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のら努力家は日本語わかる?(8)のらねこ、“休む”がよく分からない

世の中には、努力家なる人々に対して、常に絶え間なく動き回るハムスターのようなイメージを持っていて、休むことができない可哀想な人と蔑む人もいるようです。
でも当たり前だけど、それは、特定の人物の “休み方” が下手なだけ。
努力ができるかと、休み方を知っているかは関係ありません。

ビジネスセミナーのストレス解消講座なんてのを受講すると、「休むって結局なにをするんですか?」という質問をする人が必ず誰かしらいるようで、休み方とはみんな興味がある意外なホットワードだったりするんですよね。
“休むとは何か” をちゃんと理解してる人はとても少ない、ってことなんでしょうね。

誰もがやってるのに誰にも分からない “休む” って、なんなんでしょうね?

こんにちは。
もしくは初めましての方、この記事を見つけてくださりありがとうございます。

僕は目標管理アプリ Project Sylphius の開発・運営をしております、TOMCAT HEART の中島といいます。
当コラム のらねこに何ができる? では、がんばってるのに報われず空回りばかりしている人達に、目標管理を覚えればそれが改善するということと、正しい目標管理のやり方をお伝えすべく、僕自身が取り組んできた様々なことを実践形式で、なるべく面白くお届けする趣旨となっております。

現在の連載 “のら努力家は日本語わかる?” では、間違って覚えると人生自体が狂ってしまうような怖い言葉たちについて、正しい意味を解説する内容をお送りしております。

全体の執筆計画はこちら:
1. “正しい”ってどういうこと?
2. “責任を果たす”って何をすること?
3. “特技”を聞かれたら何を答えればいいの?
4. “やる気”や“愛”の大きさを数値で計る方法
5. “ちゃんとやる”って、何を?
6. “ちょっと考えれば分かる”って本当?
7. “最優先の業務”よりも大切な仕事
8. “休む”って何をやること?(今回)
9. “努力”という言葉が嫌いだなんて絶対おかしい
10. PDCAとかOODAとか、考えすぎじゃない?

バックナンバーはこちらからどうぞ。

今回は、今まさに世の中でスーパーホットな話題 “正しい休み方って何?” について、確実に効果のある休み方の例などお話していきたいと思います。

1. そもそも “休む” って?

体育会系の脳筋の方々におかれましては、休むといったら「睡眠をとること」という意味でしかご使用されておられないと存じます。
僕の親世代くらいまでは、脳筋じゃなくてもそう考えるのが普通で、ちょっと調子が悪くて学校を休んだ日なんかは、ほぼ丸1日睡眠をとるよう強要されたりなんか普通でした。

そのせいか現在でも「休み方が分からない」と感じている人は大変多いようです。
ですので今回は、その答えをズバリ言い切る内容にしたいと思います。

まず、あなたの頭の中の 脳内設定画面 を開きましょう。
その中に “デフォルトモードネットワークを使用する” という項目があるはずです。探してオンにしてください。
徐々に気持ちがすっきりしてきますので、1時間ほどでオフにするといいでしょう。

はい。これで “正しく休む” ことができます。
以上です。ではまた次回。

。。。。え、意味わからん?

あ、ごめんなさい、今のはアンドロイド用の休み方でした。
人間には設定画面はないんでしたね。忘れてました。

ただし、この “デフォルトモードネットワーク(以下DMN)をオンにする” というやり方それ自体は、アンドロイドも人間も変わりません。
人間にとって “休む” とは “DMNをオンにする” という意味であって、これ自体は間違いないことです。
ほんとほんと!
だーいじょうぶ! まーかせて!

まずDMNとは、1929年から1995年にかけての脳科学研究の中で徐々に明らかになってきた脳内にあるネットワーク(というか状態というか)で、人間が休憩しているときにだけ活性化する器官(同士の繋がり)のことです。
つまり人間の脳には “休んでいる” という状態が明確に存在しており、かつ脳をこの状態にすることを “休む” というわけです。

ただし何の練習もしていない普通の人は、睡眠をとることでしかDMNをオンにはできません。
ですが世の中には、睡眠以外の方法でもDMNをオンにする能力を持った人達がいます。

それが誰なのかというと、僧侶の人達です。
普段からやっている修行によって、DMNを比較的自由にコントロールすることができます。

彼らがやっている修行――つまり “瞑想” です。
これこそがDMNのコントロール法、それ自体です。

2. 黙って座っているだけが “瞑想” ではない

僧侶が行う瞑想は、お寺さんの本殿とかに座って、パッチン棒を持った人に監視されながら行います。
そういう方法でやること自体は、精神修行も兼ねてやってるからなわけですが、我々はDMNをオンにできればそれでいいので監視は必要ありません。

皆さんがいつもやっている様々な行為のうち、“あなたにとって瞑想と同じ意味を持つ何か” をすればいいんです。
パッチン棒不要!!
よかったね。

具体的には、何も考えていない状態を作ります。
DMNをオンにするとは、つまり何も考えていない時間を作るということです。

休み方が下手な人の中には、「何も考えてないということは、何も考えないと考えていることになり、それは不可能だ」なんて屁理屈をこねくり回す人がいますが、そうじゃありません。(当たり前ですが)

