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「研究系の薬学部か!だったら、将来は、研究職になるの?」って50回以上は聞かれた。

どうして、「何かに就く」ことを求められるの?

いまの大学は楽しい。研究は好き。勉強は好き。

でも、研究職にはなりたい未来は想像できない。

●1:小学生から持っていた疑問への回顧録

小学生の時から、「将来の夢」を毎年のように求められてきた。
すこーし違和感があった。いや、毎年思っていたからかなりか笑
正直、「自分の友達・家族にいる人が笑ってくれたらいいな」ってくらいだった。でも、「夢は何になりますか?」という欄を与えられ、職業を書いた。周りが野球選手だった時は、野球選手だったり。宇宙の本にはまった時は、宇宙飛行士だったり。

高3で大学を選ばなきゃいけない時も、将来何になりたいか?で学部を決めることを求められた。いや、国数英社理の授業だけ受けてて、どうやってきめるんだよって思っていた。

我母校の高校の生徒は大変頭がよく、また医者の家庭の生徒も多いわけか、理系の三者面談で、「医学部を希望されますか?or 希望しないですか?」が定型文だった。

そんな高校2年の面談の時に、先生に上記の定型文を言われた時に、医者家庭でない母親が「え、この子は医学部いける頭があるんですか??」と僕の目の前で聞き返して、担任の先生を黙らせたことは、最高に面白かった。笑いを堪えるのに必死だった笑

自分は生物の人体構造のページが好きだった。図と文字で原理書かれていて、「あーリアルで動物の臓器ってどんなんだろう?自分の手で見てみたいな~」って思って、授業後に生物の先生に「解剖とかできるところはありますかー?」って聞いた。速攻で医学部の選択肢は消えていて、動物解剖実験できそうな薬学部を志望校に選んだ。

受験期は過去にD判定一回、残りE判定。親までもが浪人と思っていたらしい。でも、なぜか自分は当然に受かると思っていた。だって、高校3年の時が、人生で一番勉強が楽しかったから。時間さえあれば、生物の図解を見たり、世界史の山川の教科書を見てた。夢中だった。

運もあり、なぜか受かってしまった。こんな性格でいろんな先生を困らせたから職員室は歓喜の輪に包まれたらしい。「リュウセイが“大学”に受かった!」って。周りは「医学部、東大、旧帝大おめでとう!」なのに。

でも、自分は先生達が喜んでくれた姿を見て、最後まで楽しく勉強してよかったーって思った。自分が好きなことして、それが自分の好きな人の笑顔に変わるみたいな感じ。

大学の薬学部の授業は、教科書を見るのは死ぬほどつまらなかったが、実習は、教科書や文字に書かれていることが、自分の手でリアルに体験できて、めちゃくちゃ楽しかった。レポートは書きたくなかったが、実験の時間はワクワクしていた。理論で言われても、試薬入れたら目の前で色が変わるんだから。

3年生で入った研究室も、「マウスから精子と卵子を取って、体外受精をする」と言われた時は「ハァッ?」となったが、
移植してマウスから新しい命が生まれてきた時は、人生の何にも代えがたい経験で、「もっと生命に触れていたい」って思った。

でも、昨年休学してワーホリに行って、薬学とは関係ないことをした。「宗教ってその人にとって人生にどんな関わりがあるんだろう?」って疑問を知りたかったから。

オーストラリアでは、農場で働いた。倉庫の事務した。週3回教会に行った。モスクに通った。砂漠を車で駆け抜けた。2か月車生活した。ビーチのシャワーを毎日のお風呂代わりにした。洗濯物を毎日手洗いした。警察に捕まった。一日一日が気づいたら終わる日々だった。生きることに夢中で、毎日を生きることが楽しかった。旅や旅行みたいに決まった期間で特別に”何かをする”ではなく、一日を生きることが楽しかった。

長崎では、高校生と教育系プロジェクトしていた。誰かの思いや夢の手助けを少ししていた。高校生と一緒に何かを創ることが楽しすぎた。自分がしらないことを教えてくれる高校生と話すことが学びで、「ずっと話してたいな~」思った。

10月から1年ぶりに大学戻ってきて、実験室の横で研究や実験についてのアニメーションや動画を作っている。なぜなら、これをやり通した先に、自分の周りの人の笑顔を作れるイメージを持っているから。その作業を行う時間は、しなきゃとか、好きとか、趣味じゃなくて、ライフの一つな感じで当たり前にしたいって感じ。

ちなみに10月にした1年ぶりの実験も楽しかった。教科書に書いてある原理はわかっていても、自分の手で生命に触れるのは、すごいドキドキする。今現在は、実験の手を止めているけど、やることやったら早く実験したい。

いまやっていることが楽しいから、大学院も行く予定。

●2:本題に戻る

そう、大学は楽しい。

でも、「何になる予定ですか?」と言われても、薬学部系の研究職になる未来はない。

そもそも、大学で〇〇学部だから、いましていることが〇〇だから、で〇〇にならなきゃと言われるのはなんでかな?

たぶん、自分がその人との対話が足りてなく、パーソナルを見てもらえてないからなんだろう。

肩書きで見られたくない、自分も見たくないなら、自分から発信と対話を続けないといけない。って思って週1noteを書くことを決めた(これ3個目)

将来なりたいモノと言われるなら、

「自分が楽しいと思うことに夢中で生きていて、その時間を共有することで、自分に関わってくれる周りの人だけでも笑顔にできる」

存在でありたい。

自分がその時やっていること、自分ががその時できること、を共有して、誰かが「ありがとう!」って笑顔になってくれればいい

なんてクサイけど、本気で頭の中で描いている。

だから、そのイメージする存在に向かって走っていれば、正直モノや肩書や今何をやっているかなんて何でもいい笑

さっき回顧録で書いた、

「臓器見てみた―い!」から、薬学部にいって、実際に解剖してドキドキしたように、

「宗教や違うライフを見たい」から、ワーホリいって、毎日が愛おしくなるくらい夢中の日々を生きたように

「大学でやることが楽しい夢中や。続けたいなー」で大学院に行こうとするように、

その時その時で、自分の気になるものに足を運び、楽しくなるを見つけ、夢中であり続けたい。

それをずっと繰り返したい。ずっと勉強していたい。

その時”何をする”、その時に”何に就く”は、手段でありたい。

すごい、好きな言葉がある。
エナって友達が言っていた。

自分が「将来、何なるの?」って聞いた時、

「エナは、エナになりたい」って言われた。

何をしていても、

”自分が描いている未来のどこに自分が存在するか”

が大事であり、目指すなるべきは、その理想で描いている自分でしかない気がする

その時々で「〇〇の人」って肩書のように言われてもいい。なりたいto be のためなら自分で肩書名乗ってもいいと思っている。

でも、目指す所は、理想とする自分でありたい。

その目標へ、毎日夢中で人生を送り続けたい。

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