のらねこ、日本語が世界的に独特すぎる
日本語は難しい。
よく言われることですね。
ただほとんどの人は、自分がコミュニケーション下手なのを、日本語のせいにしてるだけです。
とはいえ無論、日本語そのものを難しいと常日頃から感じている日本人は相当多く、それはおそらく事実だろうと思います。
なぜ、母国語なのに「難しい」と感じる人がそんなに多いのか。
そもそも日本語はどんな言語なのか。
そんなに難しいのか?
今日はそのへんを紐解いていけたらと思います――。
いつもお読みいただきありがとうございます。
あるいは初めて見てくださった方、久しぶりの方もありがとうございます。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。
幸せってなんだろう。
何年・何十年探してもちっとも見つからない。
死ぬまで見つからないのが当然に違いない。
普段からそんなことを考えがちな人は、幸せを探すのが下手なのではありません。
“目標管理” が下手なだけです。
幸せを探すという目標を達するには、達成までの道のりを適切に自己管理しなければいけません。
そうでなければ、幸せになれないのは当然のことです。
この のらねこに何ができる? では、だったら目標管理って何? ってことを学んでいただくため、僕が自身で計画して自分で達成してきた様々なことを、なるだけ面白く書いてお届けする内容となっています。
現在連載中の “のら地球人に日本が分かる?” シリーズでは、世界の様々な言語をいろいろ勉強してきた僕が、そういう立場じゃないと分からない日本を語ることで、今の暮らしのヒントにしていただく内容です。
1. 日本語の難しいとされるポイント
1. 日常会話語の語彙が極端に多い
日本語が難しい理由の1つとして、日常語の単語数が多いことを根拠とする人がいるようです。
たしかに、日本語は日常語が極端に多い言語です。
英語などの他の言語では通常2000前後が普通と言われていて、日本語以外で日常語が多いのは中国語。
世界に7000あるといわれる言語を全部調べたわけじゃありませんが、個人的に見聞いた範囲では中国語の3000が最多です。
それに対して日本語は8000語の語彙がないと、まともな日常会話ができないとされています。
他の言語と比べて、突飛でて多すぎますね。
ただ、この8000という数字には実はトリックがありまして。。。
英語などのヨーロッパ諸語が持つ、文字数が少ないゆえに新しい単語が作りづらいという事情を加味していないのです。
つまり世界中の多くの言語では “単語の使い回し” がある程度の頻度で発生するものであって、この世の全ての事象に異なる語彙を充てようとするのは日本語だけが持つ特徴といえるのです。
たとえば。
英語の "original" という単語。
日本語では、“原本の” “原初の” “起源的な” “原住民の” “元の” “オリジナルの” など、状況に応じて様々な語彙を使い分け、なおかつ、それぞれ置き換えできるかどうかは限定的です。
“原初の人” “元の人” は英語ではどちらも "original human" ですが、にもかかわらず日本語では入れ替えたら意味が変わってしまいます。
無論のこと、『他の言語では1つしかない語が、特定の言語でのみたくさんの語彙に分かれる』という現象のみに着目した場合、そのような例はどんな言語でも一般的にありえることです。
たとえばイヌイットの人達は雪に関連する語彙が非常に多く、『雪』という意味になる単語だけで100以上あるそうです。
これは、彼らが宿命的に雪に強い興味を持って暮らしているからです。
その国の人達が文化的に興味を持っている物事に対する語彙は、他の言語よりも増えるのです。
でも日本語は違います。
日本人は、英語圏の人々に比べて『オリジナル』という概念に対する興味が強く、深い造詣を持っているのでしょうか?
