見出し画像

サヨナラ シャンパーニュ⑥

 絵莉がハンカチで手を拭き、ポケットにしまいながら、席に座った。
「お待たせしたわ」と言うと
「女性を待つことは苦ではない、男にしてみたら口説き文句を考える絶好のチャンスだ」
「あら、私を口説くつもりなの?」
「君みたいなガードが固い女性を落とすには、あと1日は必要だな」
「残念ながら、そこまで気は長くないわ」
「だとしたら、私が失敗して赤面することもない」とシャンパーニュが言うと、注文したワインがテーブルに置かれた。ありがとうとシャンパーニュはマスターに軽く会釈した。

「お待ちかねのシャンパーニュ産のワインってわけね」絵莉はグラスを自分の方に寄せた。
「予め聞いておくが、君が乗る最終列車の時間までにこのボトルを開けたいんだが大丈夫かい?」時計の針は22時40分を指していた。
「その心配はいらないわ、結構遅くまで終電があるから」絵莉は高円寺に住んでいた。
「なら、心置きなく君とワインを飲み交わせるわけだ」

「家ではあまり、ワインなんて飲まないからいい機会だわ」
「私の名前に恥じない、円熟したワインの味を堪能してくれ」シャンパーニュはグラスを低く上げて、絵莉と小さめな乾杯をした。

「うん、私でも2、3年でできた味ではないのがわかるわ」
「このワインにも人と同じように年月を重ね、芳醇な味を誇ってる」
「ワインにも歴史があるのね」
「きみだってそうだろ?」
「最近はずっと一人暮らしを過ごしてるだけよ」

「そうか、家を出てから長いのかい」
「私が大学を卒業して、今の会社に勤めて2年ぐらいで一人暮らしを始めたから結構経つわ」と絵莉がワインを口にした後
「実家といっても、千葉の方だから帰るのに時間はかからないわ」
「そんなこといっても、親は子が帰ってくると嬉しがるだろうに」
「まぁ、お母さんにはいっぱい苦労させちゃったから」
「自分の子を思いやってのことだろう」
「感謝してるわ、女で一つで私を大学に行かせてくれたし、家事のことは全部やって不満一つこぼさなかった」絵莉は少し下にうつむいた。

「強い女性なのだろう、そういう君だって頑張ったろうに」
「頑張ったといっても、少しでも負担を減らせるよう近くの国立の大学に行ったぐらいよ」
「社会人になってどこか連れて行かなかったのかい?」
「4年前にハワイに一緒に行ったわ」
「親孝行としては十分じゃないか」
「とても楽しかったとは言ってくれたけど、どこか寂しそうだった」
「寂しそう?」
「ホテルのレストランでお酒を飲んでる時、少し涙流してありがとうっていった後に、三人で来てたらって思っちゃたみたいよ」

「なるほど、父親がいたらもっと良かったということか」
「そういうこと、新婚旅行に行った時のモンサンミッシェルの景色はあえて写真を撮らなかったみたい」
「目に焼き付けるということかい」
「その時、お父さんがどんな高性能なカメラでも肉眼に見る景色には叶わないって言ってたらしい」
「一理あるな」シャンパーニュは言った。
「私も思うわ、もっと肉眼で父の顔を見とけば良かったってね」絵莉は悲しそうな顔でシャンパーニュ産のワインを口にした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?