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ショートストーリー『男と女 〜ある午後の物語〜』

  《男と女 〜ある午後の物語〜》

客もまばらな昼下がりのカフェ…

ボクはいつものように
ノースモーキングテーブルで、
原稿用紙に向かっている。

しかし、手にしたペンは一向に進まず、
体はお昼前に起きたけど、
思考機能の方はまだ眠っているようだ。

(ああ、締め切りが近いというのに…)

アイデアのかわりに出て来るのは、
煮ても焼いても食えないタメ息ばかり。

コーヒーの表面からまっすぐに立ち上る湯気に、
そのタメ息がぶつかり、湯気の流れが乱れた。

その時、

テーブルの脇を、清潔な石鹸の香りと共に、
鮮やかな色のかたまりが通り過ぎた。

若草色の短い布に包まれた、
妙にエロチックな腰のラインが、
ボクの意識を引きつける。

ボクの正面のテーブルに着き、
こちら向きに座った彼女と一瞬目が合った。

その〈まさに麗しき〉とも言うべき瞳力が、
それまで停止していたボクの思考機能を
覚醒させた。

テラスの窓から射し込む陽の光に、
彼女のノースリーブの肩が眩しく輝く。

その肌の甘酸っぱいような匂いが、
ボクの鼻をくすぐる。

もちろんそれは錯覚だ。
匂いが届くほど近くはない。

さっきボクの横を通り過ぎた時の残り香と、
今の視覚的な彼女の色っぽさが、
架空のセクシーな匂いをボクに感じさせるのだ。

スラリと長い足を組み、
彼女はテーブルに肘をついた格好で
本を読み始めた。

しかし、
こんなに足のキレイな女は
そうそういるもんじゃない。

ボクが今までつき合ったコだって、
みんなそれぞれ可愛かったけど、
足はほんのちょっぴり太めだったり…。

街を行く女のコたちにしても、
めいっぱいオシャレしてて、まあそれなりに
ステキだったりもするけれど、
カッコイイ足を見せてくれるコは
やっぱり少ない。

その点、彼女のは絶品だ。
太からず細からず、いやらしく、カッコイイ。

今、彼女の目は、手にした文庫本に…、
ボクの目は、彼女の足に引きつけられている。
いつまでも見ていたい…と、そう思う。

やがて彼女のテーブルに運ばれて来たのは、
エスプレッソコーヒーか…。

細長いきれいな指が、
デミタスカップの把っ手をつまみあげ、
バラの花びらのような唇が、
カップの縁にキスをする。

予期せぬ熱さに少し驚いた彼女の目が瞬いた時、
再び視線が合ってしまった。

彼女はその美しい顔に照れ笑いを浮かべ、
ボクは戸惑う。


のどかな午後のひととき。
知らない同士の男と女。
二人の間にゆったりと時は流れ…。

ボクの思考機能は、
彼女のおかげで確かに目覚めたが、
それでもペンは動かない。

彼女との、
ささやかながらロマンチックで、
ほんのちょっぴりエロチックな、
そんな展開への妄想に、
ボクの心は走るだけ。

それもあの、彼女の素晴らしい足のせいだ。

フッと目が合うと、
スッと彼女は本に目線を戻す。
そんなことが二度ばかり続いた。

彼女はさっきからずっとボクの視線を感じて
いたに違いない。

何となく彼女、
笑っているようなそんな気がする。
きっと彼女、
本なんて読んじゃいないのだろう。

ボクのペンも、
ちっとも進んじゃいない。

次に二人の目線が合った時、
それはしばらく絡み合い、
ボクたちは互いにちょっと口元を緩めて、
微笑みを交わした。

もう、照れも戸惑いもなかった。
彼女はこちらを見つめたまま本を閉じ、
カップを手に取ると中身を飲み干した。

そしておもむろに立ち上がると、
店に入って来た時と同じ
あのセクシーウォークで、
ゆっくりとボクの方へと歩き出した。


男と女、ある午後の物語は、
これからどう展開してもおかしくはない。

彼女はその麗しの瞳に意味深な光をたたえ、
妖しく腰を揺らしながら、
間違いなくまっすぐこちらに歩いて来る。

ボクは微笑みながら彼女を待つ。

彼女はボクの前で立ち止まり、
小首を傾げてニッコリ笑い、
「いいかしら?」…と一言。
「もちろん」…とボク。

すると彼女は…、

テーブルの上の水が半分ほど残っている
グラスを優雅に取り上げると、

ボクの頭上でクルッと反転させた。


なるほど…。

ボクと彼女の物語はこういう展開だったのか…。
しかも、あっという間のエンディング。
彼女の麗しの瞳はウソを言い、
グラスの水が真実を語った…というワケだ。

ああ、そしてもうひとつ…。

マヌケな顔で固まってしまった
ボクの視界から消え、
店を出て行く彼女のあの美しくエロチックな足。
あれも紛れもなく真実。

うわっ! まだあった。

テーブルの端の、
ボクの伝票に重ねられた彼女の伝票。

…ウ、ウソだろ~!…


昼下がり。
思考は確実に目覚めたが、
ボクのハートはノックダウン。

当然、ペン動かず。


           …End



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