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ビールライターになる転機となった日の話

ビールライターとして活動するようになって、今年で9年目。「今日からビールライターだ!」という日があったわけではないですが、あの日が転機だったなと思っている日があります。

「どうしてビールライターになったんですか?」「どうすればビールライターになれるんですか?」という質問をたまにいただくので、その回答になるような話を書いておきます。

ちゃんとしたプロフィールは下記をご覧ください。

ライターとして専門を持たないといけないという危機感

自分は子供の頃から本が好きでした。なので、編集者になって好きなことを仕事にできていたのですが、一方で執筆もしたいという思いもありました。

ライターや作家になりたいという思いは大学生くらいからあったのですが、行動が遅いこともあって、ライターとして活動しようと動き出したのは2010年くらいからだったと思います。編集者との兼務で、会社員として執筆はちょこちょこやっていましたが、フリーライター的なものに憧れていたような部分はありました。

当時はいろいろとゆるい英字新聞社に勤めていたので、会社員をしつつ副業ライターとして動くハードルはかなり低かったですね。やるかやらないかは自分次第。

そこで、出版社や編集プロダクションにフリーライターとして売り込みに行ったのですが、これがなかなか仕事がこないのです。普通のライターよりもいい文章を書ける自信はありましたが、実績がないですしね。

それと、書くことは自信があっても話すことは苦手なので、売り込み下手というか。加えて、少しずつ仕事はもらえていましたが、時間の切り売りになっている感覚もあったのです。ちょっと違う言い方をすると、自分の名前で仕事をもらえるようにしないといけないな、と。そのためには、自分の得意分野を持たないといけない。専門家にならないといけないんじゃないかと思ったわけです。

ビールを専門にして動くもうまくいかず

じゃあ何の専門家になろうかと考え、単純ですが、「ビールが好きだし、ビールライターってあまりいないみたいだし、ビールを専門にしてみよう」と思ったのです。そして、ビールライターを名乗って売り込みにいくわけですが、それもうまくいかず。まあ、実績ないですしね……。

そうやってくすぶり続けていたフリーライター活動の一方、会社員としてもビール関連の仕事をしようといろいろと動いていました。

例えば、デリリウムカフェやベル・オーブを出店しているEVERBREW株式会社(当時は株式会社M’sKitchen)の菅原さんに本を作らないかという話をしたり。菅原さんとは、結果的に本を作ることにはなりませんでしたが、その当時はデリリウムカフェに通いまくってベルギービールについて勉強していました(飲んでいただけとも言いますが)。

本人には言ったことはないですが、菅原さんからは考え方の面で影響を受けています。菅原さんの話を聞いていて、自ら動いてリスクをとれる人が成功するんだなと思ったり、思うところはいろいろありました。

ライターとしてやりたいことがうまくいかず、いい動きは全然なかったのですが、そういう考えを吸収できたことが現在の自分にもつながっているような気がします。

転機はブラッスリー セント・ベルナルデュスのオープン日

そんなベルギービールについて勉強していた当時、菅原さんが神田に新しいベルギービールの店である、ブラッスリー セント・ベルナルデュスをオープンさせました。

その日は2012年7月27日。そりゃあ当然行きますよね。仕事を午前で切り上げて、17時のオープンと同時に入店。カウンターでひとりベルギービールを飲んでいました。

そのうち、徐々に入店するお客さんも増えてきて、自分の隣にもひとりの男性が座りました。そもそも自分はあまりコミュニケーション能力が高くないので、バーなどで隣の見知らぬ人と話すなんてことはまずありません。しかし、この日はちょっと違いました。

横目でチラッと見えたのが、どこかで見たことのあるような顔。ベルギービールを飲みながら、おそらくあの人ではないかと思っていたのですが、その隣の人がふと手帳をテーブルに置いたのです。

その手帳に書かれていた名前は藤原ヒロユキ。

藤原さんは日本ビアジャーナリスト協会の代表で、何冊もビールの本を書いている人。もちろん自分も何冊か買って読んでいました。なんと、そんな人が自分の隣に!

ビールのライターになりたいのにくすぶっている自分としては、「いまここで藤原さんにビールのライターになるにはどうしたらいいか聞かないと、永遠に何も進まないのでは」くらいに思い、勇気を出して話しかけてみました。

「あの……すみません、藤原さんですよね?」

ビールを飲んで少し酔っていたからできたのかもしれませんが、ここで話しかけたことがビールライターになる転機だったと思っています。

行動すれば何かが変わる

このとき藤原さんには、「ビールライターになりたいと思っているんですが、どうしたらいいかわからない」という話をしました。普段は見知らぬ人に話しかけないのに、ちょっと無理して緊張していたからか、実はどんなアドバイスを受けたのか覚えていません。

覚えているのは最後の会話だけ。

バッグから取り出した1枚のパンフレットを手渡され、「9月からこういう講座やるんだけど、よかったら参加してみて」と。それは、日本ビアジャーナリスト協会が主宰するビアジャーナリストアカデミーという講座の1期生募集パンフレットでした。

簡単に言うと営業されたわけですが、藁にもすがる思いで講座に参加。講座終了後からは、執筆のお仕事を紹介してもらうこともあり、徐々にビールライターとして執筆できるようになってきました。

ブラッスリー セント・ベルナルデュスで藤原さんに話しかけてから現在まで、著書を2冊出版し、執筆以外にもラジオ出演など、いろいろとビール関連の仕事ができるようになってきました。

その転機は2012年7月27日、ブラッスリー セント・ベルナルデュスのオープン日なのですが、それまで動いたり悩んだりした日々があったから、その日を転機にできたんじゃないかと思っています。

菅原さんからも藤原さんからも学んだことは、行動すれば何かが変わる。逆に言えば、行動しないと何も変わらない。

あのとき勇気を出して話しかけてよかったと思っています。


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