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「髭と母」

散歩道にて髭のように生えた草に出会う
母を思い出す

母は昭和元年生まれ
生家は名主といわれた豪農
乳母に育てられ女学校にも通う
戦後まもなく農家に嫁ぐ

訳あって父と家を出て母の実家に戻る
住まいは実家の厩(うまや)
私はそこで産まれた
ミカン箱をテーブルにしてスタート
私が物心ついた頃は既に小さな家に引っ越していた

ただよく実家の農作業を手伝いに行っていた
母は子らに貧しさを感じさせなかった
お金がないことは子供心にわかっていたが不足は感じなかった
わが家には財産がないから「勉強して身を立てろ」が口癖
授業参観は必ず和服をきれいに着こなして来る
そういう母を私は大好きであった

母に背負われ肩越しに見ていた農作業
白い割烹着を和服の上に着て料理をする後ろ姿
請け負った和裁の夜なべ仕事
石けんの残り香・・「お母さんのニオイ」は石けんのにおい

母にとって子供はいくつになっても子供
私がひげをはやしたとき言った言葉・・・「あんまり偉くなるなよ」

母の子への思いは偉大である
そんな母ももういない

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