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仕事に感情は必要だろうか?プライドは?
私は昭和に生まれた人間です。
昭和といっても、団塊の世代ではなくその子どもの位置。
なので、気合と根性、男らしく女らしくって世界で生きてきました。
そんな私が仕事を始めた頃の話。
私は、感情がないわけではないが、悪く言うと
”事なかれ主義””八方美人”って奴だと思われていた。
だから、よく先輩から「あなたはもっと感情を持った方がいい」アドバイスを受けていた程です。
自分の意見、人の意見、世間のこと。
自分の意見を出す時に、怒りを出さないなんてプライドはないのか?
ってことなのかもしれない。
プライドはある。
くだらないものも熱い思いも含めてある。
しかし、人に向けて自分のプライドを見せつける必要はないと思っている。
私は自分が自分であるための”プライド”は持っているつもりだ。
そんな、昭和な時代を生き延び( ´艸`)
平成、令和と時代は移り変わり仕事の考え方も随分変わってきたと思う。
生意気な言い方になるかもしれないが、私の考に時代が追い付いた感がある。
なので、同世代の考えよりも若いメンバーの考えの方がしっくりくる部分が大いになる。(若いメンバーからはどう思われているか分からないが)
仕事とは、私たちが社会の中の役割として選んだ一つの生き方だ。
なので、「仕事=私」ではないし「私=仕事」でもない。
しかしながら、責任や役割を果たしているわけだから、ある程度の縛りはあるべきだし、そんなの当然として理解すべき内容である。
が、しかしだ。
「責任や役割を果たす」のだが、誰のための「責任と役割なんだろうか?」
私であれば、社会福祉法人という役割の中で、児童発達支援センターとして担うべき内容を幼児、保護者、地域の方へ責任を持って果たすことだろうと思う。
そして、その職員はその意思を持って一定の理念や思想を共有しつつ責任を果たしつつ役割を果たしていく。
無意識なことも多いだろうが、きっとこれがスタートライン。
なので、意識できるように社会人としての育成とはここら辺の内容が入ってくるのではないかと思う。
で、私が話したいのはここから先の話。
では、スタートラインに中々つけない人に”何故なんだ”と感情的に強い思いを伝えると、その人は胸を撃たれスタートラインにつくことが出来るのか?
もしかたしたら、「分かりました」と体裁は取るかもしれないが、引きずられてスタートラインについて人は、一緒に走ったり跳んだりできるはずもない。
自分の足で、歩いてスターラインにつかなければ何の意味もない。
それが出来なけば、その仕事や会社に合わないのでとっとと、転職をした方がよい。
何故かというと、いろいろな意味を含めて楽しくないから。
しかし、同じ思いを持ちスタートラインに立てたならば、自分の力を発揮することが出来ること自体が楽しくなる。
その、自分の力を発揮できる場面の保証やそれを信じる想いや何より、人として尊重が必須と強く強く感じる。
これを一言で表すと”自律”である。
自律をした職員は強いです。
そんな職員を生かすのが管理職です。
生かされると、役割があると辛い時も一歩足が出ます。
そこには、助けてくれ理解してくれる仲間がいるから。
究極論は自分自身の問題なのですが、人間社会という連鎖の一部である仕事である以上人との関係は避けては通れない。
では、どうすればよいのか
互いを尊重して生かすことです。
色々あるけど、どうせきつい仕事ならば楽しくしたいですね。
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