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18年後の乾杯まで

「かんぱい」はまだ言えない。でもここ1ヶ月、激しく乾杯し続けるヤツがいる。

もうすぐ1歳半になる息子だ。

彼が生後3ヶ月の頃、夫は長期の海外出張へ行き、私と息子は実家へと戻った。(コロナの影響で1度しか帰国できていないし、しかもまだ帰ってこないが、それはまた別の機会に書こうかと思う。)



私の実家は、父方の祖父母と両親の4人で暮らしている。私の息子からすると、曾祖父、曾祖母、祖父、祖母となり、今は4世代が同居していることになる。

※便宜上、ここでは息子からの関係性で書くことにする。

曽祖父も曾祖母も80代半ば、お米も野菜もそこそこの規模で作っている農家で、今のところ健在だ。息子は彼らにとって初のひ孫である。

そして息子はこの二人が大好きだ。二人の部屋に入って、ティッシュを気の済むまで出そうが、引き出しから服を全部出そうが、壁紙を破ろうが(後日曽祖父が修理していた)、曽祖父曾祖母は何も怒らないし、むしろ楽しそうに一緒に遊ぶ。私も、もうこの部屋は好きにすれば良いかと諦めの境地である。

そうやって息子の好きな事だけをやってきた結果、彼が人の名前を初めて発したのは、「おおじじ」だった。(くやしい。)

程なくして「おおばば」も呼べるようになり(発音は「おおぶぁっぶぁっ」たまに「ぶぁっ」が6回程続く)、更には曽祖父の農業用の軽トラもめでたく「おおじじ」となった。今や街中で軽トラを見かけると全然関係ない軽トラも全て「おおじじ」となっている。

そんな曾祖父曾祖母は生活のリズムも1歳児と似ている。日の出とともに起きて、ご飯は毎日決まった時間に食べて、だいたい夜は8時半前後には寝る。いたって健康的だ。だから食事もだいたい息子は曽祖父曾祖母と一緒に食べる。

曽祖父曾祖母にとって1歳児の食事は、そこそこ刺激のある娯楽のようなものだろう。しかも自分たちが作った野菜やお米をパクパク食べているのだ。面白くないはずがない。

一方で1歳児にとっても、大人がご飯を食べるのを見ているのが楽しいようで、よく食べる。誰かと一緒に食事をする『共食』は子供の発達において良い影響を及ぼす、との研究もあるようだ。

何はともあれ、みんな楽しそうなので良しとする。



曽祖父はお酒が好きだ。毎晩日本酒でもビールでも一杯だけ飲む。お酒を入れ終わったコップを息子は見逃さず、自分のストロー付きマグを持って、「おおじじ!おおじじ!」と大声で催促する。乾杯するまで止まらない。おおじじとの乾杯が終われば、「おおぶぁっぶぁっぶぁっぶぁっ」である。これを気が済むまでやり続ける。

そんな時、ぽつんと曽祖父は言った。

お酒が飲めるようになったら一緒に乾杯しような!うーん18年後かぁ…


18年後、曽祖父は102歳。寿命を全うしている確率の方が高いだろう。しかし、そんな事を数日言っているうちに、だんだん曽祖父の発言が変わってきた。

お酒が飲めるようになったら、おおじじと乾杯するからな、おおじじはそれまで頑張るぞー!かんぱーい!


なんだか数日で決心がついたらしい。一応不可能ではない年齢である。目標があるのは良いことだし、孫の私としても是非とも頑張って頂きたい。お酒に限らなくても、私と息子が実家にいる間に思う存分、麦茶で乾杯してほしい。




それでも、やはりお酒で乾杯するのは格別だろう。遺伝的にお酒が好きだろうとみんなに予想されている息子は、おおじじとの乾杯の約束を果たしてくれるだろうか。

曽祖父とひ孫がお酒で乾杯するなんて、世界でどれだけの人が出来るだろう。どんな話をするんだろう。その頃、世界はどうなっているんだろう。

先の見えにくい今、そんな18年後の事をぼんやり考え出したら、少しだけワクワクしてきた。

そんな事を思いながら、私は今日も子育てに追われる。今日はかんぱいの合間に私も入れてもらおうと思う。


息子よ、曽祖父よ、健やかにあれ。




#また乾杯しよう