とりたててそんなことはないですよね。
日本語は、新しい言葉を作りやすい言語であるがゆえに、通常であれば同じ語を使い回すべき場面でも、ニュアンスを変えて新しい言葉を増やしてしまうんです。
だから必要以上に大量の日常語が生まれてしまうんです。
ですが、このことを持って日本語が難しいといえるでしょうか。
それは少々疑問です。
英語はたしかに、日本語に比べて同じ語の使い回しの多い言語です。
ですがだからって、『英語は異なる状況でも同じ単語を同じ意味で用いる』わけではありません。
単語としては同じ "original" でも、状況が違えば『こういう状況では』『こういうニュアンスが生まれる』という細かい違いが生じます。
ですから英語の場合、どういう状況ではどういう意味で使うかということを、1つの単語に対して大量に覚えなければいけないんです。
その学習量を考えれば、英語が日本語と比べて習得学習量が少ないとは、決して言えないのです。
2. 音の数が少なく、同音異義語を区別しづらい
日本語は、音の数が非常に少ない言語です。
清音・濁音・半濁音・拗音・促音・撥音で、全部あわせて107音。
それに対して英語は、(数え方によりますが)母音だけでまず21音。
加えて子音が(2文字1音となる組み合わせも全部合わせて)25音。
なので、これを掛け算すると全部で525音です。
また、おとなり韓国の場合、同じ計算をすると399音。
日本語の107という数値は、音の数として圧倒的に少ないのです。
そうした音の数の少ない言語は、往々にして単語を長くすることで語彙数を稼ぐのが普通です。
が、日本人はそんな面倒なことはしません。
普通に同音異義語を増やすだけです。
ですから一説では、日本語は世界一同音異義語の多い言語ともいわれています。
これはつまり、日本語は『文章を紙に書かないと、耳で聞いただけでは意味が分からない言語』ということになるんでしょうか。
そんなことはないですよね。
日本語は “高低アクセント” の言語です。
同音異義語の違いを、アクセントの位置の違いで区別する言語です。
ですから、『橋』『端』『箸』の3つの単語を同時に含む『橋の端を箸でつかむ』という文章を耳で聞いたとき、「音が同じだから意味が分からない」なんて言う人はいません。
中にはたしかに、アクセントまで全く同一の同音異義語もないではなく、たとえば『トリノオリンピック』と『鳥のオリンピック』はアクセントも含めて全く同じになります。
でも、こういうのはあくまでレアケースですし、使う状況がそもそも違うので混乱はありません。
アクセントの違う語は耳で聞いてもちゃんと区別できるわけだから、同音異義語が多いことを根拠に日本語が難しいとはいえないことになります。
3. オノマトペの異常な多さ
日本語はオノマトペが異常なほど多い言語です。
オノマトペってのは、擬音語と擬態語のことですね。
キラキラ、モヤモヤ、ハラハラ、にゃあにゃあ、ぼやぼや、とことこ。
日本語には実に様々なオノマトペがあります。
それどころか勝手に増やしたりしても雰囲気で通じたりします。
ほげほげ、テュルテュル、ぺもぺも、デュンデュン、メモメモ。
で、このオノマトペ、実は海外の人達がつまづくことの多いポイントの1つで、意味が全く分からずなかなか覚えられないようです。
もしかすると中には「擬音語って言うくらいだから、音をそのままカタカナにすればいいだけだ」という認識の人もいるかもしれません。
ですがこの認識は誤りです。
たとえば星がまたたく音は「キラキラ」ですが、外国人からしたら全く意味不明です。
夜空の星が物理的に音を出すはずがありません。
仮に音を出していたとしても、恒星内部でプラズマが熱核反応を起こす音は多分「ゴウゴウ」か「シューシュー」でしょうし、仮にそんな音がしても真空中を地球まで到達することはないでしょう。
(ブラックホールの音はどうやら、地獄の亡者が苦しむような「ぐぉうぐぉう」といった感じとされているようです。なのでもしかすると、通常の恒星もこれと似た音を出しているのかもしれません)
星のまたたきに「キラキラ」という音を充てるのは、全く不条理といわざるをえないのです。
こちらのキラキラは、おそらくテレビの放送で実際に用いられた効果音が語源と思われます。(※予想です)
ですから、その放送を見てもおらず、伝聞でも聞いたことがない外国人の人達には、「星がなぜキラキラなのか」は全く理解できないことになります。
このような不条理は、擬音語が実際には音をカタカナにしてあるのではなく、「感覚」を音に変換しているために起こります。
ということは、この『感覚を音にする』という現象を根拠に、日本語が難しいと言うことはできるでしょうか。
残念ながら、一部の人以外には難しいでしょう。
たしかに、たとえば胃が痛む音を表すは「キリキリ」「ズキズキ」「しくしく」「チクチク」「じんじん」など数多くあり、その違いで悩む人はたまにいます。
ですが通常は、その擬音語を知らなければ知らないで「針で刺される感じ」「胃で蝶々が騒ぐ感じ」など、自分なりに工夫して伝えればいいだけです。
世界的には普通そうするものです。
ですから、擬音語の意味が分からなくて困るのは、擬音語を不用意にやたら使う友人がいる人だけで、一般に多くの人は困ることはありません。
ゆえに、日本語にオノマトペが多いことは、(日本人にとっては)日本語が難しい理由にはなりません。
ただ、その友人と縁切りするのが難しいだけです。
4. 略語を作りやすく、新語も生まれやすい
たとえば『サンドする』は、英語の "sandwitch" からきている新語です。
パンで食材を挟むこと、転じて、何かを何かで挟むことによって有用性を増すという意味でも用いられます。
また、サンドイッチの略語として『サンド』という言葉が生まれていることから、派生として『オープンサンド』『ホットサンド』『フルーツサンド』などもあります。
英語は "sandwitch" を "sand" とは略さないため、"open sand" "hot sand" "fruits sand" 等はいずれも通じません。
