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残業120時間→育休10ヶ月での備忘録。

はじめに

僕は、広告代理店で営業として働いていました。
クライアントの事業課題をコミュニケーションを通じて解決するために、クライアントと向き合い、社内をまとめ、プロジェクトを前に進める。
定時は一応あるが、夜からミーティングが入ることも日常茶飯事。
労働時間なんて特に考えたことはありませんでしたが、帰宅時間はほぼ終電近くでしたし、プレゼン前は朝までなんてこともあったので、少なく見積もっても120時間は残業していたと思います。

そんな僕が、10ヶ月間も育休を取り、今日でその育休が終わります。
この記事は、おそらく、もう来ないであろう育休を取得してみてで感じたことの備忘録です。

案の定大変さを物語る、この泣きっぷり。


書き終わってみて、かなりまとまりのない文章になってしまいましたが、
もし、ワーカーホリックで育休を取ろうか迷っている方や、育休をとり始めたものの、なんかぼんやりとした毎日を過ごしている方に読んでもらえたら嬉しいです。


そもそもなんで育休取ったのか

大きくは2つの理由がありました。
一つ目は、上の子の年齢が近いこと。二つ目は、自分の生き方を見直したいと思ったこと。

上の子との年齢差

2021年に第一子が生まれ、その時には、育休は取らずに過ごしました。
その時ももちろん3時間睡眠でしたが、親が応援に駆けつけてくれたり、
妻のつきっきりの育児、そしてそもそも大人2−3人vs新生児1人だったので、なんとか乗り切ることはできました。
しかし、今回は第二子。そして上の子はまだ1歳半。むしろ手のかかり出す時期です。

上の子は案の定の怪獣っぷり。


これは流石に仕事の片手間で乗り切れる沙汰じゃない。そう判断しました。

自分はなんのために生きてるんだっけ。

もう一つ、育休を考える出来事が、2022年の9月に起こりました。
毎年大学の友人たちとキャンプに行っているのですが、2022年も年始からキャンプの企画をしました。

半年以上前から、宿を押さえたり、メンバーのスケジュールを確保したり、車の手配をしたり、とにかく気合いを入れていました。
しかし、キャンプの時期は仕事の繁忙期と重なり、朝方タクシーで帰って、シャワーを浴び、数時間寝ては仕事に行く日々。
さすがに気力、体力がなくなっていて、そのままキャンプを迎えました。
楽しく過ごしていたのですが、二日目に僕はぶっ倒れて、人生初の救急車に乗りました。
原因は昨夜のBBQの食べ物が当たったんだろうということでしたが、10人くらいいて当たったのは僕だけで、血液検査の結果からお医者さんからは免疫力が著しく低いと言われ、直近の過労が原因の一つだろうと言われました。

キャンプ場から見える天使の階段美しかった。天国に登らないで良かった。

僕は、このキャンプを半年以上前から企画するほど楽しみにしていたし、直近の仕事もそれをモチベーションに頑張れた。何より大切な家族や友達とのかけがえのない時間を楽しく過ごしたかった。
でも実際は仕事に追われて、他のみんなの時間までも楽しい時間から遠ざける形になってしまった。
「こんな生き方、したいんだっけ?」と意識朦朧とする中、点滴を打たれながら考えたことを覚えています。

そんなことを考えて数日、妻から第二子を妊娠していることを告げられ、即座に考えたのが育休でした。
自分の大切なものから順番に人生に取り入れていこう、時間は戻せないのだから、一番自分にとって使いたいものから使おう、と決めたのです。

10ヶ月間も、一体何してたのか

基本的な毎日の流れ

一言で答えるならば、「育児」です。
「…いやいや、とはいえ他に何かしてたでしょ」と思ったかもしれませんが、僕自身もびっくりしているくらい、育児に追われる毎日でした。
これは、僕の境遇もあるかもしれませんが、上の子がまだ1歳半であり、生まれた子との歳が近いことが、想像以上に過酷。

