで、どこかの集まりに参加するって方法が使えないのが難しいところ。新しい人達と出会う機会がグッと減った。
オンラインとかもっと活用したら、また楽しい出会いもあるかな。
最近は、社会人になってから海外留学とかワーホリとかした/する人達ともっとつながりたいなと思っている。またSNSのハッシュタグ巡りとかしようかなあ。

こんな風に書くと、私は社交的な人間だと思われるかもしれない。

確かに人と関わるのは好きだ。色んな価値観に触れるのはすごく楽しい。
でもさっきも書いた通り、私は根っからの人見知り。一度打ち解けるとすごく相手になつくんだけど、それまでは笑顔でいても心に強固なバリアを張るという、柴犬みたいな性格をしている。いやあんな可愛さは全くないんだけど、柴犬もなかなかに警戒心が強くて、でもなつくとがっちり絆を結ぶらしい。共感しかない。
初対面の人ばかりの中に行くと、もう借りてきた猫になる。犬の次は猫。言葉のアヤということで。
でも沈黙しちゃうと気まずくていたたまれないから、初めて話す人とは思いついたことをとにかく喋って間を埋める。それが社交的に見えるらしくて、初めましての人に人見知りだと思われることはあんまりない。むしろ明るいとかフレンドリーだと言ってもらえることが多い。

鬼門は2度目、3度目ましての人。顔と名前は分かる、くらいの人と関係を深めるのがすこぶる苦手。初対面なら相手に関する情報は0だから「ご出身は…」的な基本事項の収集で場をつなげる。けど2回目や3回目の人だともうそういうネタは知っているわけで、何を話していいのか全然浮かばない。
話したくないわけでも、関係を深めたくないわけでもない。ただ、どうしていいか分からないのだ。ただそれだけの理由で、相手と話す機会を見送ってしまうことすらある。

あくまで自己診断であって正式な鑑定?とかを受けたわけじゃないんだけど、おそらく私はHSS型HSP(刺激追求型ハイリ―センシティブパーソン)というやつだと思う。
HSS型HSPの特徴はこれ。見事に全部当てはまる。

・新しいものが好きで飛びつくが、すぐに飽きてしまう
・外に出かけるのは好きだが、人混みや騒音などで帰ってからぐったりしてしまう
・周りからは明るく社交的で元気と言われるが、実はそうではない
・周りからは落ち着いていると言われるが、実は心の中で焦っている
・初対面で打ち解けるのは得意だが、だんだん疲れて距離ができる
・大胆な行動をとるわりに、些細なミスを引きずってしまう
・好奇心旺盛ではあるが、常にどこかで警戒している
引用元:https://coelog.chuden.jp/child-rearing/high-sensation-seeking-hsp/

ちなみに親しい人には、私が人見知りなことはもれなくバレている。バレるも何も、別に隠してるわけではないけど。
たまーに、まだそこまで付き合いが深くない人にも見抜かれることがあって、そういう時は「私のこと分かってくれてる…!」と謎に感動する。
一度、人に「根本、人のことも自分のことも信頼してないんだろうね」って言われてものすっごいぐっさり来た。怖いんだと思う、心を開くのが。あと、相手に良く思われたいっていうのもあるかも。いずれにせよ、相手と話してるとき自意識過剰になってるから人見知る(造語)んじゃないか。

前は、自分から「私人見知りだから…」と申告していた。
その「だから…」の後に続くのは、「コミュニケーションが下手だけど、あなたが嫌いとかそういうわけじゃないので許してください」という一言が省略されている。
でも大人になってからそれを言うのをやめた。相手に気を遣わせるし、なんだか「私は人見知りだからあなたが会話を盛り上げてください」っていう、相手任せの甘えにも聞こえるかなと思って。
だから頑張って気軽に話そうとするんだけど、どうしても緊張してしまう。
…「頑張って気軽に」って矛盾してるな。これを無意識に書いてる時点で色々間違ってる感満載だ。
そしてそういう緊張って相手にも伝わってると思うから、何だか居心地悪い空気を作ってしまっている気がする。

実は今日、それをやらかしてしまった。
久々に会った知り合いとの雑談が上手く出来なくて、ちょっと気まずい空気が流れた。私は彼女ともっと仲良くなりたいと思っているのだけど、久しぶりだったからテンションが迷子になって、反射的にまた沈黙しないための一方的な(しかも広がらない)トークをしてしまった。そして収拾がつかなくなって余計焦った。
その後も、彼女と他の初対面の子たちがいる中で話すチャンスがあったのに、何となくその輪に入るのに気後れして、いつも一緒にいる友達が帰るタイミングで私もその場を離れた。本当は時間に余裕があったから、そんなに急いで帰らなくても良かったのに。こういうとこだよなあ、と落ち込んだ。

人見知りってなかなか一朝一夕には直せないし、というかここまで来たらそもそも直るもんでもないんだと思うので、せめて仲良くしたい気持ちを伝えられるようになりたい。
これでも、私の人見知りは随分マシになったのだ。だって高校くらいまでは人の目を見て話すことも出来なかったのが、今ではフランス人に「とみーは日本人のわりにまっすぐ目を見て話してくれるから話しやすい」と言ってもらえるまでになったのだから。
だから直せないまでも、人見知りなりにもっとお互いが心地いいコミュニケーションが出来るように成長していけるんじゃないかとは思う。伸びしろ、伸びしろ。何をどうしたらいいっていうのは、まだよく分かっていないけど。

とりあえず、今度仲良くなりたい人と会った時は、相手の話を聞くことと、沈黙を怖がらないことを意識しよう。

わー、4000字近くも書いてた…。
こんな長いの読んでくれた方いるんでしょうか。いるとしたら本当にありがとうございます!貴重なお時間奪ってないかしら…。
この期に及んでお願いするのもあれですが、もしコミュニケーションベタの改善策があれば、ぜひ教えてください…!切実に…!

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