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顔に出ちゃうって話。

思ってることが全部顔に出るトミです。

多くの人がやだなーと思ってることがあって多くの人がおかしいなーと思ってることがあってみんなが変わってほしいなって思ってることがどうしてか変わらないなって最近多いと思います。何とは言いませんけどそういうのってやんなっちゃいますよね。

例えば満員電車とか、すごいやだなって思います。
僕はそのすごいやだなって思う時大抵いやだー!って顔をしちゃいます。いやだー!って顔のままこう言うんです。
「大丈夫ですよ〜気にしないでください!」
向こうからしたら余計怖いかもです。
ただ、たまにいるんです。いやだーって顔をせずに
「大丈夫ですよ〜気にしないでください!」
っていう方が。僕は捻くれてるのでああいうの見ると
「気を遣わせてしまって申し訳ない!」
とか
「本当は思ってないだろ!」
とか思うのですがどうやら本人にとっては全然大したことはないよということらしいです。ああいうのが僕はイッチバン怖くてですね。嫌なら嫌だ!って顔してくれりゃあいいのにって思ったりします。我慢は良くない!

でも、違うらしいです。僕が満員電車でいやだー!って顔するのと同じようにその人は歩きスマホしている人にいやだー!って顔するんです。それで今度は何も言わずに避けもしないとか。それは危ないので本当にやめて欲しい。

つくづく人間ってのは結構違って結構同じなんだなと思ったり。
「みんな違ってみんないい」
金子みすゞだか宮沢賢治だかが言っていましたけれどそれを最近では
「みんな違ってみんなどうでもいい」
なんて言うそうで。それが若者には心地いいそうで。万バズしたりするそうで。私という人間にはなんだかそれが寂しいそうで。僕ら同じ星の中、僕ら同じ街の中、僕ら同じ電車の中、同じ時代に生き、違う刹那に死ぬものだそうで。それはどうにも変えられないそうで。

それに対して「いやだー!」って顔することもないですけどね。なんかそれは「サミシー」とも「ツライネー」ともならない顔な気がする。「そっかぁ…」の顔な気がする。諦めではない受け入れの気持ち。

まぁどうせ死んだら棺桶の中で「ヤスラカ」にさせられるんだから最後の顔は割とみんな一緒なんだよなーとか思っちゃったり。だったらせめて生きてる間、いやだー!って時と楽しいー!って時くらいはちゃんとその通りの顔したいなと思ったりしますね。そんでその時に同じ顔で分かり合ったり、それはごめんって伝えたりしたいもんです。世界の理不尽が変わんなくてもなんとなくそうしたいかも。

私は人の笑顔が割と好きです。笑ってくれると嬉しい。困った顔も割と好き。だから戯曲を書くときはついつい笑わせたくなっちゃったりついつい困らせたくなっちゃったりするんだよなー。その人の素直な表情が好きです。普段は鉄壁の笑顔を携えてても、たまに見せる見たこともない表情がなんか好きだったりするんです。色んな顔が見れる演劇が僕はなんだかんだ好きみたいです。これからも演劇やりながら素直に「タノシー」って顔できたらいいなー😆

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