とにかく遊びに連れ出しまくった日々。

具体的にはこんな感じ。
朝は7時くらいに寝不足の中、上の子に叩き起こされる。
朝ごはんを作って食べ、洗濯や布団を片付け、下の子にミルクをあげたりしつつ、上の子の遊び相手をしていたらお昼が近づいてくる。
買い物に行って、お昼を食べたら、上の子の昼寝の寝かしつけ。
上の子がやっと寝たと思ったら下の子が泣き出すので、
あやして寝かせたらようやく少しばかしの夫婦の時間。
と思いきや、寝不足で疲れていて僕らも休むこともしばしば。
お昼寝から起きたら、夕食の支度と、上の子を公園に連れていく。
18時頃には夕食を済ませたら、少し遊びに付き合って、お風呂を沸かして、入浴。
下の子、上の子を入れて、髪を乾かしたり、歯磨きさせたりして、寝かしつけ。
もちろんすぐには寝付きません。
ようやく寝たと思っても、3時間おきの下の子のミルクタイムは無情にも続く、、、。

こどもの記憶に残らないうちにうっぷんを晴らす僕。

そして、何より大きいのは、
この二人の子のどちらかが世話が発生している中、世話している妻を横目に、自分の好きなことをすることなど、決してできないと感じたことです。
(妻からすれば、いやいや好き勝手してたでしょ、と怒られるかもしれませんが…。)
後述しますが、僕自信も、どこか育休を軽く見ていたところがあり、
この育休という時間を通して、キャリアアップ、スキルアップを図ってやろうと思っていましたが、現実は、まとまった時間なんて取れるはずがありません。
なんなら毎日映画の1本でもみてやろうかと意気込んでいましたが、3時間おきに叩き起こされますし、日中は上の子が、やれ遊べ、やれ喉が渇いた、やれジュースをぶちまけてお着替え、などなど、時間が取れた時にはとにかく体力回復、という毎日でした。

スポット的なお出かけ

そんな日々がスタートして、数ヶ月。これでは本当に育児だけして終わる、という危機感もあり、旅行を計画しました。
2020年のコロナで新婚旅行がなくなっていたので、ハワイとかグアムとか、とにかく海外に行きたかったのですが、
2人の小さい子も連れて、英語も全く話せない僕らには、むしろ疲れに行くようなものだ、という結論になり、
お世話になった妻の母もご招待して、東京ディズニー3泊の旅になりました。

ミートミッキーっでしっかり寝てた我が子。はしゃぐ30歳。

海外は行きたかったけれど、3世代で行くことで、子どもの面倒の負担も少しは軽減されるし、妻の母も喜んでくれたし、win-winで、かつ大切な思い出にもなりました。

他にも、九重に行ったり、ハウステンボスに行ったり、可能な範囲でのお出かけを実行。

ほぼ雨でしたが九重にもいきました。


ハウステンボスにもいきました。


平日にがっつり遊びに行ける特権を十分に活かした旅行も少しはできたかなと思います。

育休で失ったモノ

キャリアにおける時間

この9ヶ月間の最終日の今、一番感じているのはこれです。
30歳になるタイミングでの長期育休。
同期は、広告賞を取るような活躍をしたり、転職したり、独立したり。
その時に完全に足踏みをしている自分を感じました。

しかしながらこの足踏みは、今こうして記事にしているように、自分自身を完全にキャリアから逸脱して、俯瞰してみることができたとも感じています。
冷静に、今年で7年目のキャリア。何か特別にできるようになったわけではなく、正直目の前の仕事にとにかく打ち込んで応えてきた日々でした。
それが悪かった、ということでなくて、他のキャリアの選択肢を考えてみたり、将来の進みたい道から逆算すると、今後どうすればよいのかも少しは考えられたと思います。
多分、育休を取ってなかったら、このまま突き進んで、気づけば40歳、50歳となっていたかもしれません。

お金

言わずもがな失いました。
育休期間は、給料ではなく、国からの補助金が出ます。
とはいえ、それまでの給料から比べると、肌感7割くらいになってしまいます。
僕らは祖母の空き家に仮住まいしていたので、家賃はかからなかったのでなんとか生き延びれましたが、
東京⇔福岡の引越し費用や、日々の食費やミルク代、光熱費など、貯金を切り崩す生活になり、試算していてわかっていたものの、精神的に重くのしかかっていたのが事実。
ただ、これはすごく学びで、ほぼほぼ試算通りだったにもかかわらず、毎月どんどん残高が減っていく口座をみて、すごく焦りを感じ、心に余裕がなくなっていったので、今後の生活でも同じような境遇になったら、自分は焦ってしまうと気づけました。
業績が悪化したり、転職したり、独立したりして、同じようにしゃがむ時期が来たとしても、メンタルケアができると思います。

