子どもたちの将来を憂う⑶

学校基本法第52条曰く

第五十二条 大学は、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする。

とある。

先日最新の出生率が発表されたが、最低を更新、東京に至っては0.99とのこと。

少子化に歯止めをかけるにはどうしたら良いか?

労働力不足で新入社員の奪い合いで大手企業の初任給は軒並み上昇。中小零細企業はどうなるのか?国家公務員総合職に合格する東大生の減少が続き、学生にはコンサルが人気。給与面に魅力を感じている為だとか。キャリア官僚は拘束時間が長く厳しい労働環境が不人気なんだとか。

価値観の変質があるのでしょうね。

さて、ところで冒頭に書いた学校基本法に定める「大学」の定義に照らすと、少子化に反比例して増えた大学の中には大学と言ってよいか疑問がある大学が多数存在するようです。

大学の授業でbe動詞から教えたり、算数を教えたり、はたまた卒論のテーマが読書感想文みたいなものだったりする様な大学は大学と言って良いのでしょうか?学生は出席を取らない授業には出席せず、出席を取る授業は教室で寝てるだけ…。単に大卒の経歴を買いに来ている人たちと、授業料を払ってくれる学生を上客として扱う大学。

大昔の「せめて高校くらいは出なさい」が今は「せめて大学くらいは出なさい」となっている。

企業に勤めても、他人と話す営業職は嫌。責任を取る管理職にはなりたくない。良い思いはしたいが、キツイのは嫌。厳しく指導されたらハラスメントと騒ぎ立てる。面と向かって議論するのは嫌だが、匿名となるとSNSで容赦なく他人を叩く。先日YouTubeでN大のことをクソ味噌にこき下ろし得意げな表情をするT大生を見ました。因みにN大とT大は世間的には同じ大学群に括られる私大です。もちろん、再生回数稼ぎの部分を切り取っているのはわかりますが、それにしても酷かった。若者が全てクソとは思わないが、それにしても酷かった…。

なんでこんな事になってしまったのか?

大企業の募集要項から大卒を外せ。大卒が優秀なんて保証はどこにもない。学歴など取っ払って、実力主義成果主義の人事考課にせよ。若者も大卒の学歴を買う為の無意な4年間を過ごさず高校出たらすぐ就職すればよい。少なくとも大卒と高卒の扱いの差をなくせ。他方、大卒の学歴を売っている様な大学は退場せよ。淘汰されるべき。淘汰によって出てくる財源は、学校基本法の定める様な大学や、向学心がありながら経済的に苦しんでいる学生に割り当てるべき。勉強するのが嫌な人は大学に行かなくても良い。勉強ができることと、生きて行く上で優秀であることは同値ではない。
子どもを安心して預けられる保育所の拡充、企業側の勤務形態を整えて若くして家庭を持つ体制を整えて欲しい。初等教育の教員の処遇改善、人員増強をして小学校段階からもっと習熟度別クラスを積極的に設けてほしい。人が足りないならシニアの力を活用すべき。
併せて大人になると言うことは責任を持つことである事を所謂お勉強とは別にしっかり教育する体制を整えて欲しい。自由とは自己責任自己決定である事をしっかりと教育して欲しい。子どもに責任が持てない親が増えては目もあてられない。既に現実問題、子どもに責任を持たない親が多数存在する。金さえ払えば親の子どもに対する責任を果たしている、との価値観は間違っている。

少子化に歯止めをかけるには恐らく長い時間がかかるだろう。しかし今すぐに着手しないと手遅れだ。

晩婚化、少子化の要因は複雑な要因が多数絡まりあっている。その要因のひとつひとつを丹念に解きほぐし、国は真剣に考えて欲しい。最後は財源の問題になるかもしれないが、真剣に考えず短絡的に金の問題に置き換えるのは誤りである。

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