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楽屋で、幕の内。|アイリス Oct.16

「何してるの。」

草一本もない、砂漠のような広場に雨が降り続いている。そんな場所にアンバーはいた。

「花に埋もれているんだよ」

アンバーは瞳を閉じたまま答えた。当然花なんてどこにも咲いていない。アンバーはたまにおかしなことを言って僕を支配しようとする。アンバーいわく、言葉の力は偉大らしい。「雨じゃないか。びしょ濡れだ」。僕は傘をさしたまま、土の上で仰向けになっているアンバーを覗き込んだ。雨は土砂降りで、アンバーの下の土は粘土のように柔らかく溶けていた。「立てよ」。僕はアンバーの腕をつかんで、起こそうとしたが動かなかった。濡れて張り付いている服のせいで、アンバーの腕は思ったよりずいぶん重い。体の輪郭をなぞるように、小さな水の道ができていた。結構長い時間ここにいたんだろう。

「花に埋もれたいんだ。綺麗なブルーのアイリスが降っている。君には見えないの」。アンバーは挑発的にでも、不思議がるわけでもなく、僕に言い聞かせるように言った。「僕には大雨にしか見えない。お前も泥まみれだ」。当然の答えだ。僕が見捨てて歩き出しても、アンバーは独り、瞳を閉じたまま雨にうたれていた。

******

次の日、見事にアンバーは風邪をこじらせていた。

「何がやりたいんだよ」

僕はあきれた顔でベッドに横たわるアンバーを見たが、アンバーはこりた様子もなく、まだ降り続いている雨を窓越しに眺めていた。アンバーの瞳には、まだブルーのアイリスが降っているように見えているのだろうか。 「ただ、思い込みで世界はまわっているんだと証明したかっただけさ」とアンバーは呟き、目線を雨から僕に移した。「笑うかい?」。僕は目をそらして言った。「笑うよ」。

僕がアンバーの家を出る頃には、外は日が差し始め、雫程度の雨が降っていた。僕の肩に雨粒が落ちる。ブルーのニットに雫が乗り、光が反射して、不意に、ブルーのアイリスを思った。僕はそのまま傘をささずに歩いてみた。

雨=ブルーのアイリス。

もしかしたら、そんな考え方もあるのかもしれないなんて、思い始めている自分に嫌気がさし、雨粒を乱暴に振り払った。振り返って見上げると、アンバーが2階の窓から僕を見ていた。わずかに口角が上がり、唇が動いた。

「わかろうとする気持ちは、真実より強い。やっぱり君は言葉に弱いな」

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2006年頃に書いた物語。日の目を見ずにさみしそうだったので、お披露目させてもらいました。秋の夜長にご高覧いただき、感謝です!

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