一方で、育休という制度を考えたとき、私のように、家賃がかからない生活設計をできる人は少ないと思うので、金銭的な理由で、十分に休めない人々がいるのもまた事実なんだろうなと思いました。

習慣を作る自信

僕は続けることは結構得意だと思っていました。
日記をこまめにつけたり、日常的に運動をしたり。
ただ、この育休期間ではことごとく習慣が身につきませんでした。
・筋トレ
・読書
・早起き(寒くなってやめてしまった)
・日記(なぜか年末から書かなくなった)
毎日のループと、自分の時間が思ったより取れないストレス、特になにも進歩していないと感じた虚無感から、
やる気がみるみるうちに低下してしまい、自然と遠ざかっていってしまいました。

逆に考えると、これらの習慣は、秋くらいまでは続いていて、僕は、寒くなる時と、虚無感を感じた時に習慣が続かなくなることがわかりました。

習慣が続いていないなと思ったときにやることはたった一つで、
それは、明日からまたやること、とどこかで聞いたので、やっていきます。
そして、この挫折したという経験と、自分の弱点も知ることができたのはよしとすることにします。

懐の深さ

特に働くでもなく、何かを生み出しているわけでもなく、ただただ消費者。なにも生産していないという、仕事をしている時には感じたことのない虚無感から来るストレスと、それによってすぐにイライラするようになってしまいました。
子どもに対してもそうだし、今までは日常の些細な幸せとか、感謝とか、家庭に戻ればご飯が出てくること、夜寝る時に娘の寝顔が可愛いこととか感じていたのに、正直全くといっていいほど感じなくなりました。
今思い返すと、人格が変わってしまったように短気になってしまったと思うし、日常の本当に些細なことにイラつく自分に対して、さらにイラつくみたいな負のループがありました。
いい意味でも、悪い意味でも、慣れるって怖いな、そう感じました。

ここも、きっと仕事復帰をすれば、時間のメリハリがつくし、逆に育休の頃の些細な幸せを感じることができると信じています。

育休で得たモノ

ミニマリスト的な発想

育休に入るにあたり、以前も書きましたが、3か月間の一人暮らしの期間や引っ越しもあり、持ち物がかなり整理されました。
使ってないものを捨てる、ではなく、
使うものを持っていく、そんな感覚のほうが近いと思います。

新居はかなり整理された部屋になりました。

お金の学びと同じように、自分に必要なものの分別がついたので、東京に戻ってきたときには、家族は一人増えたものの、以前住んでいた家よりも、10平米近く狭い家に住むことになりましたが、まったく不自由なく今は過ごせています。

家事の面でも、一番無駄な時間を見つけることができました。
それは圧倒的に、「買い物」です。
スーパーに行く時間もそうですが、意外と取られてしまうのが、「目的のものを探す」時間。
百戦錬磨の主婦の方なら、「春雨」と言われて麺コーナーなのか、だしコーナーなのかすぐにわかるかもしれませんが、
ブラインドタッチを日常の武器としていた僕からすると、どこにあるのか全く検討も見えず、探し回った挙句、店員さんに聞く、ということをしていました。
この育休の期間は、ネットスーパーを積極的に取り入れて、時短かつ労力も削減できたと思います。
これ、自宅で決まった時間に受け取れることが条件になってしまいますが、やってない人は絶対やるべきです。

たくさんの思い出の写真

写真を普段からかなり撮るので、写真に関しては、かなりの枚数を取りました。
枚数にして、2万枚。しかも現像しては、いらない写真は消していたので、シャッター回数という意味では、2倍近くは切っていると思います。

それなりに綺麗に撮ることもできたのは、育休ならではかも。(撮影現場はカオス)

