建物を作ること
建物を作る過程で最近よく考える
なぜ建物を作るのだろう
誰が?誰のために?何のために?
1年間とある異国で建物を作る機会を得た
その国では都市部に建物を作られる土地が限られているために、戸建住宅はほぼ無く、集合住宅が基本の住宅タイプであった
それらの集合住宅は完成してそこに住む人たちが共同出資して作られる
彼らはその建物が良いものになるように全力を尽くす
個人のためでは無く、みんなの為に
出資した人だけではなく、その子供たち、また未来その建物に住む人、その建物の周りに住む人のことを想い建物は作られる
その結果生まれる建物は美しく大切に使われ、何世代、何百年にも渡り使われ続ける
戦前まで、日本の建物もそうやって作られてきた
我々が住まわせてもらっているこの茅葺き民家も、江戸時代末期から200年もの間、住み手が変わりながら維持されてきた
そういった建物には言葉にできない住み心地と魅力が詰まっている
建物が生きていると感じる
そして何より、長い時間人の拠り所となっている
戦後、日本の建物は建主のために作られているように感じる
また建築家の思想を示すために作られているように感じる
全てがそうではないけれど、多くはそうである
何も否定しているわけではない
その建物たちによって、新しい発見もあった
建築学も発展した
ただ、、、
現代の建主のためだけに建物が作られる構図はどうなのだろう
建物がものとして消費されているようにも思える
今、建主のために最善のものを作るのはもちろん、もう少し長い目で建物をつくることを考えることが必要なのではないか
設計者にも、建主にも、建物をつくる全ての人にも
皆のことを思い、使われ続け、長い間人の拠り所になる建物が少しでも増えればいいなあと思う
私もそんな建物をつくれればなあ
富田晨