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小説(ショートショート)「雪溶け」

今月のテーマは「江戸時代の読書会」です。
良かったら読んで見て下さい!


蝋燭の火が煌々と灯っている、照らされた室内では幾多の本が積み上げられ絵巻物も散見される。
刻は亥の刻あたりであろうか、ここは江戸の一角の長屋である。
光が漏れぬよう扉や戸板の隙間に藁などがつまっていた。
「ようこそお越しになりました、今宵も鉄棒ぬらぬら先生の『蛸と海女』など色々な作品を堪能致しましょう。」
主催の男があまり大きな声にならぬように気をつけながら声を発する。
天保の時世となり、贅沢品の禁止令がでると「春画」までもが禁止され流通しなくなっていた。
そこで、ある商家の男が数人の仲間と一緒に秘密の春画鑑賞会をはじめたのである。
秘密厳守の約束ではあったが、信用できる人への紹介は可であったので、人づてに広まり参加する人が増えていた。
「こちらの方は三郎さんと申しまして、丹後屋という米問屋の手代をされております。この間呑み屋で意気投合しまして、春画についてもお詳しいのでお招きしました。ささ、三郎さんご挨拶。」
「ご紹介にあずかりました三郎と申します。若輩者ゆえ皆々様の御見識には及びませぬが末席に加わりたくまかりこしました。どうぞよろしくお願い致します。」
この三郎、実は禁制をしいている幕府の役人で本当の名を左衛門という。
禁止されている春画の読書会が行われているという真偽不明の噂を聞きつけた左衛門の役所では事の真偽を確かめるべく、また禁制を破っている事が明らかな場合には見せしめに大きく取り締まりをしようと、その証拠を集める為に左衛門に読書会への潜入を命じた。
そんな左衛門が潜入をはじめてからいく日か後の事、主催の顔馴染みで読書会にもちょくちょく来ているという、おはなという娘がいた。
「初めまして三郎さん、春画について大層お詳しいとか。ご一緒出来るのを楽しみにしておりました。」
左衛門は初めて会うおはなの、慎ましいなかにも清らかな印象と所作に気を惹かれた。
その日の主軸となる作品は現存している最古の春画といわれる『小柴垣草子』の写しであった。
「おお、これは平安の頃の作と伝わるものですね。肉筆の写しとは珍しい。女性の表情が素晴らしいですね。」
「ふふっ、さすが三郎さんお詳しいですね。昔春画は貴族やお武家様の間で広まっていたそうですわ。」
「だから、登場人物も身分の高い方が多いんですよね。この絵巻は、寛和の頃に、天皇の名代として伊勢神宮に奉仕するため、嵯峨野の野々宮で身を清めていた済子内親王が、格好いい警備担当の武士を誘惑するという有名な話ですね。」
「そう、皇女様のように身分の高い方でも性に対して気ままにされていた事が伺えるの。」
「なんと、それにしてもこの恍惚たる表情の描き方の絶妙さがすごい。」
「子宝を授かる大切な行いを書き表した豊穣を意味する縁起の良いものですもの。特に私は奔放さの魅力を体現しているところが素敵なんです。」
おはなと三郎は、『小柴垣草子』について情熱的な議論を続けました。他の参加者たちも興味津々で話に加わり、春画の美術的な価値や歴史的背景について熱心に語り合いました。
「おはなさん、本当に貴重で深い話をしてくれてありがとう。」三郎は謙虚に言いました。
おはなは微笑みながら答えます。「三郎さん、こそ知識もとても素晴しく色々と教えられました、これからもご一緒出来たら嬉しく思います。」


左衛門は自身の役割を考えた。彼は密かに情報を収集し、禁止令を破る者たちを摘発する使命を果たすべきだが、同時におはなの魅力に引かれ、その純粋な好奇心と知識に深く感銘を受け春画自体の価値にも気づきこれをなくしてしまうのは非常に忍びないと思い悩みはじめる。
そうして時は流れ、おはなとの仲も深まったある日、左衛門はおはなに相談を持ちかけられる。
おはなは深刻な様子で「実はお慕いしている方がいるのですが、想いを打ち明けられずにいるのです。」
おはなの相談を聞いた左衛門はおはなの想い人に嫉妬を感じながらも平静を装い尋ねます。「それはどんな方なのです?気持ちを打ち明けるのは大変だと思うが、なにか手伝える事があれば教えてほしい。」
おはなは恥じらいながらも悲しそうに「その方というのが、私とは身分の違う方で想いを告げても添い遂げられません。辛い思いをするくらいなら諦めた方が良いのでしょうか?」
左衛門はおはなの悩みを真剣に受け止め、考えた末に言葉を選びます。「おはなさん身分や社会の制約は確かに重い、しかし人生において大切なのは幸せや想いなのではと、この前の『小柴垣草子』を巡るお話しの中で感じたのです。
あなたも奔放な感性を尊重していたのではありませんか?運命はわからない勇気をもって想いを告げてみるのが良いと思う。」
左衛門の言葉に、おはなは静かに深くうなずきます。
「三郎さん、ありがとうございます。そうですね我々の春画にもそう教えられていますものね。」
瞳を潤ませながら左衛門の事を見つめるとおはな何かを決意した様子で別れを告げ帰って行った。。
それ以来彼女は読書会に姿を見せなくなった…
左衛門は、逢えなくなったおはなを想い悲嘆にくれていた。
こんなに想いが募るのであれば、私こそ身分など気にせずに想いを打ち明ければ良かったと思う。左衛門は日々、おはなのことを思いながらも、自身の使命を果たすために読書会に通い続けました。しかし、おはなの姿が消えてからも、彼女の言葉や笑顔が左衛門の心に残り続けるのでした。
悶々としながら、参加していた読書会の最中にコンコンと小さく戸を叩く音が響きました。
参加者一同、ビックっと体をこわばらせ秘密の読書会がバレたかも知れぬという疑念を抱きながら戸のほうへ「どちら様ですか?」と主催男が声をかける。
すると「私は、おはなの使いのものです。用があって伺いました。内にいれていただけないでしょうか?」
そこいた女を内に入れると、女はおはなの縁のもので三郎に会いたいという。
そして三郎に「こちらを、おはなより預かって参りました。」
と一通の文を渡す。
そこにはこのように書かれてあった。
「此の程は、私の相談に乗っていただきありがとうございました。実を申せば、私がお慕いしていたのは三郎様あなただったのでございます。身分違いと申しましたのも、私は武家の娘で本当のなを雪と申します。あの相談の後でもまだ勇気をもてないまま悶々しておりましたが、時を重ねるにつれ読書会での三郎様とのやりとりや情景を考えてしまう有様で、誠にご迷惑かと存じますが文をしたためました。
自分の一方的な想いを書きつけて相手を顧みぬとはなんと厚顔無恥な女だと思われましょうが、こうするより他に気持ちが仕方なかったのでございます。どうか我儘で奔放な私を御容赦下さいませ。

ちはやふる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは 
雪」

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