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(自分向け)創造の仕組みと理解

既知のものとは、すでに創造されたものであり、それを創造し直したり変更したりすることは、基本的に不可能である。
しかし、未知のものについては、新たに創造することが可能である。

たとえば、すでに創造された不健康な身体を健康な身体に変えることはできない。
しかし、健康になる可能性は未知の領域であるため、それを創造することは可能である、ということになる。

これを踏まえれば、現在の環境においても、これまで未知だったものが次々と創造されている。
それらの変化を観察し、受け入れていくだけでよいという話になる。

結局のところ、「わたし」という存在は未知の領域において、あらゆるものを創造できる力を持っている。
したがって、何でも創造することが可能だということだ。

たとえば、既知の概念である「お金」という物質そのものを創造することはできない。
しかし、お金を手に入れるという可能性は未知であり、それを創造することは可能である。

また、今の世の中をそのまま変えることはできないが、良い世の中になる可能性は未知であるため、これも創造可能である。

同様に、現在の自分の顔を直接変えることはできないが、変わる可能性は未知であるため、それを創造することができる。
モテない自分もまた、変えることは不可能だが、モテる自分になる可能性は未知であり、これもまた創造可能である。

つまり、自分自身で何かを変えようとするのは不可能だとしても、変わる可能性は未知に存在し、それを創造することは可能だと言える。

自我には、現状維持を好み、未知を恐れ、変化を避ける性質がある。
変わりたいと願う一方で、変わらないことに安心するという、矛盾を抱えた性質だ。
そのため、創造の本質である「未知を使った変化」を受け入れることが難しい。

創造の本質とは、常に未知という材料を使って新たな現象を生み出すことであり、この現象世界で変わらないものは存在しない。
しかし、自分が創造者であることに気づいていない自我は、未知を恐怖の対象と見なし、無意識のうちに恐れの感情から創造を行う。
その結果、現状維持や、望みが叶わない現実。それどころか現状を維持するためであれば病気や怪我、犯罪行為などをしながらも変わらない自分を(勝手に解釈や言い訳を作りながら)創造し続けてしまう。

では、自我の視点からどのようにアプローチすべきか。
それは、自分が創造者であるという事実を思い出し、未知を恐れず、どんなことが起こっても不思議ではないという事実を受け入れることだけである。
今までは恐怖の存在でしかなかった「未知」を「わたし」の手中にある都合のいい材料でしかないとして受け入れる角度もあるよ。ということだ。

叶わない自分や不幸な現実、恐怖からの行動をわざわざ創造し続ける必要はない。
むしろ、五感を通じて変化を受け入れ、「こういう形になったのか、なるほど。」と受容するだけでよい。

あとは、「わたし」という存在が、未知という材料を使って自然と創造を続ける。
自我でありながら、同時にすべてでもある存在として、「わたし」にとって都合の良い現実を勝手に生み出していくのである。

これは自己中心的な願望実現について語っているのではない。

犯罪も略奪も暴力も全く意味のないただの勘違いの創造であり、ゴミクズ以下の汚物でしかないという事実の話だ。

世界の平和について語っているのだ。

どんな快楽も不幸も一過性のものでしかない。
なぜ快楽がすぐに消えてしまう事実は簡単に受け入れるのに、
なぜ不幸にはしがみつこうとするのか。

死んでしまった人に再び出会える可能性でさえも未知である。
なぜもう二度と出会えないと決めつけてしまうのだろうか。

死を迎えた後の「わたし」でさえも未知の領域にあるというのは紛れもない事実である。

「どうやってやるの?」「どうしてそうなるの?」という質問は全くの見当違いの愚問である。

未知であるからあらゆる可能性が創造できるのであって既知になってしまったら既に創造されたものになってしまうからだ。

「わたし」と自我である私を分けて考えるかもしれないが、同一人物という認識でいい。
一般人だと勘違いした「わたし」が自我である。

「私は創造者だなんて自覚したこともないよ。」と思うかもしれないがそれぐらい当たり前に創造しているのが「わたし」なのである。

無自覚にとんでもないパワーを持っているということをしっかり自覚しなければならない。

「わたし」が自己中心的に幸せになってしまったら申し訳ないと考えるかもしれないが、自己中心的なネガティブな創造(自己犠牲)に巻き込まれた方が「わたし」の周りの方々としては大迷惑である。

苦行をして善人になったつもりになるのは結構だが、その行為が「わたし」の周りの人々に苦行を押し付けているだけだということを認識しなければならない。

本当に周りのことを考えるなら、是非とも苦行をしなくてもみんなが幸せになれる未知を選択して欲しい。


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