のら努力家は日本語わかる?(7)のらねこ、“最優先”が決められない
思ったことないでしょうか。「この仕事、最優先ね」と言われたとき、何をどこまで優先すべきなのか、って。
文字通りに捉えるなら、 “この仕事” の方が地球の存亡などよりよほど優先されることになります。
だって最優先ってそういうことでしょ?
あるいは部屋が散らかっているとき、家族に「大事なものだけ残していらないものは捨てて!」と怒られたら、どこまで捨てたモンでしょうか。
別にいらないものなんてないんだけど。。。
皆さんこんにちは。
あるいはこの記事を初めて見つけてくださった方、ありがとうございます。
僕は、努力できない、がんばってるのに報われない、そんな皆々様にハッピーをお届けすべく、人生をハッピーにするための最重要なスキル “目標管理” のやり方のシェアなどをやっております。
20年だか30年だかエンジニアなどしておりまして、現在は目標管理アプリ Project Sylphius の開発・運営も手がけてます、TOMCAT HEART の中島と申します。
現在は “のら努力家は日本語わかる?” と題し、ちょっとした勘違いから人生詰みになってしまう人が、どういうポイントに勘違いしがちなのかを、なるだけ面白く読める文章にしてお届けしております。
バックナンバーもありますのでどうぞ。
かつて、1990年代のテレビドラマにこんなシーンがありました。
終業時間の間際に「この仕事、最優先ね」と指示を受けたとき、予定していた彼氏とのデートを中止すべきかどうか主人公が悩むシーン。
まぁ、そういうシーンがあるドラマがあったわけです。
このドラマ自体は、周囲の人達全てが残業して当然だと考えている中、彼女が言い放った「これからデートなんで帰ります!」ってセリフこそが、物語の主軸でした。
ですが興業結果としては、残念ながらデートより残業を選ぶ方が多数派であるというイメージを国民に植え付けただけで終わりました。
当時は残業を蹴ってデートに行くというのは今よりもっともっと勇気のいることで、主人公のような断れる側に感情移入できる人がとにかく圧倒的に少数派だったからです。
今は、当時よりかは多少マシになったとはいえ、そうはいってもそんなに大きくは変わっているわけでもない現状もあります。
「この仕事最優先ね」と言われると、家族の死に目や、はたまた自身の健康すらも度外視しして、プライベートも何もかもをかなぐり捨てて深夜残業を何日もやってしまったり、あまつさえそれを部下に強要する人もいます。
で、そういう人は、家族から「大事なものは残していいから、不要なものは捨てて欲しい」と言われても “全部大事” すぎて、それ以上に大事なものといったらもう自分の命くらいしか思い浮かばず、うまく物が捨てられなかったりします。
この2つの状態は、(もちろん必ずしも両方当てはまる人ばかりではないでしょうが)どちらも同じ原因のものです。
1. “大事かどうか” を判断できないのは列記とした病気
病気、、、というか症状の1つと呼んだ方が正確かもしれませんが、名称としては “選択意欲低下” といいます。
病気に類されるからといって「え!? ボク死んじゃうの!?」とかそういうんじゃないですが、ただし通常の病気とは異なり、意識的に治していかないと自然回復はしない特徴があります。
この選択意欲低下症という病気、通常多くの人は軽度です。
ではあるものの、軽度だからこそ若いときからずっと軽度のままなんて人も割とチラホラお見かけする感じで、放置すると認知症に繋がったりするので、誰にでもあるからって放置はよくなさそうです。
原因としては、五感から入ってくる情報を、正しく対処できないことによって起こります。
具体的には、脳の中央部やや前より付近に 扁桃体 という器官があって、そこの活動レベルが低下するんです。
この扁桃体は五感からの信号が一時的に集約される脳内器官で、いわゆる一次感情とか本能的な感情などと呼ばれるものを発生させます。
ですのでその活動レベルが低下すると、世の中全てに対して反応がボンヤリになり、文字通り世界に霧がかかったように見えます。
ただし、本人は霧がかって見えるのが当たり前になってしまうため、その状態を自覚することはできません。
(ちなみにこの選択意欲低下の逆で、何を見てもあらゆる感情が過剰に反応しすぎるという症状もあって、それがいわゆるHSPです)
ケースワーク1: 恩師にもらったブラウン管テレビが捨てられない
これは実際にあったケースです。
大きくて重く、家族から何度も苦情を受けているテレビを “恩師にもらった大事なものだから” というだけの理由で放置しているケースです。
本人としては 大事に保管しているつもり でしょうが、使用することもできないし、コレクションとして掃除をしているわけでもなく、実際には埃をかぶっているだけという状態。
選択意欲低下の状態では、この状態でも “捨てる” という選択ができなくなります。
そしてこの病気の原因が、扁桃体の活動低下なわけです。
扁桃体は情報の取捨選択をする器官ではなく、五感からの信号を受け取るだけです。
つまり選択意欲低下の状態になると、選択ができなくなるのではなく、捨てるべき根拠となる情報を五感から受け入れられなくなるぇて寸法です。
つまり家族が困っているところを見ても、なんかピンと来ないんです。
だから自分自身の頭の中にある情報だけで判断しようとして、“捨てない理由がわずかでもあるもの” を全て「捨てる必要なし」と判断してしまいます。
さとい方はすぐにお気づきでしょうが、自宅をゴミ屋敷にしてしまう人。そういう人と同じ状態です。
さてさて、今パソコンやスマホでこの記事を読んでいるあなたも、果たして人のことを言えた義理でしょうか?
