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胃瘻、それは悩ましき人生のオプション

「入居中のお母様ですが、最近食事が十分にとれなくなってきました。ご高齢なので老衰による経過だと思いますが、このまま自然な経過で看取りますか、それとも胃瘻や点滴で延命をしますか?」
病院や施設で最期を迎えた親を持つなら、この質問で選択を迫られたことがあるだろう。

そもそも胃瘻(胃ろう)は、1970年代後半にアメリカで小児患者用に開発されたもので、当初から終末期が近い高齢の方を対象にしていたわけではないらしい。それがとくに日本では1980年代以降、身体の負担が少ない内視鏡で造設できることもあって、高齢の寝たきりの方の長期栄養経路として適用されるようになったという経緯がある。

アメリカやヨーロッパ圏では、口から食べられない高齢者に胃瘻を作って食事(栄養剤)を流し込むなんて、虐待だと言われる地域もあるらしいが、逆にアジア圏では儒教の考え方が浸透している背景から「親の胃を満たさないのは不道徳」と言われるとか。文化の違いは理屈だけではなかなか越えられないようだ。

私の立場は、高齢で認知症や脳機能障害により、もはや胃瘻を作ったところでQOLが改善しないような場合には「本人とって意味のない、ゆくゆくは本人を苦しめる事になる延命措置」として反対である。

最近は、日本でも高齢者への胃瘻は尊厳の面からもよく検討が必要だ、という流れになってきている。私の勤める老人ホームに入居されている方の家族も、インターネット等で調べた上で「無駄な延命は希望しません。」と申し出てくる場合もある。

次回は胃瘻に関する最近の事例を紹介したい。

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