このような新語・略語が生まれやすいことから、日本語は難しいと感じる人もいますね。
これは日本語の難しさの根拠になるでしょうか。
残念ながらさすがに無理です。
略語や新語は別に日本語でなくても日々生まれており、そのスピードが日本だけ特別早いということも、おそらくはないでしょう。
英語圏では略語に頭文字を取り出した言葉を使うのが一般的で(Automatic Teller Machine を ATM と略す等)、略し方が中途半端とは言えるかもしれません。
『エーティーエム』では音が十分に短くなっているとはいえないからです。
ですが、音を無理やり縮める略し方も、別にないではありません。
"brother" を "bro" と略すなど、スラングではこういう略語もかなりたくさんあり、それらは日々増えています。
ですから外国語との比較でいえば、略語・新語の多さは日本語の難しさの根拠にはならないのです。
ただ、こういう言葉の類はジェネレーションギャップを生むケースが多く、それを埋めるのが難しいだけで、これは日本語そのものの難しさとは無関係ですね。
2. 日本語の本当に難しいポイント
だとすると、日本人にとっての「日本語って難しい」は総じて錯覚で、実際にはそんな事実はないのでしょうか。
実をいえば、日本語の文法的な部分で、日本人にとっても難しいポイントがあります。
1. 何でも省略できすぎる
一般に文章とは、主語・動詞・目的語の3つを組み合わせることで成り立ちます。
ですので本来は、この3つの要素は常に必ず全ての文章に入っていなければならず、省略するなんて絶対にありえないはずなのです。
なぜなら、人間の動作は全て『誰が』『何を』『どうする』という3つの要素で成り立つからです。
にもかかわらず、日本語はこれらがやたらと省略されてしまいます。
たとえば、あなたがリビングで、寝っ転がってゲームをしていたとします。
するってぇと、オカンが急にやってきてこう叫ぶわけです。
「宿題!」
とだけ、一言。
これ、文章としては全く成立してませんけど、でも何が言いたいか分かりますよね。
「あなたは宿題をしなさい」の略です。
このように、日本語は名詞1つだけの文章なんてものが、文法的に正しいものとして存在しえてしまいます。
ですが逆に、この “何でも略していいルール” がアダとなり、日本人は省略すると意味が通じなくなる情報まで略してしまう人がどうしても多くなってしまうのです。
これは言葉を使う人1人1人の意識の問題でもありますが、日本語そのものの欠陥でもあります。
上記の例では、「宿題!」という一言は、多くは「あなたは宿題をしなさい」の略でしょう。
ですがこれを
・宿題があるのかどうかを答えなさい
・弟が宿題をしないのでやらせなさい
・私に宿題があるので、適切なタイミングで思い出させなさい
・済ませた宿題を見せなさい
などなど、あまり普通とはいえない意味で使ってしまい、かつ通じないと怒る人もいます。
なぜなら、長い文章を略すこと自体は、日本語文法上は正しいことだからです。
中には省略することに慣れすぎていて、自分が発した略文を自分でも元文に戻せない人も多いです。(そういう人は「それ何が言いたいの?」と聞くと、黙るか怒ります)
日本人同士の会話では、とりわけ家族同士の場合に、このような “不用意な省略をした” ことによる日常的な喧嘩が物凄く多いです。
文章をあまりに省略できすぎるゆえに、相手の理解に必要な情報は、面倒でも追加してあげるという親切心が身につきづらくなるからです。
ですから、必然的に “会話相手にとって必要な情報は何か” を考えずに、一方的にしゃべる人の数はどうしても多くなってしまいます。
これは、あきらかに “日本語の難しいポイント” です。
2. 発音の個人差が大きすぎる
上記で、日本語は発音の数が100ちょっとしかない、と話しました。
たとえば「ん」という音は、英語だと /n/ /m/ /nm/ /ŋ/ といったものがあり、それぞれ全て音が微妙に違います。
ですが日本語の場合、「ん」は言語上1つしか存在しないことになっているため、細かい差異の区別が必要ありません。
どの種類の「ん」も、とりあえず「ん」と発音されたものと見なしておけばいいのです。
ですがこのことがアダになり、日本人は独自の発音法を勝手に確立する人が物凄く多いです。
/n/ /m/ /nm/ /ŋ/ の4種類だけならいいんですが、/np/ /nh/ /u/ など、あまり普通でない音を充てたり、または音を勝手に省略する人もいます。
本来は日本語にない音を、あまりにも柔軟に導入できすぎてしまうためです。
そういう人の発音は当然、とにかく物凄い聞き取りづらいです。
が、そういう人に限って、自分の声が聞き取りづらいことを理解していなかったりします。
特に、発音に加えて音量まで小さい人の言葉は、とりわけAPDを患っていた若い頃の僕なんかだと、コミュニケーションが本当に本当に大変でした。
日本語のこの、『勝手に発音を変えても何となく通じてしまう』という特徴も、言語学上の欠陥の1つといえるのではないでしょうか。
3. 日本語の難しさはコミュニケーションの難しさ
まとめると、日本語の言語学的な難しさは、口頭での会話のやりづらさに集中しているように見えますね。
なので日本語は、習得が難しいというより、口頭会話に使いづらい言語といえるのかもしれません。
日本に “和の心” とか “思いやりの心” なんてものを重視する風潮があるのも、そういう気持ちがないとコミュニケーションが成立しない言語だからという事情はありそうな気がします。
ですので、
相手が分かるような文脈を使う
会話が通じない場合、相手のせいにせず自分が言い直す
この2つを実践するだけで、日本語は難しいとはあまり感じなくなっていくんじゃないかなと思います。
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