ケースワーク2. 日曜デート中に会社から電話がくると仕事に行ってしまう
こちらも実際に僕が相談を受けたことがあるケース。
日曜日に恋人をほったらかして仕事に行ってしまう。
しかもその理由が、仕事に対するプライドとかじゃなく、単に仕事だからというだけ。
誇りがあり、本当の意味で恋より仕事が大事あればまた別でしょうが、恋人の方が大事なのに仕事を優先するのは選択意欲低下による思考停止が原因です。
デート中に恋人を放り出すという状況なら行き過ぎであることが分かりやすいですが、もっと分かりにくい状況では同じことをしてしまう人が多く、しかもそのことが今まさに日本中を蝕んでいます。
たとえば仕事中に発生した本当は優先度の低い仕事。これを思考停止かつ条件反射で、「やらなきゃ」と判断する人が非常に多いのです。
仕事中に発生した仕事をやるのは当たり前だと思いますか?
でも世の中には、仕事が生まれた瞬間は最重要でも、“少しほっときゃやらなくてよくなる” 仕事って結構ありますよね。
お客さんが来るのに汚れてる会議室の掃除、ペットボトルを捨て忘れた人に注意する仕事、部長に頼まれたコピー、などなどなど。
こういうのって、やらなきゃいけなくなった瞬間は最優先であるかのように感じられるものですが、実際にはやらなくてもなんとかなったりすることも多いものです。
で、この “生まれた瞬間には最優先と判断されたが、少し放置していればやらなくていいと気づけた仕事” をする時間が、人によっては業務時間の9割に達しているケースもあり、そんな状態が日本中で放置されてるってことですから、もしそれが本当ならその経済損失は莫大なものになります。
僕もかつて同じチームの同僚とタスクの整理をしたとき、何百もある業務の、実に7割が “最優先” とマークされたことがあります。
今からしたら、どう考えても正しく判断できているとは思えませんが、当時はこの状態を「仕方ないこと」と認識していました。
そう。
「嫌だな」ではなく「仕方ない」です。
これこそ選択意欲低下の症状です。
僕もこの病気の経験者です。
その経験からすれば、自分には当てはまらないと思っている人は100%やっちゃってます。
デート中に恋人を放置するのと同じ種類の思考停止を、「今は仕事の時間だから」という名目があるとほぼ誰でもやってしまうのです。
例外は、そういうことをしている自分に気づいて、本気で深刻に捉えて真面目に訓練をした人だけでしょう。
訓練した覚えがないのなら、それは選択意欲低下による思考停止があるということです。
仕事中に新たに発生した別業務は、(すぐやらないとトラブルになる緊急案件でもないかぎり)99%は少し放置した方がメリットが多いのです。
2. 選択意欲低下を直す方法
はい、てなわけで、僕が自分の状態を改善したときのやり方を紹介します。まずは症状が割と重い人から。
物事に感動がなく、そういう状態がもう何年も続いている人。
ステップは3つで、だいたい3ヶ月くらいで小さな自覚が芽生える、くらいの改善が見られます。
1. 感情の起伏を大きくする練習をする
選択意欲低下の原因となる扁桃体は感情を発生させる器官ですから、ようするに感情中枢(と呼べるもの)なわけです。
なのでその活動レベルが低下すると、感情の起伏が小さくなります。
何を見ても感動できないし、とりわけどうでもいいものにはそもそも感情が動かないことも多くなります。
(だから、選択することもできなくなります)
そういうときは、物を見れば感情は動くのが当たり前であることを意識するといいです。
たとえば道端の花など自分と何ら関係ないものを見ても、“見たからには感情は動く” ものであって、本来はそれが当たり前です。
ですが選択意欲低下の人はどうでもよく感じるのが当たり前になっていることも多いです。
まずは知識として、その状態が決して正常ではないことを知ることが重要です。
そのうえで、見たものに “無理やりひねり出してでも感想を言う” 練習をするといいです。