より正確には、止めることができないやむを得ない思考以外を止めるイメージです。
あるいは、思考のレベルを、それ以上は下げられないところまで下げるイメージでも大丈夫。

思考のレベルを下げると、五感からの入力が相対的に高くなり、以下のようなことが起こります。

  • 普段から見慣れたものが、初めて見るかのように感じられる

  • 今いる周囲の音が、少し大きく聴こえる

  • 宇宙からの音が聴こえる気がする(※それ自体は錯覚です)

  • 実は頭が痛かったことに不意に気づく

  • 昔のことや、最近会ってない人のことを思い出す

  • テレビの映像がいつもよりノスタルジックに感じられる

  • 部屋に1人でいることに気づく

なにが起こるかは人によって違うので、上記のうち理解できないものを無理に理解する必要はありません。
上記のようなことや、またはそれに近いことが起こり、体力残が微増するような感覚がしたら、それがDMNがオンにできている状態。
つまり “休めている” 状態です。

3. その人にとって瞑想に相当する行為はみんな違う

休みたいからといって “瞑想” それ自体を趣味にするのは、相応のお作法があるため、パッチン棒なしでもハードルは高めかと思います。
僕自身も、(性格的にADD傾向があることもあって)瞑想それ自体を趣味にしはしていません。

そんな僕が何をどうやって休んでるのかというと、シンプルに “瞑想に相当する別のこと” をやってるだけです。
要は脳を休ませればよいわけで、仏教のお作法に従う必要は特にないからです。

具体的には、無心でできる趣味が僕にはいくつかあって、それをやります。
下記は、比較的多くの人が無心でできる(と思われる)趣味の一覧です。

- ソファで映画を見る
- 散歩
- ASMR動画を見る
- 風呂に入る
- 筋トレ
- 誰かとおしゃべり
- 酒を飲む
- 楽器を弾く
- 絵を描く
- 旅行に行って初めての景色を見る
- トイレで頑張る(これは趣味ではない!!)
- 食べたことないものを食べる
- 野外からの自然の音に耳を傾ける
- 雨の音を聴く

この瞑想に相当する行為のことを、ここでは仮に実質瞑想とでも呼ぶことにしましょう。
睡眠以外で休みたいときは、自分にとっての実質瞑想をやればいい、って寸法です。

ポイントは、実質瞑想は人によって全く異なることです。
僕自身も、上記の全てで無心になれるわけではありません。

筋トレが趣味の人はよく「ストレッチは無心になれるのでおすすめ」なんて言う人がいますが、僕の場合は筋肉に対する効果とか考えてしまったり、本当にこれで正解なのとか考えてしまったりするので、筋トレは実質瞑想になりそうにありません。

また、絵を描いてるときは無心になれることもありますが、被写体によります。
楽器類は初心者のため無心で弾くのはちょっと無理。
それから、オッサンとかよく「誰でも風呂が一番のはずだ。風呂に入れば全部解決」とか嘯きますが、僕の場合は風呂は落ち着かないのでダメです。

意外なところでは、僕はクイズゲームをやっているときほぼ無心です。
クイズってめちゃくちゃ頭使うように見えますが、実際には過去に見知った知識を思い出して答えるだけなので頭は使わないのです。(僕の場合はね)
でも誰もがクイズで無心になれるわけじゃないでしょうし、僕もゲームならなんでもいいわけでもありません。

傾向としては、比較的長年に渡って取り組んできたことをするとき、無心になる傾向があるようです。

4. 運動をしてるとき無心になる人は要注意

とりわけ “体を動かす” 系の行為が実質瞑想の人は、注意が必要です。
やってるときに無心になれてるのかどうか気づきにくいうえ、心を休めることと体を休めることを別々にやらないといけないからです。

僕の場合、普段は “サイクリング” や “散歩” を実質瞑想としてやっています。
当たり前ですが、外に出て歩けば体力を使います。
なので実質瞑想が運動系の人は、精神と体が両方同時に休まっている状態は存在しないことになるわけです。

“精神的に休めてるかどうか” と “肉体的に休めてるかどうか” は全然別の話だし、関係ありません。
心が休まると、ときとして体を休める必要はないように感じるときがあって、そんな状態が何日も続くと本当に急にガタッと来ます。

実質瞑想として運動をした場合は、必ず心が疲れていなくても体も休めるようにした方がいいです。

ちなみに人によって実質瞑想が違うということは、実質瞑想が全く存在しない人も理屈の上ではいそうな気がします。
何をやっても、どんなことに取り組んでも、常にざわざわしていて心が休まる瞬間が存在しない人。
これを読んでる人の中にも、「自分がそうだ」と思う人もいるかもしれません。

ですが現実にはこれはないです。

どんな人でも、実質瞑想は必ずあります
なぜなら、人間にって「休みたい」は根本欲求の1つだからです。

実質瞑想は、どんな人でも “意外なところに隠れてる” ものですので、探してみてください。
その行為を意識的に無心になろうとして無心に取り組むとき、それがあなたにとっての正しい休み方といえるでしょう。

ではまた次回。

P.S. ところでパッチン棒の正式名称ってなんだっけ???

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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