そんなに慌てなくても…
以前、スティーブ・ジョブズの以下名言を私の好きな言葉として引用しました。
A lot of times, people don’t know what they want until you show it to them.
日本は近時漸く年功序列が崩れてきたとは思いますが、立ち止まること、やり直すことに対してはまだ抵抗感がある人が多い国だと思います。
子どもたちは、親から良い中学、何なら中高一貫校に行き、良い大学に現役で入れば良いところに就職でき、良い人生を送れる、と何もわからないうちに言われ…。
良いって何でしょうね?偏差値のことですかね?
遊びたい盛りの子どもをサピに入れて、αを目指し膨大な宿題をさせ、子どもには、今頑張れば良い大学に行けるから、と勉強をさせ、マンスリーテストの結果に一喜一憂して…。
良い大学って何でしょう?親の願望を押し付けちゃダメですよ。
以前も書きましたが、興味があること、やりたいことは知って、触れて、初めて分かる、気付くことも多いと思います。
初等教育の段階から様々な事を子どもたちに示せる教員がどの位いるのでしょうか?スペック的な部分ではなく、教育指導要領にプラスして行うのはただでさえ労務環境が厳しい状況では無理ですかね?
私は某予備校で浪人後、幸いにも希望する某国立大学の法学部に進むことができましたが、浪人時代に、古文の先生から
1年浪人したら1年長生きすれば良い。
とのお言葉を頂きポジティブな気持ちになった事が想起されます。
法学回りの格言に
法学は親知らずが生えてくる頃に学ぶものだ。
と言うものがあります。何も慌てて法律を学ぶことなんてないと思うのです。
少なくとも子どもたちは、十分な経験もない状態で将来の進路を決めざるを得ないところに問題があると思います。本当にやりたい、と感じるものを示されたり、出会ったりすることなく、親に言われるまま、或いは、学校の進路指導の通り進路を決めているケース、知名度と偏差値が高いことで決めているケースも多いと思われます。
もっと子どもたちに気付きの機会を提供するのが、年長者の責務だと思うのですが…。
やりたいことを学ぶ為に一旦待つ、或いは入学してみたら自分に合わなかったので転学する、再受験するという人は同調圧力もあり、マイノリティなんでしょうね。何なら大学院から東大に行こうものなら、学歴ロンダリングと揶揄される始末。
社会人を経験してから再度大学に入学したって良いじゃないですか?それを阻んできたのが、年功序列でしたが、少しずつ崩れてきたと思います。
キャリアパスを財産と認める風土にならないと。
人生100年時代。自分のやりたいことの為に足踏みしたり、やり直したりしても良いのでは?
でもまだまだ日本はそんな感じじゃないですかね?
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