推し、燃ゆ から考えるアイドルの存在意義

言わずと知れた大ベストセラー「推し、燃ゆ」

若干21歳の著者は芥川賞を受賞している。

卓越した表現技巧により描かれるのは女子高生の混沌。自分を思い出してもあの頃は人生で一番苦しかった…世間知らずでモヤモヤ、心身の変化についていけずイライラ、周りに溶け込めずにウツウツ、心が快晴の日なんてなかった。主人公の女子高生がそんな混沌の中で唯一自己表現できて他者と繋がることができる場所がアイドルの追っかけ。退屈な日常や不器用な自分から逃れるように文字通り持つもの全てをアイドルに捧げる主人公の痛々しさはかつての自分と重なった。

私自身、これまでの人生で試練を迎えていた時にはいつもアイドルにのめり込んできた。

女子高生時代のKAT-TUN:親に隠れてテレビや動画を漁る。推しの赤西くん留学によりメンタル崩壊してセンター失敗。(×アイドルとの共存失敗)

浪人時代のKAT-TUN:幸運なことに赤西くん復帰により安定してコンテンツを鑑賞できるようになる。暗記科目勉強時のみイヤホンで音楽鑑賞+月に一度本屋でアイドル誌をチェックすることを自分に許す。模擬試験や難解な問題集が一冊終了した時など、アルバム購入を自分に許す。苛立ちや不安を抑える安定剤として、戦いの後の報酬として、かなりうまくアイドルの存在を利用していた。(◯アイドルとの共存成功)

医師国家試験時代のキスマイ:キスマイブサイクという冠番組をひたすらYoutubeでみる。勉強中も頭から離れず。好きが昂じて裏サイトで高額チケットを買い、国家試験直前、夜行バスで極秘上京、一人で東京ドームのライブに参戦する。なんとか国家試験には合格したがいっぱいいっぱいで後味は微妙。(△アイドルとの共存いまいち)

アイドル没入歴を振り返ってみて、浪人時代のように「のめり込み」をうまくコントロールしその存在のメリットだけを享受できれば、アイドルほど心の安定剤、毎日の活力になるものはないと認めざるを得ない。アイドルがいることで国内総生産は上昇しそして自殺率もきっと低下しているだろう。本当に素敵だ...とため息をつくことのできる対象がいることは幸福なことだ。

しかしながら「のめり込み」のコントロールは本当に困難。ただでさえ人間は娯楽に傾いてしまうのに、ネット世界は、人間心理を研究し尽くした頭のいい人たちによって、次々クリックせざる得ないように計算され続けているのだから。

社会において目標を達成しながらも幸せにアイドルと共存していくには、我が前頭葉(理性を司る脳の領域)とiPhoneの向こうに広がるビジネスとの勝負、我が一度きりの人生とネットビジネスの勝負である、くらいの覚悟が必要だ。(これは未だにBTSの動画を気づいたら何時間もみてしまう自分への喝でもある←)

話を「推し、燃ゆ」に戻すと、つぶさに「推し」を観察し描写し解釈する主人公の熱量は、一見退廃的で錆びきっているかのような彼女の内にある未知の可能性を期待させる。これまさに、「あの熱量を仕事や勉強に注ぎ込めばかなりの大物になるのに...」と巷の大人が嘆くのをよく耳にするところのものかもしれない。彼女の前頭葉がさらに成長して「のめり込み」している自分を客観視し、自分の自分による自分のためだけの一度きりの人生をどう生きるか、考えられるようにいつの日かなればいいなと思う。

人生まだまだこれからだよと彼女の背中を少しだけ押したい。押せる大人でありたい。


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