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動詞にこだわると、文章に気持ちが乗る。

言葉の幅をどうやって増やすのか。
日本語の一つの特徴として、動詞が一番最後に出てくる。したがって、どれだけ文頭を聞いていても、読んでいても、最後の動詞によって、文章の印象だけでなく、本気度や意味合いは全く変わったものになってしまう。

例えば、一生懸命走ったことを、「全速力で走った」というのではなく、「疾走した」などとすると、走るという普通の一般的な動作を修飾する形ではなく、一生懸命走ってきたことが短く、かつ、より臨場感たっぷりに表すことができる。
動詞にこだわると、その表現の幅や深さが変わってくるのである。

今回の場合、「走る」でも、疾走する、ひた走る、かっ飛ばす、ぶっ飛ばす、駆け抜ける、などなど他にもたくさんあるだろう。

動詞にこだわると、文章の印象や本気度、意味合いの深さをコントロールすることができる。

では、この動詞の幅、深さをどう鍛えていくか。
それは、日々の経験、体験の数だ。
何かを体験したときに、修飾語を使うのではなく、それに合う動詞を探してみる。

・気になるあの子が自分のことをどう思っているかが気になって「やきもきする」
・スーパーで隣人に出会ってしまい、「道草を食う」
・自分の撮った写真が他人に気に入られて「胸が高まる」

今までにやったことない体験をたくさんして、その時に頭に浮かぶ動詞を探してみるんだ。
一方、現代は、カタカナ+するの言葉が増えた。「コントロールする」「コミットする」「チェックする」「テイクアウトする」・・・。便利な時もあるだろうが、時にしてこの表現は動詞を抽象化してしまい、表現の幅を殺しているのかもしれない。

なんだかむず痒かったり、嫌な気分だったり、腹立たしい時に、全て「きもい」で片付けてしまうような、そんな感覚に似ているのかもしれないな。


最近、自分の知識に定着させるために、メモ帳にペンを走らせながら、精読しているが、その内容をより一層自分のものにするために、いま、ブログを執筆している。

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