今までどうでもよかった道端の花、石ころ、コンビニの商品、道路を走る車などなどに、「キレイ」「かわいい」「枯れてて汚い」「ブサカワ犬のよう」などなど、感想を無理やりにでも言うようにしてみるのです。
それらを頭に思い浮かべることで、扁桃体が徐々に働くようになります。
2. 「大事」にはレベルが何段階もあることを学ぶ
それから選択意欲低下の人、予備軍の人は、世の中の全ての物事を「大事なもの」と「それ以外」に完全に1:0で分ける傾向があります。
かつての僕の、“何百もある業務の7割に最重要マークをつける” みたいな状態です。
もしくは僕の反対で、本当に重要なもの以外を全て「くだらない」と切り捨てるパターンもあるでしょうが、それも同じ1:0思考です。
そういう人は、“大事” には心情的なレベルが何段階もあることを意識するといいでしょう。
物事には、“命より大事” “凄く大事” “まぁ大事” “条件が整った状態でのみ大事” “少し大事” など、いろいろな “大事” があります。
でもそれを言葉で発するときは、すべて「大事」とだけ言うことが多く、どれくらい大事かは状況次第です。
1:0思考の強い人は、道端の花などに感想を無理やり言うようにすると、最初のうちはどうでもいい物に大感動してるように感じることがあります。
でも実際には、何にでもいちいち大感動してたら普通に生きるだけでクタクタになってしまうので、感想を言う練習をしながら “小さな感動しかないものには小さな感情しか動かない” ことも学んでいくのがポイントです。
3. コグニッショントレーニングをする
で、この3つ目のコグニッショントレーニング(略してコグトレ)は、余裕がある人だけやればいいです。
ですが、やらないのとやるのとではかなり差がありますから、個人的にはやって損はないと思います。
具体的には、サイゼリヤの超難しい間違い探し。
たとえばですが、ああいうのがコグトレです。
それから、雑踏の中から特定の声だけを聞き分ける練習 とか。
セリフのないマンガに適切なセリフを当てて、登場人物の気持ちを考える練習とかとか。
コグトレには目を鍛える訓練、耳を鍛える訓練、感情を読む能力を鍛える訓練の3種類があって、それぞれゲームとしてプレイすることができます。
たかがゲームじゃんと思われるかもしれませんが、そのたかがゲームを少年院の入所者にやらせた結果、出所後の再犯率が下がったという統計もあるんだそうで。
ゲームで脳を鍛えて、周囲の人達の気持ちを捉えられるようになったからですよね。
コグニッショントレーニングは、雑然とした風景・音・情報などの中から、注視すべきポイントを探しだせるようになる、または無視すべきポイントを無視できるようになるための訓練です。
そのような “ポイント” を的確につかむ訓練をすることにより、周囲の物や人の状態に対して自分はどういう感情を持てばいいのかを理解できるように訓練し、そうすることによって扁桃体の活動レベルが回復します。
その結果、周囲の人達の気持ちを捉えられるようになるわけです。
「これ、最優先ね」という言葉を文法的にのみ解釈するのではなく、ポイントをつかむことによって “相手がどういう気持ちで言ってるか” を推測できるようになるのです。
で、これらの取り組みをしていくことによって、仕事で最優先と言われた際に必要もないのに大きく感情を動かしすぎていたことに気づいたりもします。
そして最優先にも “会社存亡の危機” “部署として緊急の案件” “今お願いしてる業務の範囲内では比較的優先” など何段階もあって、なんでもかんでも深刻に捉える必要はないと理解できるようになるでしょう。
または家族からの掃除してくれという苦言も、がんばって考えているうちに家族は気を使って軽い言い方をしてくれているだけで、心情では本当に心底嫌がっていることが分かったりもします。
それらが理解できるようになり「最優先」という言葉を精神的負担なく受け止められるようになったら、あなたの勝ちです。
皆さんの勝利を祈ってます。
ではまた次回。
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