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Semester 3 Week 11「デザイナーに求められること」

先日"Internal Review (中間講評)"があった。そこでいただいた学科長からのコメントが今週の話題。

マレーシアの大学では課題が出されるとProject Briefというものが配布され、課題の趣旨や最低要件がはっきりと提示される。しかし、その項目を満たすだけでは不十分。

これまではその要件を守ることに執着してしまい、満足のいく作品が残せていなかったが、先生からの助言でようやくそのモヤモヤが晴れた。

その言葉が

Special Experience

建築家を含むデザイナーは、「特別な体験」を利用者や依頼主に提供しなければならないということだ。賞をもらうほどのデザイナーにとっては至極当たり前のことかもしれないが、デザインをする上での核心をつく言葉のように感じる。

具体的には、建築家なら、依頼主の要望を守る以前に『おしゃれ、かっこいい、住みたい(例えるなら、大空間を目の前にして「うわぁー、すげぇ。」となるあの感覚)』と思わせられるような設計をしなければならない。

つまり、ただ求められた項目をつなぎ合わせたパッチワークではダメだということ。

要件を満たしたからと言って依頼主が心底喜んでくれるかというとそうではない。

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これはラーメン屋にいってラーメンを食べるときと似ていると思う。

ラーメンを提供する側は、客の指定した具材や麺の硬さを守っても、もしくはメニュー通りに作っても、おいしくなかったらお客さんに「また来たい」と思ってもらえない

数あるラーメン屋さんから自分のお店を選んでもらうには、インパクトのあるメニューや、ある一定のターゲット層に向けたとがった味付けなどを考えることも必要だ。

即席ラーメンではなく、わざわざラーメン屋に赴くお客さんには、「おいしいラーメンを食べたい。」という、当たり前だが表には出てこない要望があるはず。そもそも「おいしいラーメンをください。」と頼む人はほぼいない。

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もう一つ例を挙げると、音楽でも似たようなことが言える。

いくらプロでも、楽譜に書いてある音を再現するだけでは客は飽きてしまう。プロの演奏会に行ったり、路上ライブを立ち見している人で「模範演奏を聞きに来た。」という人は少数派だろう。

多くの人は、”モノクロな楽譜をその人独自の表現で着色した音”を聞きたいはず。

なぜ正月にすし詰めになってまでウィーンフィルを見に行くのか。それは「また聞きに行きたい」「またあの空気を味わいたい」という特別な体験がそこにはあるからだと思う。

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どちらの例もデザイナーではないが、お客さんに喜んでもらえるように特別な体験を提供している点においては変わりない。

入りにくい建築事務所やアトリエにわざわざ赴いて、設計料のかかる建築家にお願いするのは、やはり良いデザインの建物を設計してほしいから。

裏を返せば、デザイナーであるのにもかかわらず、要件の解決に固執して月並みなものしか生み出せなかったら、ハウスメーカーや組織設計事務所といった、より安心のできる大きな企業と同じような層(顧客・ご施主様)をターゲットにすることになってしまう。

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設計の課題でしっかりルールは守ったのに、先生から冷ややかな目で見られ、一言「つまらない」と言われた苦い経験は、確実にこのデザイナー意識「特別な経験を提供する」ことが欠けていたことから起きたことだろう。

図面のスケールがルールに即していなかったり、必要な情報がごっそり抜け落ちていてもなぜか表彰されていた学生はこのことを既に感じ取っていたのだろう。

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ユーザー以外からの評価はあくまで自己満足に過ぎないと思う。本来意識しなければならないのは、そのデザインを受け取って実際に使うユーザー。

審査員からは評価されたとしても、利用者がデザインの意図を汲み取れず、「なんだこんなもんか」という感想になってしまったら、それは良いデザインとはいえないと思う。

建築家がよく「おもしろい」「つまらない」という言葉を使っているのは、この特別な体験を提供できているかどうかを判断するためなのかもしれない。

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