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のらねこ、日本の道徳授業がレベ低すぎる

昔は、永久に変わらないと思われていたもの。
最近になって、「実は時代の影響を意外と受けている」と言われるようになってきたもの。
それが “道徳観念” です。

道徳観念は不変の原理であるようでいて、誰にも気づかれないうちに実は徐々に変わっています。
そして今現在と昭和時代の差ともなれば、それは文字通りガラッと違うものになってるのです。

だとすると、日本の道徳観念の基本となる『学校の道徳の教科書』は、僕らの時代とさぞや大きく変わったのではないでしょうか。
今日はそれを見ていこうと思います。

いつもお読みいただいている皆さん、いつもありがとう。
そして初めての方、久しぶりの方も嬉しいです。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

自分はいつも不幸。面白いことなんてない。
もう少しラッキーがあってもいいんじゃないか。
いつもそんなふうに考えてしまっている人に足りないのは、幸運ではなく “目標管理スキル” です。
どうしたらいいか分からないのは目標がないからだし、それをどうやって叶えたらいいか分からないのも目標が管理されていないからです。

だとすると目標とはどうやって作って、どうやって管理するものなのか。
この のらねこに何ができる? では、その方法論を皆さんに知っていただくべく、僕が計画して自分で取り組んできた様々なことを、なるだけ面白くお届けするという内容になっております。

今回は “のら大人は中学の勉強わかるの?” の最終回。
日本の道徳教育の現在について、最新の状況をお届けしたいと思います。

全体の執筆計画はこちら:
1. 国語科
2. 数学科
3. 理科
4. 社会科
5. 英語科
6. 道徳(今回)

過去のバックナンバー


1. 結論: 特に変わってない

完全に出オチなんですけど、結論から言って道徳の授業内容は特に変化ありません。
30年前からずっと。
繰り返します。30年前からずっとです!

こちらが今回参照している、娘が小学6年生のときの教科書。
(今回のシリーズではずっと中1の教科書を見てきましたが、今回だけ小6のものを参照しています)

で、この小6の教科書ですが、書いてあることはたった1つ。
内容は徹頭徹尾、“社会的に正しいとされている人達の気持ちに共感しよう” ということだけです。

それ以外は何のトピックも説明もありません。
このことは、直感的には『道徳の教科書の内容』として当たり前のことのように思われますが、でも冷静に考えたらめちゃくちゃヤバい内容です。

そして多くの日本人は、このヤバい教科書の内容の弊害を、実際に受けて暮らしています。

もし仮に、全国の小学生が全員この本の内容通りに行動したら、おそらくほとんど子達はみんな3年以内に自殺してしまうでしょうね。
なぜなら、無条件に他人に共感するってことは、相手からフルボッコのサンドバッグにされるリスクを負うってことだからです。

相手に “共感” をするためには、少なくともその人物を信頼していなければいけません。
信頼できない相手に共感だけすること――つまり「分かるけどコイツ嫌い」と感じることを “同族嫌悪” と言いますが、これがそれなりに珍しい現象であることはご存知の通り。

通常であれば人間は、「この人は信頼してもよい」と感じていない相手には共感もできないのです。
なぜなら “共感” とは、『相手の言動の真意を好意的に捉える』ということでもあるからです。

だって、人間誰だって自分が間違ってるなんて思いたくないからね。
共感している相手のことだって正しいと思いたいし、それが本能なのよ?

ですから周囲の大人に無条件に共感するってことは、信頼してはいけない人も含めて全ての人を信頼するってことでもあるのです。
そんなことしたらどうなるかくらい、経験的に知ってるでしょ?

2. そもそも道徳とは

いわゆる道徳観念と呼ばれるものそれ自体は、つまるところ社会における身の置き方というか、この社会に存在することを許されるための模範のようなものです。

言い換えれば、周囲の全ての人達との正しい距離の取り方ともいえるわけで、だとすると道徳の授業には以下のカリキュラムが必要だってことになります。

  1. 基本的には、他人を攻撃しないように暮らすこと

  2. 他人からの攻撃から、正しく身を守ること

  3. 上記 1. 2. に支障がない限り、他人と共感しながら暮らすこと

この3つ。
これらは人類不変の原理であり、霊長類ヒト科の生き物としての基本則で、何百年・何千年後かに人類が滅亡するまでずっと変わりません。
ただ、これら 1. 2. 3. に適合するための “方法論” が、国家や時代によって変わるだけです。

人の、人としての基本は、人が人である限り変わらないのです。

従って、この基本則に従って作られた道徳の教科書は、以下のトピックスのようなイメージになるはず、、、でした。

  1. 他人を攻撃しないことが大事という知識

    1. 具体的に何をすれば他人を攻撃したことになるのかのケースワーク

  2. 悪意ある他人に対する接し方

    1. 他人から受ける可能性のある攻撃のケースワーク

    2. 攻撃からの身の守り方

  3. 他人と共感していくことが大事という知識

    1. 他人と共感することによって得られるメリットを実感すること

    2. 他人との共感に失敗した場合のデメリットを学ぶこと

    3. その対策・フォローの仕方

    4. 他人と共感するための具体的な方法論のケースワーク

表面的でもサラッとでもいいので、これらを満遍なく覚えていないと、人間というのは道徳観念が巧く育たない生き物です。

最近流行りの発達障害とかパーソナリティ障害なんてものは、実際には上記の道徳観念を正しく学んでいないだけのケースが圧倒的に多く、生まれついて最初から人間性が欠けている人なんて、現実には本当にごくごくごく少数です。
なおかつ、根幹がそもそも欠けている人については医学・心理学の発展とともに救う方法が徐々に開発されつつあるにも関わらず、道徳観念が巧く育たなかっただけの人に再教育する手段は本当に少ないのが現実です。

