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さや香のコント「印度旅行」と遠藤周作『深い河』

8月25日開催の「さや香のコント大好きライブ」。そこで披露されたのは「引きこもりから抜け出して社会人になった息子が、老齢の父親に初任給で印度旅行をプレゼントする」というネタだった。
引きこもりの息子は「人生観が変わるから」としきりに印度旅行を勧める。しかし父親は「この歳で人生観を変えたくはない」と拒む。


妻に先立たれ、自らも病を患い、先が短いと分かっている人間が今更「価値観を変えたくない」と思うのはごく自然な心理である。

"息子が作ってくれた鰻丼が実はひつまぶしだった"という一幕がある。
「指摘されなければ鰻丼は鰻丼として美味しかったのに。年老いてから人生観を変えられる、自分の間違いに気づかされるのは、それと同じだ」と父親は言う。

結局父親は印度に向かうことになるのだが、印度旅行の道中は描かれていない。
ただ、帰ってきた父親は息子に告げる。「もう一回行きたい」と。

道中を描かないという「余白」を埋めようとするのは野暮かも知れないが、もう一回行きたいと言わせる「何か」の正体を探ってみたいという衝動に駆られてしまった。そして、大学時代に読んだ遠藤周作の『深い河』が頭を過った。あれはたしか、印度に「何か」を求める人々の物語であったと。
それから数日、私は夢中で頁を捲った。


こんな一節がある。

「印度は一度来ると、徹底的に嫌いになる御客さまと何度も来たいとおっしゃるお客さまに分れるようです。」

父親は、後者ということになる。

『深い河』によれば、その分かれ目はまさしく、「深い河」――ガンジス河である。

ガンジス河に集まる人々は、「争って母なる河に身をひた」し、「母なる河は生ける者も死せる者も受け入れ」る。それゆえ「聖なる河」といわれる。

とはいえ、何も知らない日本人観光客が「死体を灰にして流したガンジス河で、体を浸し、口をそそいでいる」姿を見れば、「不潔」だと漏らすこともあるだろう。それが三條夫婦のような「徹底的に嫌いになる」人たちである。

卑近な話になるが、私の祖父母は前者だった。
ガンジス河で拾った石をまだ幼かった私への土産にしようと思ったのだけれども、「汚いから捨てた」と事も無げに話していたのを今でも覚えている。

コントの父親の「人生観を変えたくない」と頑なに拒む姿だけを見れば、前者になりかねないようにも思う。
だが、この父親は妻に先立たれるという悲しみを背負っている点で『深い河』における磯辺と重なるものがある。
磯辺は、妻が死ぬ間際に残した「わたくし……必ず……生れかわるから、この世界の何処かに。探して……わたくしを見つけて……約束よ、約束よ」という言葉にとらわれ、妻の「生れ変り」を探すため印度に向かう。
コントの父親は半ば強引に印度行きが決まるので明確な目的があって向かったわけではない。だが、旅をするなかで妻と過ごした時間を振り返った可能性はあるだろう。

父親と人物像に重なりはないが、『深い河』において重要になるのが美津子と大津、そして「たまねぎ」(イエス・キリスト)である。
美津子は自身を「わたしは人を真に愛することはできぬ。一度も、誰をも愛したことがない。そういう人間がどうしてこの世に自己の存在を主張しうるだろうか」と評す、愛に飢えた女性である。
大学時代から神父を志していた大津、そして大津が心の支えとしている「たまねぎ」の存在が、美津子のなかに引っ掛かり続けていた。その大津が印度にいると知り、彼の居場所を目指す。

印度旅行の道中、彼女は「印度人の苦しみのすべてを表」し「印度人と共に苦しんでいる」チャームンダーという女神の像に出会い、その姿を心に刻む。そしてガンジス河もまた、苦しみ祈る人々のすべてを受け入れ、美津子をも包み込むのである。
それが美津子にとっての「愛」であり、「たまねぎ」の正体なのかもしれない。

話をコントに戻そう。
この印度旅行は「引きこもりから抜け出した息子が初任給で父親にプレゼントした」という設定になっている。

「引きこもり」という息子の苦しみ。それが何年続いたのかは定かでない。しかし、息子が初任給を全て父親のために使ったことを踏まえると、抜け出すまでには相当に父親の支えもあったのだろうと考えられる。
そのときの父親の姿は、息子と「共に苦しんでいる」チャームンダー、あるいは苦しむ息子の全てを受け入れるガンジス河ともいえるような、深い愛に満ちていたのではないだろうか。
反対に息子もまた、父親の妻に先立たれ悲しむ姿、自らと共に苦しむ姿を見ていた。
印度旅行から帰り「もう一回行きたい」と告げる父親に、息子はそっと微笑む。そこに、父親を包み込む愛が見えた気がした。
あるいは、亡き妻が息子のなかに「生れ変り」、生き続けているのか。そんなことも考えてしまった。


さや香のコント「印度旅行」には、「愛」という深い河が流れている。
















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