安全と安心

今日はお正月らしい話をしようと思ったら、地震が起こったので、防災の話をしようと思います。

1月1日の16:00頃に石川県で地震が発生しました。
津波が発生し、震度は最大7と非常に大きな地震でした。
私の地域でも決して低くはない震度が観測され、正月ですが呼び出される状況でした。

自治体はもちろん安全に生活ができるように動く必要があります。しかし、それと同時に安心してもらう必要があります。

安全と安心の違いはなんでしょうか?

多分多くの人がわかっていると思いますが、安全は根拠に基づいて問題がない状態を示し、安心は個人が安全だと思う状態を示します。

安全に処理するのは問題ありません。基本的に知識のある人が議論して決めるのですから。問題は安心に処理をすることです。理由は安全には根拠はありますが、安心には根拠がないからです。

例えば原子力発電所。いくら専門技術者が「安全です。」と根拠をもって示したとしてもそれを見る側が不安を感じたらそれは安心ではありません。安心できなければ使うことに反対されます。そうなると実行に移せないことがたくさんあります。

それと同じで「もう安全だから避難所開設しない。」、「安全性を踏まえるとそこまで避難所などに職員は不要。」と考えて実行すると反発が出ます。「お前たちはなぜ地震が起きているのに対応しないんだ。」と。

でも、冷静に考えて欲しい。必要ないものに人を置く必要はあるだろうか?

人を置くということはその職員にお金を払う必要があります。そのお金は税金です。

普段あなた方は無駄遣いをしてはいけないと言いつつ人を立てろ。ということになります。

私自身それは悪いことだとは思いませんし、他人の報告を鵜呑みにするより安心感を持つことの方が大事だと思います。危機感を持ちながら生活をすると心は安定しませんし…
一方で無駄遣いは許されることではありません。コストを抑えることは民間でも公でも同じなはずです。
私は大事なものは2つあると思っています。それはバランスと受け取り側の知識です。

バランスは言うまでもありません。コストと結果のバランスを見て、安全性を安心感を両立するコスト支出を行う。と言うことです。

受け取り側の知識とは住民や被災者が正しい知識をつけることです。

安心感は個人の主観によるものです。被災者が偏った知識や知識がない状態では公共側が無駄に対策する必要が出て、コストが余計に増えます。
また、被災者がしっかりした知識をつける環境づくりも大切です。例えば、避難訓練の参加、ハザードマップの確認などがあります。

いつは災害が起こってもおかしくない。一方で無駄遣いが許されない。そういう時だからこそ「こう言う時でも」知識をつけていくべきだと思います。

ちなみに津波に関しては自治体の瞬間的な指示を待たない方がいいです。
自治体のいいところであり悪いところでもあるのですが、時間をかけてしっかりと状況把握をします。
それ自体は非常に大切なことですが、津波は地震が発生してからすぐに避難しないといけません。そうしないとあっという間にさらわれてしまいます。

そのため、津波の危険性のある場合は自治体の情報を待つのではなくて、とっとと逃げるなり、安全な建物の高いところに避難することが大事です。

一方で地震は常に自治体の情報を見ておいた方がいいです。道路の寸断や避難所開設、空き家の崩壊などで安全性を把握することが自分の判断につながります。また、複合災害にも注意する必要があります。(例えば、地震の被災前に大雨が降っていたりすると山の法面が緩くなったりして地震による崩壊につながる場合があります。)


話が横道にそれましたが、自分で正しい知識をつけることは生きる上で大切なことになります。どのようなことでもそうだと思いますが、ボーッとしてて損失を出しても誰も助けてくれません。(最低限の生活は送れるかもしれませんが。)
安心した生活を送る上でしっかりした知識をつけて動けるように気をつけてお過ごしください。


最後に今回被害に遭われた地域や被災者の方々の1日も早い復興と心の安定を心より願っております。

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