実際僕も、『他人を攻撃しない教育』については、小学校のときにしっかりと習った覚えがあります。
ですが、攻撃を受けたときの『身の守り方』については、ついぞ習った覚えがありません。
「知らない人についていかない」的な話は小学校低学年のときに何度か聞いたけど、知ってる人から精神攻撃を受けたらどうしたらいいかを習った覚えなんて本当に全くないです。

今回参照している教科書についても、見ている限りでは上記 1. ~ 3. のうちの最後 3.10. 他人と共感するケースワーク くらいしか記述しかないようです。

しかもこれ読むの小学6年生よ??
他人と上手く共感するためには、『相手を攻撃しない』『攻撃から巧く身を守る』の2点がきちんとできる子じゃないと、上手くいかないものです。
小学6年生でその2つが完璧にできる子なんて、日本全体で何人ってレベルでしょ。。。汗

友達同士ですら毎日ケンカしてんのにさ。
うちの子達なんか、家に帰ったら友達の愚痴しか言ってねぇよ。

また、他人を攻撃しないことばかりをしっかりと学習させられた結果、僕らの世代の小学生は「他人から攻撃を受けても、反撃はしてはいけない」と覚えてしまっているケースも結構多かったように思います。

その昔、『日本では、暴力犯に対して反撃しても、正当防衛が認められる可能性なんてほとんどない』という迷信が流布していたことがありました。
これもそうだよね。
小学校で「他人から攻撃を受けても、反撃してはいけない」と習っちゃってるから、そういう考えになるのよ。
(最近はその認識も少しは減った気がするけどね。減ってるといいな)

現在の日本の道徳教育は『身の守り方』に関する部分が圧倒的に足りないため、他人を攻撃してはいけないことを教育された直後に、身の守り方を知らないまま心を開くことの大切さを学びます
なおかつ、心を開くことのデメリットを学ぶ工程も抜けています。

そんな順番で習ったら、人からサンドバッグにされて当たり前でしょ?
だって、相手が攻撃してこないことを前提にコミュニケーションしにいくんだもん。
実際、世の中的に身近な人からの精神攻撃に弱い子は非常に多いです。

『攻撃するな』『反撃するな』『逃げるな』『人を信じろ』
こんなことばっかり教育されてるもんだからさ、、、
うちの子もね、特に下の子なんだけど、落ち込んでるときに「君は大丈夫だよ、問題ないよ。お父さんちゃんと見てるよ」って何回言ったことか、もう覚えてもいません。

日本人の精神的な弱さっていうか、常に不安を抱えて生きてる感じって、こういうところから来てるんじゃないかなって、ちょっと思ったりします。

3. 道徳教育は教える順番が意外と大事

さて、以下は教科書の抜粋。

まだお話したことはなかった。少し迷ったが、
「おはようございます」
と、笑顔で声をかけた。すると、おばあさんはこちらを向いて立ちどまり、
「おはよう。ありがとうね」
と言ってくれた、そして、そばに来て、
「わたしはひとりぐらしでね。あいさつをされると、とってもうれしいの」

東京書籍 新しい道徳 1.心を形に より抜粋

この文章に書かれていることは、“現実に実践” することが可能でしょうか?
まぁ、不可能でしょうね。

現実で知らないおばあちゃんに声をかけようとする人って、声をかけたらどんなメリットがあるかを、すでにしっかりと実感してる人だけだよね。
つまり、ちゃんと笑顔が戻ってくる確率がだいたい何パーセントくらいかを、経験的に知ってる人ってことです。

それ以外の多くの人は、知らない人に声をかけられることを怖がる人や、怒り出す人もそれなりにいると知っているので、こんな不用意な行動は絶対にしません。
特にガタイのいい男の子なんかは、そういうハードルを乗り越えて知らない人と笑顔で会話するなんて、かなり至難の業でしょう。

また、こういう挨拶に抵抗のない子であったとしても、そういう積極的で明け透けな子は反面、周囲から攻撃を受けやすい傾向もありますから、やはり知らない人に声をかけるのはそれなりにリスクなのです。

ですから『挨拶が大事』という教育をするんだったら、その手前で、知らない人とのコミュニケーションにはちゃんとメリット・デメリットがあることを学ばせる必要があります。
そういう順番じゃないと、そもそも教育が成立しないはずなんです。

今の日本では、大人になっても道徳の教科書の内容を覚えてる人はほぼいないし、ましてや役に立ったと感じている人なんか絶滅危惧種でしょう。
それというのも、日本の道徳教育は、順番を無視して適当に行われてしまっているからです。

現在の道徳の授業は『身の守り方』に関する授業がほぼなく、社会やメディアからの情報と矛盾することであっても、どっちが正しいのかを教えずに矛盾したまま普通に教えてしまっています。
そのため多くの子供が、大人――特に身近な人からの精神攻撃に対してかなり脆弱です。


道徳に限らず今回のシリーズ全体を通して、日本の教科書の造りが想像以上に “適当” だったことは個人的にけっこう驚きでした。

もちろん僕の時代の教育だってそうだったし、「日本人なら分かるでしょ」と言われればその通りなんだけど、テレビや新聞で「最近の教育は~」とか言う割にはナンも変わってない感じだったのが印象的だったのです。

ここ最近、日本は経済的に国際社会からかなり置いてけぼりになってます。
でも、こんな授業やってたら当然なんじゃないかなーと思いました。
まる。

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