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【春秋一話】 4月 「株式会社ほぼ日」と神田

通信文化新報 2021年4月19日 第7088号

 弊社の事務所は東京都千代田区神田錦町にある。
 神田といえば、神保町の古書店街、明治大学、日大理工学部などの駿河台キャンパス、スキー・スノーボード用品の小川町など人が集まる街並、日本三代祭に数えられる神田祭など、文化と伝統の街である。
 神田祭は、神田明神の祭礼で毎年5月中旬に行われるが、西暦奇数年には本祭、偶数年には蔭祭が行われる。より盛大に開催される本祭では「一宮」「二宮」「三宮」の3つの神輿をはじめ、平安時代の衣装をまとった巡行が行われる神幸祭が最大の見どころである。
 祭礼が近くなると、各町会では倉庫に保管された神輿を街頭に出し、注連(しめ)縄や紙垂(しで)などを玄関に飾る家も多く、通勤中の我々も町全体の熱い盛り上がりを感じられる。2019年は新年号となって初の大祭となり、メイン神事の神幸祭は数千人規模の大行列となった。今年は奇数年で本祭が行われる年であるが、感染症の影響により本祭ではなく蔭祭として開催され、昨年と同様に神幸祭などの諸行事は中止される模様である。
 一年以上にわたる行事の中止や飲食店の営業時間規制などにより街中には暗いムードが漂っているが、神田錦町界隈では明るいニュースもあった。
 9月、神田錦町2丁目に「神田スクエア」という地上21階建ての複合型ビルがオープンした。レストランやイベントホールもあるこのビルのオフィスフロア8階には任天堂が東京に点在していた事務所を集約して移転してきている。
 また「株式会社ほぼ日」も神田錦町3丁目に移転してきた。
 「株式会社ほぼ日」は、コピーライター糸井重里氏が代表を務める会社で、1998年からインターネットに「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設後、日々更新、運営、コンテンツの制作などを行うほか、「ほぼ日手帳」をはじめとした文具、雑貨などの企画・開発・販売を行なっている。
 これまでは港区青山に事務所があったが、昨年11月に神田錦町3丁目のビル一棟を「ほぼ日神田ビル」として全社移転してきた。
 青山から神田への引っ越しの経緯について、糸井重里氏が語ったことがホームページに掲載されており大変興味深い。
 糸井氏は2005年に青山に事務所を移した理由を「世界中の人が欲しがっているものを予告編のように感じられ、自分たちの考えるべき水準を上げてくれると考えた」と語っている。
 それから15年経ち、海外の富裕層が増えたことにより、コンテンツを作る側としては徐々に行き詰まりを感じ、そろそろ移転してもいいのではと考えていた頃に、神田の喫茶店で、京都のような観光客と地元の住民が同じ空間で生きている場所特有の感覚を感じ、ビジネスマンが観光客的役割をして地元の飲食店の大きなお客さんになっていると思ったそうである。
 糸井氏は従来からの事業に加え、これからの日本に必要な事業は「教育」だとして、「ほぼ日ビル」内にあらゆる人が行き交う総合雑誌のような学校を目指した「ほぼ日の学校」を創設したが、今回の移転により、神田という街が自分たちの「初めての地元」となり、世界中の人たちに向けて、こういう面白いことをやる、こういう働き方ができる、こんな素敵な街があるということを発信し、結果として「ほぼ日」が神田の代名詞になるようにしたいと語っている。
 会社の移転について、ここまでその地域とのつながりを考え、将来に向けた自らの役割を発信することは、これからの新しい会社の在り方を伝えているように思う。
 神田からの「ほぼ日」の発信に注目したい。

(多摩のカワセミ)

カワセミのコピー


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