見出し画像

参院選後のもやもやを捕まえる努力をしてみる

2019年7月21日参院選が終わった。自分が成人してからは4回目の国政選挙だ。この参院選を経て凄くもやもやがたまっているなと感じたので、政治的な信条や政策論争・支持政党などには一切触れずに、一つの「感じ」の記録として記事を書いてみる。

1. 「選ぶ」って難しい

 世の中の政治言論を眺めていると「人や政党の"名前"を批判している言論」か、「大きくてよくわからない問題を大きくてよくわからないままに言い争っている」ようなものがどうしても目についてしまう。実際に政策や政権運営のどこが悪くて、どこが良いのかの情報がほとんど伝わってこないので、様々な本を読み漁ったりウェブ論壇を追いかけたりしないと「ちょっとなにいってるかわからない」以外に何の感情もわかなかった。
 世間的にいえば非常(異常)に勉強好きな自分にとっても、論点を追いかけるのがすごく難しかったし、さらには一人の候補者、一つの政党を選ぶということも想像以上に大変なことだった。正直言えば自分が自分の思うような選択をできているのかすら今でもわからない。
 「〇〇死ね」という人も、「増税反対」と声高に投稿する人たちも、何故そう考えるのか教えてくれない。「ねえねえ、教えてよ」と聞けば、良くても「あの記事に書いてあった」、最悪「そんなの当たり前でしょ」なんて言われてしまってこちらも少しひるんでしまう。一方で静かに政治的な考えを練っている人たちはその考え方を自分のお宝のように抱え込んで、「人に話すようなことではない」とダンマリを決め込んでいたり。全員がそんな冷たいわけではないけど、政治の話は怖くてできないって感じている人も少なからずいることは確かだと思う。
 政治はそもそも色々な人の意見が対立するからこそ、代表者を集めて議論しましょうという場なので、身近な色々な人たちとの意見の違いを見つけることから自分の立場が判明して、そこから民主主義が始まると考えているけど、それは理想論でしかないことも何となくわかっている。
 自分の身の回りにいる人たちは、いわゆる高学歴ばかりで、それぞれ一定の考えを持っているのだろうと思えるような人がわんさかいるけれど、それでもしっかりと話をできる場は余程頑張って探さないとほとんど見つからない。特に違う意見の良いところ悪いところをお互いの人格とは関係なしに話し合える人は多分とても少ないと思う。(※投票率は非常に高そうだけど)
 しっかり教育を受けたからこそ、わからない人を冷笑するのではなく、難しいことをわかりやすく話題にしていかないといけないな、と強く感じている。自戒を込めて。
 そういったコミュニティでもそのような状況にあるのであれば、他のコミュニティについても推して知るべしといったところなのだろう。我々の意見を問う選挙なのに、我々は自分がどんな意見を持っているかすら明確にするチャンスが無い。投票に行かない若者が、「わからないものはわからない」という気持ちもわからなくはない。
 しかし、一番重要なことは、「わからないものは、何度かやれば少しわかるようになる」という単純なことが義務教育を終えた人にも根付いていないということだと思う。初等中等教育で一番大事なことは、それを終えた後にどんな知識がついているかということより、「自分で学べばある程度は分かる、それで限界を超えた後でも人に聞けばもう少し分かる」という自信だと思う。何故か今の教育では、その自信が完全に折られた人をたくさん作りだしてしまっているような気がしてならない。これが1もやもや。

2. 「自分の意見を変える」って難しい

 選挙権を得てからは、しっかりと政党のウェブサイトや自分の地域で立候補している政治家のウェブサイトを確認して、自分をしっかり代表してくれそうな政治家を探して投票していた。
 前回の選挙から今回の選挙に至るまでのあいだ、たくさんの本を読んで、いろいろな人と話す機会に恵まれた結果、政治に対する見方や日本の将来に期待するビジョンが大きく変化した。その変化は同時期に賑わいを見せていた前衛的な政治活動とは全く異なり、あくまで自分の内面的な、外から見れば非常にちっぽけな変化だった。
 日本人はコミュニティの信頼を大事にするので、自分の意見を変えることが苦手な人が多いのではないかと感じる。特に強い意見を持っている人ほど、自分自身の過去の考えに向き合って、それを今回も肯定するか、否定するかと冷静に自問することは難しいしとても疲れることだろう。
 ニーチェは「曙光」という著書で「脱皮できない蛇は滅びる。その意見をとりかえていくことを妨げられた精神も同様だ」と述べているが、時代が変われば政治も我々も変わる以上、「今の自分がどこまで今とこれからの政治を考えることができるか」を純粋に見つめて、自分の意見が変わったら自信を持って「変わった!」と心の中で呟いていいのではないかと思う。それは自分が自分の意見を変えるような大きな出来事に触れる努力をした結果なのだから。
 逆に、変わっていないことを確かめることができることも同様に素晴らしいことだと思う。以前の考えをさらに深めて、その蓄積の中で次なる一歩を選択することができる。
 でも、世の中には自分自身の考えを見つめる余裕のない生活を送っているひとの方が多いのかもしれない。選挙後のSNS投稿などを見ていると、そもそも初めから「自分は『考える人』ではない」と考えている人が世の中にはかなりいるみたいだ。それもまた一つの自分の考えであることに気づいて、ニーチェの言うように「脱皮」することはいつでもできるというのが私の考えだけれども、、
そのような人たちが自信を持って自分の考えを大切にできるような精神を育てることを妨げているものは一体何なんだろう。1もやもや。

3. 「世の中」って難しい

 今回の参院選が終わるまで、「若者の政治参加意欲は従来よりかなり高まった」と完全に思い込んでいました。
 18歳選挙権が開始してから、若者の政治参加に関する本は書店に複数並んでいるし、若者自身の活動も少しとっつきにくい前衛的なデモのブームを経て、堅実な地方議会レベルでの若手議員の出馬や、Politechなど技術や起業の面での政治参加の促進など、若者の興味を喚起するようなニュースやSNS投稿が増えているように感じて、今回は若手の投票率があがるんじゃないかなぁと楽観的に考えていました。加えて憲法改正議論のみならず増税を控えてその他年代もある程度投票率は上がるのではないかとも思っていました。
 まだ年代別の投票率に関する情報は公開されていない様子ですが、全体としての投票率は下から歴代2位とのこと。正直聞いて驚きでした。
 自分のツイッターのTL上ではほとんどの人が投票を行っている様子を見ていたため、自分の見えている社会と実際の社会はかなり異なったものなのだろうと改めて確認させられました。
 なんだかんだで「世の中はいい方向に進んでいる」だとか「世の中はあまりよくないムードだ」みたいな感覚を持って物事を考えてしまうことを避けるのは難しいですが、前提を疑うことを忘れてはいけないと強く感じます。
 それと同時に、自分に見えていない世の中をどう見ればいいのか。「世の中」にどういう人がいるのか。という疑問を解消するにはどうすればいいのか五里霧中です。仕事で色々な人に触れあうといっても限られた世界、日常で様々なコミュニティに顔を出すといってもそれも限られた世界。どこに行っても自分の周りの世界でしかない。「世の中」を良くするために何ができるか、ということは常に考えるけれど、そもそも何を良くすべきか知らないということがもどかしい。1もやもや。

4. 最後に

 長々と書いてみましたが、政治のことを書くのってやっぱり少し怖いですね。今回は政治的な議論そのものについては一切触れないようにしましたが、今後はそういう議論も臆せずできるように文章力を磨いていきたいです。読んでいただきありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?