子どもが二人になり、フルサイズや大口径レンズなんかよりも、マイクロフォーサーズで、機動力重視、かつフィルムライクな写真と、それを実現するための超小型のストロボ、という自分なりの写真のスタイルも見つけられたと思います。

フィルムライクな現像だけじゃなくて、撮るフェーズから真正面からストロボを焚くスタイルに。

プライベートな時間の居場所

一番得たもので大きいと感じたのは、自分の時間の居場所です。
結論、それは朝。
子どもたちはまだ寝ているし、自分の時間としてどっぷり浸かれる。
育休中は、コーヒーを勉強したり、写真を現像したり、本を読んだりとかなり充実した時間を過ごせました。

朝焼けは本当に気持ちいい。このコーヒーの味は忘れない。

これは仕事復帰した後でも、習慣にしたいと思っていて、
仕事の連絡や通知が来ない朝は自分の時間に使用と思っています。

朝のコーヒー装備。今見返すと、ミルやフレンチプレス、サーバーにスケールと、この写真からほとんどグレードアップしたものを新調したほどに、どっぷりハマった趣味になった。

育休を通してわかった「自分」という人間像

自分の中でのプライオリティ

自分の中で一番大切だと思うこと、それはきっと「成長」とか、前に進んでいることなんだと感じました。
もちろん家族が大事だし、健康が大事です。
ただ、よく育休に入るときに、「1年も休んだら、仕事復帰したくなくなるんじゃない?」と言われていたんですが、答えは全く持ってNO。
どちらかというと、家庭ももちろん大事にしつつも、自分の中でやりたいことに突き進んだり、何か成長や新しい挑戦をすることが、自分の心理的安全性を担保できる生き方だと気づきました。

きっと老後や仕事を辞めた時に、同じような虚無感に陥ることになる可能性が高い、という自分の発見でもありました。

自分の短所が浮き彫りに

自分の短所は、完璧主義なところであり、
イラつきポイントは、自分の時間を邪魔されること。

前者は、この記事もそうですが、何かと書きたいことがどんどん出てきて、全部を完璧にしたいと思ってしまうこと。
写真や動画編集も完璧を目指しすぎて、量をこなすために大量の時間が必要になってしまう。
そのようなアウトプットエコノミーではなくて、ここから大事なのはプロセスエコノミーだと感じました。
(だからこそ、この記事も推敲するより、ある程度で書き上げて出す)
やりながら、修正したり、よりよくしていく。量をこなして、回転数を上げることを今後は意識したいと思います。

後者は、アンガーマネジメントもできるようになると思いました。
自分の時間は朝に取る、どうしても中断されたとしても、ここでイラつきがちな人間であると自覚する。そういった対応ができると思います。

変化した人生観

仕事には復帰する以上、全力でぶつかりたいと思いますが、今後の人生として、僕はなにか新しいものを作り出すことがしたいんだと感じました。
逆に言うと、何かを単純に回したり(運用したり)、ルーティーンな仕事は、見切りをつけて行っていいんだと思います。
もしかしたら年収が下がるかもしれない、もしかしたら社会的地位は下がるかもしれない。
でも、自分が生きていくために必要なお金と、重視するポイントと、ある程度どこでも生きていけるだろうという謎の自信がついたので、今後はもっと貪欲に、正直に生きて行っていいと感じました。

育休を通して、「忘れちゃいけない」と思ったこと

ここでは、箇条書きに3つ。
・常に学ぶべき、ということ
・回転数を上げて発信せよ、ということ
・時間は不可逆である(今を生きろ)、ということ

さいごに

なんやかんやまとまりのない文章をざーーーっと書いてきて、
そのまとまりのなさにびっくりしています。
(書きたいことがありすぎて、うまくまとめる技術がないことに気づきました)
キャリア・人生を俯瞰してみることができた育休でしたが、
結果、予定通り同じ職場に戻ります。
でも、今までとは違って、時間も制限があるし、何かぶつかってやろう、ダメなら、違う道を進んでみようなど、
かなり心にゆとりを持った状態で、戻れそうな気がしています。

今日から、また始まる新しいキャリア。
貪欲に、そして正直に。

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