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ハネムーンでアウシュヴィッツ強制収容所に行った話「スーツケースに名前を大きく書いた気持ちに胸がつまる」

  晴れたすがすがしい日でした。オシフェンチム駅の横をバスで通り過ぎて、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(現博物館)に着きました。ひんやりとした空気と厳粛な雰囲気に、背筋をピンと伸ばして心の中で「念願叶ってここに参りました。よろしくお願いします。」と唱えました。誰に対して何によろしくと言っているのか分かりませんが、圧倒的な存在感を前に、きちんとあいさつをしないと入ってはいけないような気持ちでした。

 どこを歩いても、気持ちが重く沈み、死の気配がまとわりついてくるような場所でした。私が小学3年生の時に写真で見たメガネや靴など、実物が山積みになった状態で、私の目の前にありました。平面ではなく立体で迫ってくるようなそれらの前に、私は言葉もなくただただ立ち尽くしました。

 スーツケースの山がありました。白いペンか何かで、大きく文字や数字が書いてありました。持ち主が名前と住所を書いたようです。

「あぁ、ここにスーツケースを置いていかなければいけないんだね。後から見つけやすいように、大きく名前と住所を書いておこう。」
「私も書きたいよー、お父さん。」
「お姉ちゃんずるいよ、僕も書くー。」
「あのー、書き終わったら、私もペンお借りできますか?」

 この展示物を見た時、「生きて帰る」ことを微塵も疑っていなかった人々のやりとりが想像できました。スーツケースに名前や住所を書くのは、全く一般的なことではないですが、帰る時に困らないように、皆大きく文字を書いていました。生命力にあふれている、活気のある文字ばかりでした。「あぁ、こんなにも生きることを疑っていなかった人々のほとんどが、ここから生きて出られなかったんだ」と絶望しました。数ある展示物や説明文の中で、ここだけ異様なくらい、その当時の人々の生命力に溢れていて、眩しいような感じがしました。と同時に、このスーツケースの持ち主も、この人も、あの人も、もし生きて帰れなかったとしたら、さぞかし無念であっただろうという気持ちに押しつぶされそうでした。

 施設の外にある「働けば自由になる」というドイツ語の看板を見て、「開放するつもりなんて微塵もなかったくせに、大噓つきが」と怒りが止まりませんでした。
 
 ガス室も見学しました。アスファルトの壁に、いくつものくぼみがあり、苦しんだ人達がひっかいたことでできた跡だと説明されました。どれだけ苦しかったんだろう?どれだけ多くの人々がここで非業の死を遂げなければならなかったのだろう?

 「なぜこんなことをした?」という怒りにも似た気持ちと、「どうか安らかに眠ってください」というただただ祈るような気持ちが混ざって、味わったことのない感情になりました。会話らしい会話は、私達夫婦にはありませんでした。ただただ、資料と展示物を眺め、敷地内を歩き、想像を絶する事実に淡々と向き合い、絶句するだけの時間でした。

 きっと、ハネムーンに行く場所ではないでしょう。でも私達夫婦は入籍1ヶ月後のハネムーンでアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(現博物館)を訪ねました。「夫婦で訪れる価値のある場所」だと考えたからです。

【補足】
①のオシフィエンチムという場所が、ドイツ語読みでアウシュヴィッツとなり、全世界に知られることとなりました。そこにも「力関係」が如実に表れていて、ぞっとしました。

②ドイツ語のArbeit macht freiに対する邦訳は「働けば自由になる」以外にも複数あります。

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