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おじさんのシャッター

朝から続いていた激しいドリル音が、ようやく収まった。

今日はまだ外出していないので憶測だが、おそらく近所の元・本屋さんで始まった解体工事の昼休みだ。

商店街にひっそりたたずむその本屋さんは、薄暗くて品ぞろえも悪く、けっして居心地のいい店ではなかったけれど、軒下の本棚に並んだ「めばえ」「幼稚園」などの幼児雑誌が誘蛾灯よろししく、保育園帰りの子どもたちを吸い寄せた。

子どものおねだりミッションは成功率が低く、親としては内心、店の売り上げに貢献しないことへの恐縮もあるにはあったが、店主の男性はいつも、買う買わないの親子の押し問答にチラリとも視線を向けることなく、もちろん子どもに加勢することもなく放置を貫いてくれた。だが、無関心にみえて、実は口を開けばとても丁寧なおじさんで、ごくたまに絵本を買った子どもがレジで「ありがとう」と挨拶すると、小さな声で「いつもおりこうさんだね」と返してくれた。

そんな繁盛しない(失礼)お店に一方的に親しみを覚えてしまった私は、頼まれもしないのに、勤務先のゴシップが書かれた週刊文春を買いに行ったり、急がない仕事の本の取り寄せをお願いしたり、いつしかお店の存続応援ひとり勝手連を気取るようになっていた。もちろん、そんなの、たいした金額にはなるわけもないのだが。

おじさんは朝が弱いのか、体調があまりよくないのか(とても痩せた方だった)、開店時間はわりと遅く、その分夜が遅かった。今日は遅くまで働いたと自覚して家路を急ぐ日によく、細いのに重そうな体を引きずるように、軒下の本棚を片づけ、店の脇に停めてあるカブをしまい、ガラガラとシャッターを下ろす姿を見かけたので、おそらく、夜の9時10時まで店を開けていたのだと思う。

そのシャッターが全く上がらくなったのは、去年始まったコロナ騒動のさなかだった。数日後、近所に黒枠の張り紙が出て、おじさんが亡くなったことを知った。おじさんが一人暮らしだったことも、そのとき初めて、風の噂で聞いた。

その後、何回か、縁戚なのか取引相手なのかが一人二人とやってきて、シャッターを半分だけ開けたままにして、何やら中で作業をする様子を見かけたが、それ以外はずっと人気がなく、主を失ったシャッターもセキュリティ確保の意義を見失ったのか、どうやらうまく閉まらなくなってしまったようで、古い本棚を衝立のように噛ませて風雨しのぎをする状態が1年ほど続いていた。

先週ごろから、トラックが連日やってきて、勢いのある男性たちが中から荷物を運び出すようになった。どうやら買い手がついたという話だった。
そんな矢先の、今朝のドリル音だ。もしかしたら、おじさんは上空のどこかから、一生を共にした店舗の最期を見守っているかもしれないと思った。そんな想像をしていると、けたたましいドリル音も不思議なことに鎮魂の調べに聞こえてくる…………………

と、いいなぁ…とささやかな期待をもって、こんなよしなしごとをつらつらと書いてみたのだが、昼休みの終了とともに華々しく再開したドリル音はやはりドリル音。緊急避難と称して、結局、近所のカフェで続きを書いている。

コロナ関連の閉店ではないけれど、「地元の本屋さん」が一つ消えたことは、私の小さな日常生活にはとても淋しい事件だった。おじさんのご冥福を心からお祈りするとともに、やはりできるだけ、本は本屋さんで、野菜は八百屋さんで、地域のお店での買い物を大事にしていきたい。