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エッセイ#4「母からの便り」

 携帯電話が鳴った。スマホの画面を見ると、地元に住む母からだった。母との電話のやり取りは、年に一度あるかないかである。だからといって別に仲が悪い訳ではない。とにかく母は忙しい人なのだ。色々なボランティア活動に参加し、一年中走り回っている。だから、私から電話を掛けても、中々母は捕まらない。しかし、ひとたび電話が繋がると、母の話は止まらない。しかも内容はどうでもいい話ばかり。二時間以上は軽く超えてしまう一方的な母との会話は、私にとって少しハードルが高い。結局、私から電話を掛けることはほとんどなく、私に用事がある時だけ、母が電話を掛けてくるのだ。

 前回は「Kiinaのコンサートチケットをとって欲しい」だった。Kiinaとは氷川きよしのことだが、母は演歌には全く興味がない人なので、みんなが知る一般的な氷川きよしファンとは少し違う。母は限界突破した氷川きよし改め、Kiinaが好きなのだ。Kiinaの美しさに惚れたらしい。「氷川きよし」と私が言うと「Kiina」と訂正する程のこだわりである。母とKiinaの運命的な出会いの話や、Kiinaの素晴らしさと魅力を長々と聞く羽目になった。

 前々回では「嵐が活動休止する」と母から連絡があった。「いや、わざわざ連絡くれなくても知っている」と心の中でツッコんだ。当時の母は、嵐の番組を全て録画する徹底ぶりだった。特にニノこと、二宮和也のファンで、今でも彼の主演映画は全て映画館で観るのが母のこだわりらしい。
「ある番組でゲームの話をニノがしていたのだけど、好きなゲームが私と同じだった」
と嬉しそうに母は言った。ふれはしなかったが、色々とツッコミどころ満載である。

 さてさて、今回の用件はなんだろう。どんなくだらないことでも驚かない。気づけば一年ぶりか。内容よりも母が自ら私に電話してくることに意味がある。私は長話になる覚悟を決め、久しぶりの母からの電話に出た。
「もしもし、どうしたの?」
と私が聞くと
「私、舞台女優デビューしたのよ」
と母は言い切った。
「へ?」
と私の口から変な声がもれた。
一体この空白の時間、母に何があったのだろう。いつも母は私の予想の斜め上をいく。

 人より少し早く夫に先立たれた母は、六十代後半から、ボランティア活動に参加するようになった。最初の頃は、近所の市民センターで子どもたちに折り紙を教えたり、リサイクル活動のお手伝いをする程度だった。しかし、色々と参加していくうちに、環境問題の講師として地域の小中学校を駆け回り、地元農家にお願いして、子ども達を田植え体験に引率し、オイルマッサージの技術を取得し高齢者施設で実施したりと、気がつくと母の活動は多岐にわたっていた。でも、舞台女優というのは、これまでの歩みと全く結び付かない。
「どういうこと?」
と聞くと、あるイベントに参加した時に市民劇団の人と知り合い、劇団のお手伝いをしたのがきっかけだったと、母は私に説明した。そして、
「劇団の演出家に『あなたの声はすごく良い。芝居するのに向いている』と褒められた」
と、母は得意げに話した。「八十近い母にとんでもないことを言ったな」と私は内心思ったが、生き生きとした母の声を聞いていると「母が楽しいのなら良いか」と納得し、ただただ私は母独自の演技論を聞くだけであった。七十七歳にして初舞台。大型新人女優の誕生である。

 残念ながら母の初舞台を見に行くことは出来なかったが、後日、動画サイトにアップされていたので少しサイトをのぞいてみた。当然だが母の演技は酷かった。棒読み台詞で、変な間合い。生で観ていたら、身内として恥ずかしくて居ても立っても居られなかっただろう。しかし世間の目は暖かかった。「人生経験を積んでいるからこそ台詞の重みを感じる」や「七十代で新しいことに挑戦する姿に勇気付けられた」と、意外と母は高評価だった。

 そんな初舞台から二年が経った。あれから母は毎年公演に出演し、今年、三度目の舞台を踏んでいた。七十九歳にしてすっかり看板女優である。稽古に忙しいのか、母からの電話はしばらくない。便りのないのは良い便りか。SNSで検索すると、真剣な眼差しで母が台本を読んでいる稽古風景や、若者たちと楽しそうにしている劇団の打ち上げの様子など、元気な母の姿を見ることができた。

 実は母の演技力が不安で、私はまだ一度も母の舞台を見に行ったことがない。今度、機会があれば観に行ってみるか。来年で母は八十歳になる。次回の母からの電話が楽しみだ。


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