黒人の目から見える世界〜〜タナハシ・コーツ『僕の大統領は黒人だった』を読んで

今年1月6日、アメリカで国会議事堂に暴徒が乱入するという、ありえない事態が起きた。
議事堂に押し寄せた暴徒らは、強引に内部に突入し、我が物顔で歩き回った。ものすごいことが起こったな、と思った。
ただ、やはり一番衝撃的だったのは、暴徒が「南軍旗 Confedeqate Flag」を高らかに掲げていたことだった。なんとまだ南北戦争を引きずっているのだ。皮肉にも、南北戦争中は決して首都に攻め入ることが出来なかった南軍旗が初めて連邦の首都ワシントンに翻ったことになる。

アメリカの黒人作家タナハシ・コーツの2017年の著作『僕の大統領は黒人だった』を読み終えた。主にオバマ大統領時代に書かれた評論8篇を再編したもので、それぞれに対し、あらたに書き下ろしたノートを前書きとして付けている。
コーツがわざわざノートをつけたのは、おそらく彼が最初に発表してから本にまとめるまでのあいだにアメリカが未曾有の変化〜初の黒人大統領から過激派白人大統領へ〜に見舞われたからだろう。コーツがもとの文章を書いた時期とは事情があまりにも異なっているということが、ノートをつける理由になっているはずだ。
今、僕がトランプ政権が倒れた後にこれを読むということは、トランプ政権の4年間をまたいでこれを読むということで、それはそれでまた印象が違ってくる。ましてや議事堂に翻る南軍旗を目にした後では。

コーツの評論を読むと、別のアメリカが見えてくる。黒人たちのアメリカである。
現在、黒人はアメリカの人口の13%ほどでしかない。しかし、歴史を振り返れば、黒人がアメリカの歴史に大きな影響を与えていることは間違いない。文化もそうだろう。ジャズはもちろんのこと、ブルースはロック誕生の下地になったと言われ、ソウルやヒップホップ、ラップなどは黒人文化なしに考えられない。

一方で、オバマの当選まで大統領をただの一人も出してこなかった。
民主党の予備選挙なら、1984年と1988年にジェシー・ジャクソンが立候補しているが、民主党候補になることまでは〜すらも〜叶わなかった。

コーツは、自分が黒人として育ち、黒人として語ることを隠そうとしない。同じく黒人である自分の妻ケニヤッタ、自分の息子、オバマ時代に訪れた突然の自分の作家としての成功物語……むしろ、それを随所に挟む。まるで「黒人が黒人の歴史を語っているのだ」といちいち注釈をつけるかのようだ。なぜだろう? それはアメリカの歴史が「白人のアメリカ」であることを相対的に示そうとしているからであると思う。黒人が黒人のアメリカの歴史を「これは黒人から見た歴史にすぎない」と語れば、よく知られているいわゆるアメリカの歴史もまた「これは白人から見た歴史にすぎない」のかもしれない、と人々に認識させることができる。少なくとも別の誰かから見た知られざるアメリカの歴史があることを、暗示することができる。

そしてそのようにコーツの手助けを借りてアメリカの歴史を見るならば、黒人がいかに収奪されてきたのか、今も収奪されているのかがよく分かる。それは、160年前の奴隷解放、60年前の公民権運動を経てすらそうなのだ。
たとえば2008年のリーマンショック。無謀な住宅ローンを低所得者層に契約させて膨れ上がったバブルが弾けたことが悲劇に繋がったということが原因ということはよく知られているが、その犠牲者の多くが黒人だった。
たとえば「黒人には犯罪者が多い」という偏見。麻薬常習者の割合には人種間でほぼ差がないにも関わらず、黒人コミュニティに広がるクラック・コカインの使用を執行猶予のない収監の対象にすることで結果的に黒人の「犯罪者数」が増加した。そうして前科者になってしまえば、それは就職率が低くなり、ホームレスになる可能性が上がることを意味する。父親が収監されて、シングルマザーも増える。さらには、なんと就職の採用率では白人前科者と黒人"非"前科者を比べた場合、白人前科者の方が高いという衝撃的な実験の結果まで示される。

南北戦争に話を戻す。コーツは本書のなかで「南北戦争を研究する黒人がほとんどいないのはなぜか?」という一篇を書いている。南北戦争は、アメリカの他の戦争全てを合わせたよりも多くの死者〜100万人ほど〜を出した戦争である。リンカンが大統領選挙で勝ったことで南北の分裂が決定的となり、1861年に以降リンカンの任期4年間がまるまる費やされる戦争が始まった。本書ではとくに触れられないが、リンカンは大統領職に就くにあたり、「自分がワシントンよりも大きな課題に立ち向かわねばならない」ことを自覚していた。
コーツは、当時戦争前に南部を脱走して自らを奴隷の身分から解放し政治活動に身を投じていた有名なフレデリック・ダグラスの視点を紹介する。ダグラスは、奴隷問題で北部と南部が衝突することになったことに満足感を覚えた、と認めつつ、人口300万人であったときに独立を達成したことも偉大だが、3000万人のときに国を分断と荒廃から救ったのはさらに偉大だ、と述べている。

当時まで、奴隷制を「当然のこと」と考える白人は多かった。黒人は劣った人種だから、ということは科学者から政治家まで多くの論者が平気で口にしていた。さらには、アメリカが民主主義を達成できているのは、人々の平等を達成できているのは、その下に黒人奴隷たちがいるから、という考えが、なんと当時からも見られた。それは実際にそうだったのだろう。そしてコーツが主張するところでは、いまだにそうなのだ。自由なアメリカの、平等なアメリカの、誰にでもチャンスを与えるアメリカの基盤を支えさせられている、それらを奪われた黒人たち。もし、その基盤を変えるなら、それは「アメリカ」という国自体をまるごと変えなければならないかもしれない。

そうであればこそ南北戦争は100万人を死に追いやったのである。それはアメリカという国の理念そのものに投げかける大きな問いだったのだ。
そして、そうであればこそ黒人差別はなおアメリカに残っている。なぜならば、それを抜きにしてしまったらアメリカがアメリカでなくなってしまうことを、白人たちはもちろん、黒人たちでさえ、本能的に感じてしまっているからだ。

議事堂襲撃で掲げられた南軍旗はまさにそれを象徴するものだった。あれこそ、まさに南北戦争で「失われた大義」を象徴づけるものであり、それをまた掲げるということはアメリカにはいまだに大義が残っていることを示そうとしていることにほかならない。そうして彼らは「アメリカがこれ以上アメリカでなくなりたくはない」という抑えがたい叫び声をあげているのだ。

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