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イノチのはなし。


この間、母方の祖母の七回忌の法事があった。

祖父に久しぶりに会った。
顔を合わせた時は
「久しぶりやなぁ」と嬉しそうな顔をしていたが、
ふとした瞬間にどこか虚な顔をする時間が
以前よりも多くなったように感じた。


祖父はつい最近、大腸癌の手術をした。
幸い早期の発見だった為、
今のところ治療が長引いたりすることはないようだが、目に見えて祖父の元気が減ったように思う。

人間は誰しも歳老いていくものだし、
いつかは人生の幕を閉じる時がやってくる。
そんな当たり前の事を
頭では理解しているつもりになっていたけれど、
自分の身近な人には「まだ大丈夫」なんて
何の根拠もなく都合の良いように
思い込んでいることに気付いた。

いざ大切な人に
少しずつその時が近づいていることを実感すると、
心が追いつかずどうしようもなく悲しくなり、
祖母が亡くなった時のことを思い出した。



祖母は祖父が日課の散歩で家を出ていた時に、
突然亡くなってしまった。
祖母と祖父の2人暮らしだった為、
祖父が帰ってきた頃にはもう手遅れだったそうだ。

祖母は命に関わるような持病は持っていなかったし、
あまりに突然の出来事だったので、
現実を受け入れることにかなりの時間がかかった。

母の涙を初めて見た。
姉も私もお葬式の間はずっと泣いていた。
ありきたりな表現になってしまうけれど、
体中の水分全てを目から出しているんじゃないだろうかと思うぐらいに。

祖父は私たち家族の前では泣かなかった。
けれどそんな祖父を見ていると、
悲しみよりも喪失感の方が大きいように感じた。
祖父の感情から
何か大切なものが抜け落ちてしまったような、
そんな気がしてならなかった。


そんな祖父を見て
周りの人の生き方を見て
世界の情勢を見て
明日何が起こっても良いように生きなくてはいけないとようやく理解した。
いや、理解したと言うよりも、
私の意志として確かなものになったのだと思う。

これまで似たような内容の記事や本を読んだことは
何度もあった。
けれど、共感をすることはあっても、
不思議と次の日には
コロッと忘れてしまう程度の共感で、
自分の一部になるように吸収できたことは
一度もなかった。

20数年間、フラフラと好き勝手に生きてきたけれど、
ようやく自分を支える一本の柱が出来たような
これからの人生を生き抜く指針が定まったような
そんな気がする。


人はみんな、平等であり、不平等でもある。
明日が必ず来るなんて、保証されていない。

大切な人を大切に
明日、何が起きても良いように
今を大切に生きていこうと決めた、とある春の日。


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